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原爆ドーム・平和記念資料館を見て


はじめに

本noteは、私が原爆ドームを訪れた際の感想を書き連ねたものとなります。感情のまま書いたので、所々で私情が挟まっていたり、誤字脱字があったりする可能性があります。
また、本文である『原爆ドーム・平和記念資料館を見て』のみ「ですます調」を用いておりません。
読みにくい文となっておりますが、ご了承ください。

“私”の基本情報

私は都内に住む、社会人2年目の人間です。
小学生の頃、図書室で漫画『はだしのゲン』を初めて読んだ時から戦争・原爆関連の話に興味を抱くようになりました。
「いつか生で原爆ドームを見たい」というのが私の小さい頃からの願いであり、今回ついに広島旅行という形で叶えられることとなりました。
実際に見て、この感情を私の中だけで整理することは少々難しいと考えましたので、noteに投稿するという形で私自身も整理させていただきます。

原爆ドーム・平和記念資料館を見て


旅行の最終日は原爆ドームへ。小学生の頃から興味を持ち続けていた私にとって、ある種願いが叶う瞬間でもあったため緊張しながら向かう。

実際に見る原爆ドームは生々しく“当時”を残しており、安易に感想も言えないような雰囲気を漂わせていた。ふと、漫画『はだしのゲン』のワンシーンが蘇り、原爆ドーム目の前の大きい川を写真に撮る。その後同行していた友人に教えられて確信に変わったが、やはりあそこは当時被爆者たちが水を求めて飛び込んでいた川だった。

公園内をまわり、死没者を弔う建物へ。螺旋状に下へと降りる道は、足を止める場所が等間隔にあり、当時を文字のみで淡々と伝えてきた。
その後死没者の写真と名前が並べられている液晶前に着く。白黒ではあるものの、思いのほか解像度が高く、1人1人の顔をしっかりと見れるものだった。全員あの日に亡くなられているという現実が、一気に重くのしかかってきた。

その後は平和記念資料館へ入った。原爆が落ちる前と投下直後の街並みの写真が、話の重さを物語る。

資料館には沢山の絵と写真、被爆者の遺品や手記、手紙等が展示されていた。
顔に火傷を負った女性の写真、皮膚がただれている人の絵、辛うじて服としての形を残しているボロボロの衣服、焼死体や無数の骸骨の写真…

言葉が出なかった。出してはいけないと思った。
何を思っても、言葉に出した瞬間に安いものになってしまう。
ただただ黙って、目の前の写真と、絵と、遺品に向き合うことしかできなかった。

「犠牲者」の人々は、その日まで、その瞬間まで元気に生きていた。あの日、家を出る方向が逆だったら、外に出していなかったら、風邪をひいていたら、疎開させていなかったら、仕事が無かったら。
もし、今日まで生きていたら。

取り残された遺族たちの声も記載されていた。
『あの子は、お父さんに美味しいご飯を作ってあげる!と家を出たままです』という一文。
どれほど悲しんだか、後悔したか、後を追おうとしたか、私は文字でしか知ることができないから想像もできない。

『お水が欲しいと娘が言うからくんできて戻ったら、娘は既に死んでいた』という声も見た。
どれほどの後悔がのしかかっていたのか、想像もできない。想像がつかない。

今、この場に核爆弾が落ちてきたら、その時初めて遺族の感情がわかるのだろう。ただあの場は、同じ感情を現代人が体験しないように作られた場所だ。私には、あの場で見たことを伝えることしかできない。でもそれが何よりなのではないか。

身体が内側から焼かれ、水を求めながら亡くなった人、家屋に押し潰された人、放射線の雨に晒され、当時は原因もわからないまま苦しんで亡くなった人。当時は生きていても怪我や火傷を負った人、後に白血病で命を落とした人。

全員に家族がいて、仲間がいたであろうことを考えると、私は故人を思って泣いても良いのかという感情に晒される。
これらは全て、漫画や写真、絵や文字から得た情報に過ぎない中で、涙を流すのはもはや不謹慎なのではないかと感じてしまう。

…そういった意味で、私情ではあるが泣くつもりはなかった。簡単に泣かず、最大限向き合う覚悟を持って資料館へ入った。

しかし、泣いてしまった。
疎開先で被爆してもなお、離れた家族のことを心配し、「姉ちゃんはなんとかやってます」と葉書を出した方がいた。
被爆後に治療を受けながらも、夢を語って必死に治そうと手記を付け続ける方がいた。
心配させないように行動する、夢のために毎日を生きる、そんな強さに私の覚悟は到底及ばなかった。

いたたまれなかった。何故私のような人間が現代で目的もなく生き、この方々のような未来ある強くて聡明な人が亡くなってしまったのだろうと思うと、溢れ出てくるものは止まらなかった。

私は今の人生に希望を見い出せていない。家族も仲間も大切な人もいて、ご飯も満足に食べ、核も戦争もない平和で贅沢な毎日でも、見い出せなくなってしまった。資料館に行ったからといって、すぐに希望を持てるわけでもない。

ただ、このなんでもない今日は、犠牲者が生きていたかった、見てみたかった今日でもある。

私はきっと今後も、葉書や手記を書いた方々のように強くはなれないだろう。
それでも少しだけ、今日を大事にしてみようと思える。

平和な日々を、平和という贅沢が当たり前のようにある日々を、少しでも噛み締めていければ、今回の訪問は大いに意味を持つ。

意味を持たせ、伝えていくのは私自身だ。
目を逸らしてはいけない過去を忘れずに、今日が終わり、明日が訪れる『当たり前』を噛み締め…
ほんの少しだけ、頑張って生きてみようと思う。
あの現実を目の当たりにしてもなお、この程度の感想しか書けないのかと思われるかもしれないが、今の私にとってはそれが全てだ。

今日も生きよう。
少しだけ頑張って、生きよう。


おわりに


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
拙い文章となってしまい、申し訳ございませんでした。
皆様にとって、有意義な記事となりますように。


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