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手のかかる先生ほど学生は優秀に育つ

 気づけば月日は流れ去り、もう春という今日この頃。
 最近、中国に戻れという大学の通知が来たのだが、なにやら手続きがめんどい。とりあえず大学の卒業証明取り寄せてる。実は、だいぶ前に取り寄せていたけれど、発行から三か月以内じゃなきゃだめなんですね! うぇいしぇんまぁ(なぜだ)!
 あと無犯罪記録?これもとりあえず警察に電話したら「署に来い」みたいな感じで、まあ来週あたり行ってくる。
 で、これを教育庁と外務省で承認してもらえだなんだと、外務省はサイトみてわかったけど教育庁って何?文化庁? なんかもうよくわからんのですけど……。で、そろったら大使館での手続き……まーふぁんあー(めんどいわ)。

 そもそも最初に渡航した2016年の時だって、手続きがよくわからなくて、もうあきらめかけたら、たまたま当時大使館勤めだった中国人の同僚の先生がなんとかしてくれたってわけで。

 しかも当時私は元旦那のおまけでついていったわけで。
 なんか仕事くれよと国際部の偉い人に会いに行って、自分が書いたキャラクターの絵を見せたら、そのまま初等教育学部でトトロやくまもんの書き方を教えることに。
 
 中国語なんてまったく話せなくて、今でも苦手だけど「画画 huahua(絵を描いて)」の発音もできないのに、よくまあ絵を描くの教えてたよ。
 最終的には得意の紙芝居授業になって、みんな楽しそうに実演してたけれども。

 でもあの時も、クラスの美女がなんかいつも助けてくれたんだったなぁ。彼女は卒業後舞踊の先生になり、今は赤ちゃんもいる。とにかくこの学部は陽キャのギャルが多くてみんな「うぇーい!」ってノリで、そのくせ親切で、ノリとヘルプとトトロとドラえもんで乗り切った感じ。

 その後、私は観光学部で日本語を教えるようになる。
 いきなり生まれて初めて日本語を習うという50人の前での授業。
 しかしここでもコミュ力で乗り切った。日本語がまったくできない班長に関しては、お互いジェスチャーで、最終的に彼は私の学生史上最強のジェスチャー王となり、込み入った内容までジェスチャーで伝えるぐらいの技能を身につけた。

 さらに私は日本語専門クラスで教えるようになる。
 さすがにこれまでとはちがい、日本語を話せる学生が何人もいる!
 彼らは私の手足となる。

 全学部対象の選択授業はやガチオタク勢が多かった。
 もともとアニメや漫画が大好きなオタク気質の私にとってすでにホーム。オタクに国境はない。コナンやナルトの物真似で彼らの心も鷲掴み。
 気づけば他校から聴講生も来て、一クラス20人のクラスが3倍以上になったこともある。それが四クラスあり、毎晩謎のオタク祭り。

 ちなみにどうやって大人数をこなすかというと、私の授業はゲームやロールプレイが多い。
 借り物競争をしたときは、カードに「イケメン」「美女」などを作り、他の日本語クラスまで乗り込んで、イケメン狩りをしたものだ。
 しかし借りる時のルールは必ず日本語。相手が応じてくれなければ終了。一緒に来てくれという交渉は必ず日本語でするので、相手の日本語力も必要。

 ただやはりちゃんと教えることも必要になる場面もある。

 私はただ四年生大学を卒業しただけで、しかも専攻は宗教・思想だったから、はっきりいって日本語の専門教育を受けたことがない。
 今でこそ、日本語教育能力試験もHSK5級も合格はしているものの、当時は日本語も中国語もろくにわからず、いきなり日本語専門の講師になった。

 はっきりいって周りの助けなしではとても乗り切れない無理ゲー

 そこで私は特に日本語科の学生には
「俺を助けろぉ!!!!!!!」と泣きついて、夜の選択授業などに日替わり交代でついてきてもらったりもした。

 日常生活でも面倒みてもらっていたので、ごはん一緒に食べたり、家にも入り浸ってたり、ほんともう家族同然って学生が何人もいた。

 中国の大学は全寮制なので、同じ敷地内で暮らしている。だから日本の日本語学校とは全然ちがって、学生との距離が近い。
※更に私は人との距離が近い。

 私がぎっくり腰になって動けない時も、SNSで助けを求めた。それを見た学生たちがかけつけて、みんなで運び出して病院に連れて行ってくれたりもした。

 そんな感じだったので、私と仲いい学生たちの日本語力は自然と上がる。
 
 「教えることは学ぶこと!」と言って、私の授業で私の代わりに中国語で日本語を教えさせたので、先生としての能力が備わっていく子たちもいて、私の学生は卒業後に日本語の先生になる子も少なくない。

 特におもしろいのが、優秀だから良い先生になるというのではなく、それほど日本語できなかった学生が今いい先生になってたりすることだ。

 私の弟分のジョは、今やバリバリ日本語教師として働き、留学生もバンバン日本に送り出す仕事をしている。
 毎年、日本語の試験の前に私は頼まれてジョの学生たちにビデオチャットでメッセージを送るが、クラスの雰囲気がいつも明るい。
 みんながジョを慕っているのがわかる。

 はっきりいって、勉強はほとんどが本人の努力だと思う。先生はそのためのモチベあげたり、一人じゃ上がれないところにちょっと手を貸すぐらいでいい。何よりその授業が楽しいってのが一番いいと思ってるし、ジョは私のやり方を踏襲して「楽しい授業」をやっているのだ。

 さらにジョのクラスメイトのシンガクは、私と出会う前は追試常連の学生だったらしい。でも私の代わりに教壇に立たせてから、教えることに目覚めたのか、それからめきめき実力を上げ、卒業後は日本語で大学院へ。今は日本語の翻訳の仕事をしている。

 そして今でも中国語での文法説明や学生の質問対応や教材作りなどで一番相談に乗ってくれている。
 私も彼の仕事を手伝っている。日本人でも聞き取りにくい音声を耳だけで聞いて中国語の字幕をつけるというのだからたいへんだ。
 しかしとうとう彼はゾーンに入った。

ゾーンにお入りになった様子

 私と学生の関係は一方的に私が教えるという関係ではない。
 むしろ教えられたり助けられたりすることのほうがずっと多く、私も学生を頼っている。

 今回の授業内容も難しかった……
「着せられました」「着させられました」「着せてもらいました」の違いとか。

 前述のシンガク先生にも相談したけど、もう夜中でお互い頭が混乱。
 そこに現れたのが二年生の救世主ジュッキー、彼もオタクである。

 そもそも私に質問してきた女子がいて、私は日本語で答えたが、どうも彼女はいまいちわからなかったらしい。

 でもクラスメイトに聞いたら理解できたというので、誰かと聞いたらジュッキーだった。

私の面子をつぶしたかと心配するも、まさかの反応に爆笑の女子

そこで私も「ジュッキー助けて!!!」と泣きつく。
もう中国語と日本語で頭が混乱状態!わし無能!みたいな

フォローも完璧な心優しきオタク、ジュッキー

 そして授業! 
 要所要所でジュッキーが中国語で捕捉の字幕を打ってくれる。

 さらに先生になれそうな何人かにも振る。

 余談だが、私は学歴や経歴は大したことないが、自分の代わりに教えられそうな「先生」の資質を持つ学生を見出したり、会話能力、文章能力、ジェスチャー能力、通訳能力など、それぞれ得意な部分を引き出し育てる能力が高い(笑)

 まあこれも、結果論でそうなってるだけで、結局、「助けてくれ!ぴえん」と頼っているだけなんだけれども。

 みんな基本的に教えたがりだし、人を助けたいという気持ちも強い。
だからこっちが必死に「わかってくれよ!助けてよ!」となると、私の日本語も真剣にわかってくれようとするのだ。

 会話で大事なのはこれだといつも言っている。
文法の正確さ以上に、相手に伝えようとする態度、そして相手を理解しようとする気持ち。

 そもそも中国の大学には、とんでもなく優秀な先生たちがいて、日本語も基礎や文法は現地の先生たちが教えてくれる。外国人講師はただのリトマス試験紙で、彼らが身に着けた日本語がネイティブに通用するのかどうかの確認に必要なぐらいのもの。

 まあ、それでも私はほかの立派な先生たちよりも友達感覚ってのもあり、わりと熱血おせっかいなので、学生たちが質問しやすく、わからないことを一緒に解決していこうってところから、文法説明が必要になることもある。

 私も同僚の先生たちに何度も助けてもらったことはあるけども、なにせみんな頭が良すぎるから、確かに学生が言う通り、質問しづらい空気もある。となると、我ら学生(&自分)一丸となって、がんばって解決していくしかないのですよ。

 そうやって、全力授業をやった後は、いつも疲労困憊でぐったり。
 特に文法説明や難易度高いことに挑戦するともう口から魂出る感じ。

アフターフォローも完璧な高先生ことジュッキー

 でも私にはこのように毎回必ず助けてくれる学生ティーチャーがいるわけで、ほんとありがたいことである。

 オンライン授業になって、学生のやる気低下も懸念されるところはあったけれども、結局はやり方次第。学生のやる気が失せてきても、先生は絶対に熱さを失っちゃいけないのだ! そして情熱は必ず届く!

 とはいえやさぐれることもあるのですが、私がどの先生にも負けない部分といえば、それはやはり学生たちへの愛と情熱なんだろう。

 ほんとそれだけで、このコロナ期間にクビになる日本人教師もいる中、学生の授業評価ランキング常に上位のナイスサポートのおかげもあり、日本で授業して給料もらえてきたわけだ。

 だから私はやっぱり一度は戻りたい。
 そしてこれまで私が助けてもらったオンラインの学生たちにも学生時代最強の思い出の一部を作ってもらいたい。

 社会人になった卒業生たちがつらいときによく大学のことを思い出すという。彼らの楽しかった青春の中には必ず私もいるという。私の授業、一緒に作ったごはん、遊びに行った思い出など。

 そういう青春の思い出を少しでも今の学生たちにも作ってもらいたい。
 それが私の彼らへの恩返しなのである。

 だから手続きめんどくさくても、ちょっとがんばろうかなー……じゃぁよぉ(がんばろ)
 


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