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毎日に変化がほしいのは罪ですか?|エッセイ

 私事だが(もっともnoteには私事しか書かないのでこんな前置き奇妙なんだけど)、この度一児の母となった。
 母となってまず変化するのは日常。これまでは産前休暇で、いわば期間限定専業主婦みたいなもんだった。お腹は大きいし身体は重いしで生活は不自由だけど、まあリズムは自分で取れていたわけだ。それが産後となると話は変わってくる。まず第一に優先されるのは子のリズム。一定間隔おきの授乳に、おむつ替え。泣いたらその都度理由を探り探り対応する。それがもうひたすら毎日続く。夫が家にいる(今は在宅ワークしてくれている)とはいえ、毎日毎日ひたすら繰り返しの生活だ。
 無論、小さな変化はある。クーイングが始まったり、目線で後追いをするようになったり、短時間とはいえ遊べるようになったり。そんな変化を見つけるのは楽しいし、子どもはかわいいしなんならかわいすぎる。だけどもどうしてもなにか違うことがしたくなって、その毎日から離れたくなるのだ。重ねて言うが、子どもはかわいい。そんな我が子を放置するなんてもっての他だしやりたくもない。もしこの子に向かって石が飛んできたら、私はそれを受ける盾になる。——だけど離れたいと思う、思ってしまうときがある。

 これは罪だろうか?

 母親になることを決めたのは自分。責任を負うことだって分かっていたこと。それなのにこんなことを思うなんて。

 産院では、これで合ってますか? これは大丈夫ですか? と訊く度に、「真面目すぎるね」と言われていた。インスタやYouTubeでは、「母親が完璧にしようとしてキリキリしているよりも、やや不完全でもイキイキしている方が子どもにとってもいい」というような主旨の発信を見かける。なんなら夫にもそう言われる。そういう言葉を聞く度に、そう考えていいんだ、と思う一方、いやだめだ、とも思う。だって、私がちゃんとやらないと、この小さな生命は守れない。他にだれもいない。夫はいるけど仕事していて私は育児休業中なわけで、それなら私がやらないと。母親になったんだから、もっと、ちゃんとやらないと。これ以上どうしたらいいのか分からないけれど、とにかくもっと、ちゃんと、できることがあるはずだから、やらないと。

 我が子が大切だ。
 その我が子から、少し離れた時間を持ちたいと思う、自分のことに集中する時間を持ちたいと思う、変化する日が欲しいと思う、これは罪だろうか。
 罪でないと言ってほしい、そう願ってしまうこともまた、罪なように思う。

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