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"逃亡日記" 第29夜 マリー・クワント展

デザイナーとしての賞味期限は約10年…ただしプロデューサーとしての才能は無限。

なかなかに残酷な現実をみせてくる展示。

…そして今日いつもより長いけど。
最後まで、お付き合いくださいね😊


"ミニスカートの女王"


こないだ、アンディ・ウォーホル展でみた1960年代のVlog系映画に出てくる女性は、みんな濃いアイメイクでスレンダーな体型で、最新流行の"チェルシーファッション"を着こなしていた。
(そしてお酒とタバコとドラッグに愛されてる)
そのファッションとビジュアルイメージををデザインしたのが、マリー・クワント。


1930年に生まれ、10代を郊外(疎開先?)ですごす。(ナルニア国物語だ!)

1959年ごろから自作服を売り始める。

ヴィクトリア時代の下着からインスパイアされたスカートやエスニック風のブラウス…。
いかにも美術学生系ストリートファッション。

生地を買って翌日には売る…とか、すごいスピード感で。

"品のよさ"×エッジィのバランス


たぶんファンがついてきたところで、2号店をデパートの前に開店…よく資金があったよね?挑戦的なミニスカとミニマムなデザインロゴでブレイク。
…んー…なんか渋谷系ギャル系のファッションブランドっぽいストーリーだ。


ミニスカートといっても、当時はひざこぞうが見えるくらい。

1930年代のエレガントなスタイルを絶妙にミニスカートにリミックスした感じは、
今だと"え?結構お嬢さまぽくない?エレガントだよ?"って見えるけど、1930年のシャネルはふくらはぎ丈だったんですよ…
(それでも充分にセンセーショナルだった)

そして1950年代といえば、ウエストがぎゅっと細くてスカートがふわっとしたルックの時代だよ?
ローウエストでミニマムなデザインはどれだけ大人の白い目で見られか…
(いや。それが気持ちよくて着てるよね?)

デザイナーであり自身がモデルだったので(…当時の30代が若いコと同じ服ってだけでもセンセーショナルだ)、ヘアメイクとコラボして、洗いっぱなしオッケーのショートボブスタイルも作っちゃう。

ふわふわ女子系からミニマムで風のような疾走感のあるスタイルは、ふわふわに飽きてきた10代ジョシにはたまらなく魅力的だったはず。


挑発的にしかもシニカルなウィットを込めて、男性用スーツ生地でワンピースやジャンバースカート、そしてパンツスタイルをデザインし、そのうえフォーマルな場で女性のパンツスタイルはカジュアルすぎ…な時代に自身がパンツスタイルをガンガンに着てパーティーとか行っちゃう。…それは全ジョシがほれちゃう生き方✨


※ちなみに、ひざ上ミニスカートを世界で初めてデザインしたのはクレージュですが、世界中に広めたのはマリー・クワントだそうです。


その後も、PVCという当時の新素材で、カラフルなケープ型レインコートを流行らせたり、PVC×絶妙な色彩で、画一的だったレインコートをパンクに、かわいく、スポーティにデザインしたり。

これがレインコート⁈素敵すぎ✨


ジャージーのミニスカ×タイツで全身コーデを提案したり。(身体はワントーンコーデにして、サイケ柄のショッパーバッグを持つ…このバランス感覚はすごい…)

ジャージーのスレンダーなドレスには下着が必要でしょ?…としれっと下着と水着を提案したり。

アイドルに着てもらったり、広報も完璧。

…だけど。

ブレイクしすぎて、1970年くらいのエレガントなデザインをピークに、服そのものはもやっとしていく。

10年たつと、女の子は大人の女性やママに、子どもたちはもっと新しいファッションがすき…デザインの賞味期限って合理的だけど、クリエイターには残酷だ。

シャネルとマリー


遠目で全体像を見ていると、6月に見た"シャネル展"を時々思い出す。

お仕着せの"女学生"スタイルを大人用にリミックスしたり(黒くてミニマム
男性用スーツ生地(シャネルはツイード)を使ったり
ジャージー素材を駆使したり
大人女子も若い子も同じデザインを着れたり

何よりそれまでの"女性"に課せられていた概念を小気味よく蹴散らしてくれた。

シャネルは現代服の概念を作った人だからなー…かぶって当然かー。

とも思うけど、ジョシの"心地いい"の追求なのかマーケティングの王道なのか?



マーケティングとかいってみる


…てとこで、今回マーケティングとかプロモーションの力ってすごいよね?…ってすごく感じたので、慣れないことも書いてみる。

1959  ブランド(BAZZAR)誕生
2号店オープン
1962  アメリカに展開
1963  量産化
1964  ホームソーイング用公式型紙と編み図販売
1965  メールオーダー(通販)
1966  自伝執筆
1969  ユースクエイクムーヴメントとのマッチング。ユースクエイク系の音楽ファンの制服化。
1970 化粧品部門に進出
1973  リップにもアイメイクにも使えるメイク用クレヨンでまたまたブレイク
※ここで既に男性用パレットもあるところ重要

このスピード感✨ヤバくないですか⁈

個人的な視点としては、

1.売れ筋のラインを早くに固定化したこと(このブランドといえば、これだよねー)

2.そのメインのデザインをミニマムアプデしながら、量産化や型紙の販売で多くの顧客に手が届くような価格帯とブランドの知名度の向上にシフトしたこと。

3.お花🌸のマークを登録商標にして、視認性を高めたこと

4.ロイヤリティ製にして、世界中で生産可能にしたこと

5.早期に、"アメリカの若い女の子"というターゲットに特化したプロモーションをかけたこと(音楽界とのコラボは意図せず…かもだけど大きい)…当時の広報用ビジュアルデザイン…いま見ても素敵。

6.新素材や物流のアーリーアダプター

7.TVや新しいメディアやアーティストとの積極的コラボ

いやー…第二次対戦後からオイルショックまでの大量生産大量消費文化に、めっちゃ刺さってる。いや刺さりすぎ。

自身の経営デザインセンスと、グリーンという生涯のパートナーに早くから出会った、っていうラッキーはあったとしても、ここまで時代の波に乗るのは、なまはんかな才能じゃない。

ううむ。服飾デザインの展示に行ったはずなのに、マーケティングで終わるという…マニアックな見方がすごく面白いのでぜひ✨

いや…ここはあえて。
"エッジィで洗練されてるのにポップでカワイイ元気な1960年代"を満喫してみて?❤️

クリエイター目指す人は必見だよ✨

2023/1/29まで、Bunkamura ザ・ミュージアムにて




読んでくださってありがとう🌟ぽちぽち書いていきますね。