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「離れて寂しい」と思う人は自分の中で「最も大切な人」なんだって


 みなさんこんにちは、真咲まことです。


 弟はきょうだいであり、親友であり、戦友。


 一人暮らしをするって考えたときに、

 最初に思い浮かんだのは

 弟と離れることが一番寂しいなって思った。


 突然のブラコン発言ごめんなさい。

 でも聞いてください。


 私にとって弟は、唯一無二の「弟」であり、

 親友であって、

 戦友みたいなものだと思っている。


 実家を出たらもう家に戻る理由がなくなってしまうし、

 帰ることもないだろうということを考えると、

 自動的に大学生で実家住みの弟とも会えなくなるので

 それを想って寂しくて泣いた。

 まだ家も出ていないのに。

 自分でもびっくりするくらいに。


 こういうときって、

 友達のことがもっと

 頭に浮かぶものだと思っていた。


 家族との時間よりも

 学校で会う友だちとの時間の方が

 一日の過ごす時間は長い上に、

 家族よりも

 私を理解してくれている人が多いと思っていたからだ。


 弟とは楽しいことの他にも

 つらいことも一緒に共有して乗り越えてきた。

 受験でナーバスになっているときとか

 家族もそんな自分を不安に思うから

 不安を解消しようと

 家族よりも神経質になっている自分に

 何かと小言を言ってくるのだけれど

 言われなくても分かっているし

 何より目の前のことに必死で取り組んでいる受験生に対して

 小言を言ってくるのって迷惑でしかないんだよね。

 相手のこと考えていないっていうか。


 姉弟だから分かるのか

 年が近いから親よりもお互いを理解しているのか

 自分がその場にいない間に私のことを弟がフォローして親を諭してくれていたり

 弟がいないときに私がフォローするってこともあった。

 今私に必要なことを

 家族の中で誰よりも分かってくれているのは

 私にとっては弟なんだよな。

 弟はどう思っているのか知らないけど。


 きょうだいの当たり前のように思っていたことすらも実はこの世の奇跡なのでは。

 実家は築50年ほど経つ古い家で、

 おじいちゃんの代から住んでいる。

 正直家のどこにいても話し声は聞こえてきてしまうので、

 私もそうだけど、

 弟もなんとなく私がフォローしているときに

 親と私が話しているのを聞いているのではないかと思う。

 そんな気配がする。。(笑)


 だから別に何とは言わないけど、

 お互いになんとなく尊重し合っていることを分かっていて、

 ここだけは共有しておきたい話などは

 ちゃんと質問して聞いてくれるし、

 そういうとき弟は私を否定したりしないことに気がついた。


 分からないとしても

 理解しようとしてくれるから、

 分かんないときは分かんないっていうし、

 私もそれならそれで良くて

 ただ今はこういう考えなんだよねってことを伝えている。

 それでいて弟は私の話を大体肯定して聞いてくれている気がする。


 なんか、これって当たり前のようで奇跡に近いようなすごいことのような気がしてきた。

 

 弟のことを思うと、兄弟がいて良かったと心の底から思える。

 主に母と話しているとき

 なぜか自分の存在価値が分からなくなる時があった。


 たぶん兄や親戚のこと比べられてしまうことが多かったからかもしれない。

 けれども前回の記事でもいったように、

 他の人と比べられたところで

 私は私にしかなれないし、

 そうでしかいられない。


 自分を見失いかけた経験があるから言うだけど、

 弟がもしもそんなときの私と

 同じような経験をすることがあれば

 迷わず伝えたいことがある。


 私にとって弟は、存在しているだけで価値があること

 私は何があっても味方でいること。


 きっと迷わず言えるし

 そう言って肩を抱いてあげたい。

 一番はそんな悲しいことがないことが良いのだけれど。


 漫画で見た「本当に強い人はどれだけ人に優しくできるかだ」って言葉を思い出した。


 他の人と自分を比べたところで

 生まれも育ちも価値観も違う人と自分を比べるのは

 ロックとJポップを比べるくらい意味がなくて

 どちらもそれぞれの魅力があって最高にクールで素敵だということ

 ただ違うのはジャンルだけ。

 違うことが当たり前なことに気がついて欲しいし、

 違って良いことに気がつかせてあげたい。

 私だったらそうして欲しかったと思うから。


 自分がされてきたつらいことなどを理由に

 自分が人に同じことを繰り返すような人間にはなりたくない。

 そんな悲しいことは、

 私で終わらせれられればいい。

 痛みがわかる自分だからこそ

 人に与えられる優しさの表し方や

 癒し方を知っているはず。


 あるときTwitterのタイムラインに流れてきた

 誰かのツイートに、

 「私の人生はどれだけ他人に優しくできるかだ」

 というようなことを書いているのを見かけた。

 私はたぶん即いいねを押したと思う。

 私もそういう考えでいたい。

 自分がこうされたからお前も苦しめよなんて

 そんな寂しいことはないよな。。

 嬉しくないし。

 それで気持ちは晴れるのだろうか。


 目の前の人を通して

 昔の苦しんできた自分を見ていることに

 気がついていないだけにしか

 私には見えないんだ。


 自分がされてきたからお前も苦しめは、

 自分で自分を苦しめていることと同等だから。

 そうじゃなくて優しさで包みこめたら

 世界はもっと愛を身近に感じられる社会になっていける気がする。


 弟の話から世界と愛についてまで書けるとは思わなかったな…(笑)

 弟に向ける姉としての私の気持ち自体が愛だからなるべくしてなったことなのかも(照)

 なんちゃって。


\最後まで読んでくださりありがとうございます!/


 昨日今日と哲学的なハイカロリーな記事が書けている気がして嬉しい。

 しかも今日はちゃんと文末を締めてまとめられた気がする。嬉しい。

 下記は前回の記事です。
 お手隙のときにでもぜひご覧ください。


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