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友情の梅花香る古代の歌 ~万葉集~

九條です。

忘れた頃にやってくる「万葉集シリーズ」です(勝手にシリーズにしてすみません)。^^;

年が明け、新春の光降りそそぐ今日この頃。

今回も『万葉集』のなかから、日本の美しい季節の移ろいを歌った歌をお届け致します。^_^

日本の古典文学で「花」と言えば「桜」が定番ですが、それは平安時代中期以降の国風(和風)文化のもとでのことで、中国文化(唐風文化)の影響が強かった奈良時代~平安時代初期には「花」と言えば「梅」が常識でした。

今回は、その梅の花の歌を通じて交わされた古代の歌人どうしの友情や励ましといった心の温かさを感じる歌をご紹介いたします。

私は梅も桜も好きですが、強いて言えば梅のほうが花も香りも好きです。そして梅の花を見るたびに、この歌を思い出します。

【万葉集】
春さらば
まづ咲くやど[※1]の
梅の花
独り見つつや
春日はるひ暮らさん

雑歌ぞうか山上憶良やまのうえのおくら

[※1]「やど」は「家の敷地」「庭」という意味

(巻第五・八一八/山上憶良)

【原文】
波流佐礼婆はるさらば[※2]
麻豆佐久耶登能まずさくやどの
烏梅能波奈うめのはな
比等利美都々夜ひとりみつつや
波流比久良佐武はるひくらさむ

雑歌ぞうか筑前守ちくぜんのかみ山上やまのうえの大夫だいぶ[※3]

[※2]「はるされば」とも読みます。
[※3]山上憶良のこと

【意味】
春になると[※4]いちばん最初に庭に咲く梅の花。この風景をあなたは独りで1日中(陽が暮れるまで)眺めているのですね。

[※4]「~さらば/~されば」の語は「~になると」という意味です。

【題詞(抜粋)】
〔原文〕
梅花歌卅二首  天平二年正月十三日萃于帥老之宅申宴會也

〔読み下し〕
梅の花の歌三十二首/天平二年正月むつき十三日に帥老そちろう[※5]のいえあつまりてうたげたり

[※5]大伴旅人のこと


【簡単な時代背景と解説】
この歌は山上憶良やまのうえのおくら(660年頃~733年頃)が詠んだ歌です。

「題詞」によりますと、天平2(730)年1月13日(現在の2月20日頃)、大宰帥だざいのそちとして大宰府に赴任していた大伴旅人おおとものたびと(665~731年)の邸宅に歌人たちが集まって梅の花を愛でる宴会を催し、その時に歌われた歌三十二首の中の一首であることが分かります。

この宴会の時、大伴旅人は65歳。その翌年(天平3年/731年)に旅人は亡くなります。旅人はこの宴会から遡ること2年前の神亀5(728)年に妻(大伴郎女おおとものいらつめ)と息子(大伴家持おおとものやかもち)らを連れて九州の大宰府[※6]へ赴任していたのです。

すなわちそれは旅人が63歳になってからの地方赴任であり、旅人は大変しんどかっただろうなと思います(息子の家持は当時10歳でした)。また、旅人はそうして大宰府へ赴任した年、すなわち神亀5(728)年に妻の大伴郎女おおとものいらつめを病気で亡くしています。

最愛の妻を亡くして寂しいお正月を迎えた旅人さん。彼を励まそうと彼の家に歌仲間が集まって宴会を催しました。そこで山上憶良さん(当時70歳ほど)が、5歳ほど年下の旅人さんに、

「旅人くん、ほら、春になると真っ先に咲く梅の花が庭に咲いているよ」

と呼びかけながらも、その憶良さんは、

「独り見つつや春日暮らさん」

すなわち、その梅の花を、

「(大事な大事な奥さんを亡くして)独りで見ているんだよね、旅人君は…」

と、旅人さんの寂しさ、ぽっかりと穴があいたような旅人さんの心に共感している気持ちが伺えます。

山上憶良と大伴旅人との友情や温かい心の交流を感じることができる、とても素敵な歌だなと思います。

持つべきものは友ですねぇ。^_^


[※6]古代の政庁名は「大宰府」、地名および近世以降の呼び名は「太宰府」(大と太の違い)


【参考資料(原文参照元)】
◎鶴 久/森山 隆 編『萬葉集』桜楓社 1986年

【おことわり】
私は『万葉集』が好きで、気分転換によく紐解くのですが(私は歴史学の人間であり、国文学の人ではありませんので)とくに何かを調べたりしたわけでもなく、ただ単に歌を鑑賞してボンヤリと心に浮かんだことをこのような拙い文に致しました。解釈等に間違いがありましたら、どうかお許しください。


※見出し画像は大阪市の花博記念公園(鶴見緑地)で撮影した梅の花(2023年3月/九條正博 撮影)


©2024 九條正博(Masahiro Kujoh)
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