見出し画像

飛鳥時代の様相 〜いま考えていることなど〜

九條です。

何となくボンヤリといま考えていることなど…。


四天王寺の諸相

我が国最初の本格的な伽藍[1]である摂津国・四天王寺の建築様式(平面プラン)は四天王寺式伽藍配置であり、創建瓦は素弁蓮華文軒丸瓦である[2]。

四天王寺は言うまでもなく厩戸皇子発願による上宮王家の氏寺である[3]。この四天王寺式伽藍配置は百済様式と考えられる。


法隆寺若草伽藍の諸相

同じく上宮王家の氏寺であった大和国・法隆寺若草伽藍も四天王寺式伽藍配置であり、その創建瓦は素弁蓮華文軒丸瓦である。

これら両寺の素弁蓮華文軒丸瓦は百済様式の瓦である。この四天王寺創建瓦と法隆寺若草伽藍創建瓦は同笵であることが確かめられている。若草伽藍のほうが時代はやや降る[4]。

ただし、法隆寺若草伽藍の廻廊は発掘調査の結果、当初は掘立柱建築であったことが解っている[5]。掘立柱様式では瓦は載せられない。載せようとした時点でその構造は瓦の重量に耐えることができず瞬時に倒壊してしまうであろう。万が一うまく載ったとしてもおそらく数カ月以内に不同沈下を起こして廻廊全体が倒壊するであろう。

若草伽藍においては創建時の廻廊以外の主要な堂宇は瓦葺きであったと考えられる。とくに金堂は玉虫厨子(国宝)の如く錣葺しころぶき(入母屋造の源流)であったであろうと考えられる。現在の法隆寺の金堂は白鳳期のもので入母屋造である。


飛鳥寺の諸相

いっぽう、四天王寺とほぼ同時期もしくはその竣工が僅かに遡る可能性もある蘇我氏の氏寺である大和国・飛鳥寺[6]は飛鳥寺式伽藍配置であり、これは高句麗様式であるとされている。

ただ、飛鳥寺創建瓦は百済様式の素弁蓮華文軒丸瓦を用いている。ただし四天王寺や法隆寺若草伽藍との同笵関係は確かめられていない[7]。


鞍作首止利の動向

また、飛鳥大仏および法隆寺釈迦三尊像は鞍作首止利(止利仏師)の制作と伝えられ[8]、これは北魏様式の造像であろうとされている。

その制作者である鞍作止利は鞍部多須奈の子で司馬達等しめのたちとの孫である。この鞍作氏(おびと)は東漢氏の配下にあり、古来より武具等を製作していた渡来系氏族だと言われている。鞍作氏の出自は詳しくは解っていないが、南朝もしくは百済系の渡来系氏族だという考えがある。


飛鳥文化の様相

このように見てくると、飛鳥文化は百済・高句麗・北魏・南朝など国際色豊かな文化であったことが伺える。当時の国際的な時代の空気を感じる。

とりわけ上宮王家と百済文化との結びつきは際立っているような印象を受ける。

新羅文化の到来は、もう少し後なのであろう。

なお、厩戸皇子(聖徳太子)の師は高句麗僧慧慈だと伝えられている[9]。


特論・上宮王家の動向

最後に、厩戸皇子は飛鳥の政治舞台からは身を引いて斑鳩に移住し、斑鳩寺(法隆寺若草伽藍)や斑鳩宮において仏教の研鑽に終始したと一般には言われてきた。

しかし斑鳩の地は大和盆地から河内・摂津(古市から四天王寺そして難波津)へと至る龍田越えルートの途中にあり、さらには難波津から瀬戸内航路を通り関門海峡を経て半島・大陸へと至る遣隋使のルートの要衝の地ともなっている。大和から見れば斑鳩は龍田越えの直前であり非常に重要な地である。飛鳥時代当時、大和盆地から大阪平野へ出るにはこの龍田越えのルートがおもに用いられた。すなわち厩戸皇子は大和への出入をしっかりと押さえていたのであるとも言える。

そのような斑鳩の地に厩戸皇子は権力の象徴である宮(斑鳩宮)と大伽藍(法隆寺若草伽藍)を建てたのである。政治から身を引くどころか、政治および外交に目を光らせていたと考えたほうが良いのではないか。彼の妻である刀自古郎女(蘇我馬子の娘)の立場を考えても、そして刀自古郎女との間にもうけた息子の山背大兄王の将来を考えてみても、厩戸皇子が政治の場から引退したとは考えにくいのではないだろうか?


【註】
[1]『日本書紀』推古天皇元年秋九月条
[2]宮本佐知子/佐藤隆「四天王寺とその周辺出土の古代瓦」『四天王寺旧境内遺跡発掘調査報告』財団法人大阪市文化財協会 1996
[3]『日本書紀』崇峻天皇二年秋七月条
[4]『平野山瓦窯跡発掘調査概報』八幡市教育委員会 1985
[5]『法隆寺若草伽藍跡発掘調査報告』奈良文化財研究所 2007
[6]『日本書紀』崇峻天皇二年秋七月条
[7]『飛鳥寺発掘調査報告』奈良国立文化財研究所 1958
[8]『日本書紀』推古天皇十三年夏四月条
[9]『日本書紀』推古天皇元年春正月壬寅朔丙辰条


【追記 2023.02.06】
当初この投稿は「飛鳥時代の空気感」というタイトルでしたが(これは私が独自に考えたタイトルだったのですが)検索してみると偶然にも2022年に同様のタイトルでのネット上のレビューがありましたので改題致しました。ご了承ください。すみません。


©2022-2023 九條正博(Masahiro Kujoh)
無断引用・無断転載等を禁じます。

この記事が参加している募集

学問への愛を語ろう

日本史がすき