【小話】自分の中にいる差別とにらめっこした
こんにちは。
今、アメリカで黒人差別の抗議運動が起きていますね。
SNS上でも様々な考えが発信されています。
#Blackouttuesday #Blacklivesmatter
「差別」というワードを見て、思い出したエピソードがいくつかありまして。
私なりに「差別」と改めて向き合って、考えたことをここに綴ります。
" Hay,Jap! Go to hell !"
私が6歳の時、姉とカナダに滞在した時の話です。
街を歩いていたら、
若い男の子数人が、通りすがりの私たちに向かって、
" Hay,Jap! Go to hell !" と親指を下に向けて言いました。
すると、姉はぶちギレて、男の子らに何か言い返して、
男の子らはSorryと言い残してどこかへ行きました。(小学生の日記みたい笑)
私はこの時、初めて「差別」というものを知りました。
姉は「いい経験になったね〜」と私に微笑んだ。
あの時、姉はどんな気持ちだったんだろうか。何を思ったんだろうか。
旅好きなので、定期的に海外へ行っているのですが、ここ数年、
差別的なことを言われたりされたりすることは、ほとんどなくなりました!
差別はやめよう!という何らかのムーブメントが世界中で起きて、
一人ひとりの認識や意識が変化したのだろうと、私はプラスに捉えています。
しかし、コロナ関係で、「アジア人差別」が起きた件も大変話題になりましたね。
(*ちなみに私は今年2月北欧を巡っていましたが、一切ありませんでした。)
中を覗いてみたら、「アジア人同士差別」もしているではありませんか!!!
私の中で遠ざかっていた「差別」という言葉が、すぐ目の前に立っていました。
差別はやめようと言う差別
教育実習のときの話です。
運動会の日、私が職員室へ行く用事のついでに、
もう一人の実習生(男性)のお弁当を片付けたんです。
すると、ある先生が、
「女だからってしなくていいの💢なんでそんなことしてるの?」
と全職員の前で大きな声で怒られたのです。
「職員室に用事があるついででした」と伝えたのですがね、、、
もうひとつ。
授業の導入で、子どもたちが大好きな妖怪を使おうと思い、
「一つ目小僧」を手書きで書いて用意していました。
すると、ある先生が、
「視覚障がい者に対する人権侵害に繋がるから他のやつに変えて」と。
その視点や考え方はとても大事だと思いますし、理解できます。
しかし同時に、私はすごく違和感を覚えました。
女性だから!!人権侵害!!差別ダメ!!という意識が強すぎたり、
敏感になりすぎていたりすることで、生じてしまう「差別」があるのでは?と。
差別は心の中にこれからも住み続ける
差別する気持ちって誰にでもあるものだと思っています。
私もされたし、してしまったし、知らぬ間にしてきたと思います。
差別は、見えにくいがゆえに気づきにくいですよね。
私の個人的な意見としては、差別そのものはなくならないと思います。
なぜなら、差別も人間の持つ心のうちの1つだと考えるからです。
しかし、差別を自認するための知識と差別を表に出さない意識や姿勢で
差別に苦しんだり悲しんだりする人は減らせると考えます。
なくならない差別とどう向き合うか
「もしかしたら、差別しているかもしれない」という意識を持ち続ける
ことが大切だと思います。
そして、①尊重する気持ち ②知る努力 ③考える ④いつも心がける ことを
やめてはいけないと思います。
同じ意見や考え、価値観である必要はないですし、誰も求めていません。
これは、いじめでも同じことが言えますね。
自分の中にある差別を知るのも、決して楽ではありませんよね。
でも、自分と違うものを排除・拒絶したり、
自分は正しい・正義だと思い込んだりしていると
正しい情報や知識を得る機会を遮断してしまいます。
見えるものも見えなくなってしまいます。根本的な解決になりません。
知っていてする差別も、
知らないうちに(無知、無意識)でしてしまう差別も、
自分の中で減らすことができると思っています。
人種、国籍、宗教、文化、年齢、学歴、障害の有無、性別、職業、性格など
人の数だけ違いや差は生じます。
自分の中にある差別を知ったり認めたりすることは、
苦しくて悲しいことかもしれません。
でも、「人の数=差別の数」という世界はもっと苦しくて悲しい。
私はそう思います。
そして、差別を考えるというのは、
どんな人になりたいか、どのように生きたいかを考えることにも繋がります。
だから私は、
「違いや差を楽しめる人でありたい」
そして、
「違いや差を楽しめる人を増やしたい」
「違いや差に苦しむ人を減らしたい」
この記事を書いていて、自分自身振り返る機会になりました。
こういったムーブメントが起きると、
「関係ない人間が言うな!」「影響力のある人間が意見するな!」
「私たちだってこんなことされた!」という意見をよく見かけますが、
みんなが自分のことのように、相手の立場に立って、
思ったり感じたり考えたりするのってとても素敵なことだと思います。
また、歴史的背景や置かれている状況など、様々な要素があるので、
苦しみや悲しみの重さを比較するのは、意味はあまりないと思います。
それよりも私は「考える機会になってよかったな、私にできることって何かな」
と思うようにしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました!!!!!!