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ツイン・ピークス面白かった

デヴィッド・リンチの『エレファント・マン』は子供の頃にテレビでやってたのを見た記憶があった。白黒だし、なんか怖い印象として記憶に残っていた。最近観返したら自分の中の映画ベスト5に入るくらいよかった。『エレファント・マン』。

子供の頃の記憶では、自分の頭の中で、『ザ・フライ』と『スパイダーマン』と、この『エレファント・マン』がごっちゃになっていて、なんかガラスのドームみたいな所にハエが捕らえられているみたいな場面はいつ出てくるんだ、と思って観ていたが、とうとう出てこなかった。『ザ・フライ』である可能性が高い。

『エレファント・マン』を観て、いいぞ、すごいぞ、デヴィッド・リンチ!?、デヴィッド・リンチ!?と思ったので、デヴィッド・リンチの映画を全部観た。昔観て、そうでもないと思っていた『イレイザーヘッド』も前よりかは、いいと思えた。今後観返した際にはお気に入りになる可能性は高い。2回以上観ないと理解できないような作りの作品も多数だったので、それらは日を置いて観返したい。

意味が明瞭でなくとも、映像と音にひたる、そして部分と部分を自分の頭の中でつなげていく、謎と謎を自分の頭の中でつなげていき謎にせまる、みたいな見方がデヴィッド・リンチの映画の見方だと、自分なりに分かった。

あと、監督本人も絵を描く人だということで、とても絵画的な映画だと感じた。風景画の中で人物が動く、みたいな感覚で観れる場面も多い。きっとそういう意識で撮っているのだろう。

映画を全部観終わったので、タイトルだけは聞いたことがあったデヴィッド・リンチ監督のテレビドラマ『ツイン・ピークス』を観ることにした。



面白かった。『ツイン・ピークス』。途中からは、ドーナツとコーヒーを用意して観た。楽しかった。エージェント・クーパーをずっと観ていたい。色々なタイプの人物が出てくるが、クーパーがいることが救いに感じた。また、オープニングのテーマ音楽にはとても癒やされた。

「ツイン・ピークス」とは、架空の町の名前で、2つの山の頂といった意味らしい。このタイトルには、善と悪、2つの頂点、みたいな意味も込められているっぽい。悪の描かれ方としては、悪霊が取り憑く的な感じであり、このへん、村上春樹の『羊をめぐる冒険』を思い出した。羊憑き。悪魔憑き。また、シーズン3のダギー・ジョーンズには『海辺のカフカ』のナカタさんを連想した。悪でも善でもない、空っぽのような人物。デヴィッド・リンチと村上春樹は作家性で似ているのかもしれない。現実の生活感をじっくり描写するところと、ファンタジー・オカルト・SF的なものの混ぜ方の感じが似ていると言えるかもしれない。

作品の制作の流れとしては、1990~91年の『ツイン・ピークス』シーズン1・2(テレビドラマ)、そのあと1992年の『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』(映画。ドラマの前日譚的な内容)、そして2017年のテレビドラマ『ツイン・ピークス The Return』(シーズン3。最近の作品。)ということらしい。私も今回その順番で観た。(そしてまたいつかシーズン1から観返すだろう。)

シーズン2の劇中で「25年後にお会いしましょう」というセリフがあり、実際にリアルの時間で、25年後に、シーズン3がつくられた・・・という。すごい話だ。シーズン3は、シーズン2の25年後の話で、俳優も25歳分、年をとって同じ役で出てくる。この人、こうなったのか、という年月を、役と役者の両方で感じることが出来る。そういう、とても珍しいドラマ体験が出来る。

最近の作品であるシーズン3『ツイン・ピークス The Return』は、テレビドラマのフォーマットだが、「ひとつながりの映画としてつくった」というようなことをデヴィッド・リンチ監督が言っており、18時間の映画といえるようなものになっている。

また、ミュージシャンがライブする映像の配置の仕方が、デヴィッド・リンチは「生きている音楽」の使い方をしていると感じる。よい。音楽と生活の地続き感がある。




絵に描きたくなるような特徴的なアゴの持ち主、カイル・マクラクラン。


デヴィッド・リンチ。難解といわれるような映画が多く、実際そうだったが、謎が解かれることなく「あれなんだったんだ?」みたいな場面もあったが、謎が解決することよりも、謎を解決しようとする姿勢みたいなものの方が重要なのだと言えるのかもしれないと思った。その、謎を解決しようとする姿勢を、スペシャル・エージェント・デイル・クーパーに感じ、好感をもったのかもしれない。


赤いカーテン…白黒の床…たまらない。。。



おもしろかったら100円ちょーだい!