隠れていた「自己無価値感」を発見!

最近、「自分が何を感じているか、思考しているかに意識を向けるようにしている」ことについて書いている。

これを「マインドフルネス」というのかなと思ったりしているが、それについての知識はあまりないのでよく分からない。


そうして自分の感じていること、考えていることに注意を向け続けていると、ある一つの自動思考のようなものがあるのに気づいた。

それは、「私といても(私に好意を向けられても)人は喜ばない」という、自己否定感・自己無価値感の強い考え方だ。

人との関係について考えているとき、この思考がベースにあることに気づいてちょっとびっくりした。

たしかに以前は超絶自己否定の激しい自分だったが、最近では「人は存在するだけで価値がある」ということも実感できるようになり、自己の価値を認め、自分に優しく大切にできるようになったと思っていたのに。

なにか、

「私といても、その人に得なるようなこと(話が面白くて楽しいとか情報をたくさん知っているとか)はないからなあ」

「私と一緒にいるのは、好意を向けられるのは嫌に違いない」

というような気持ちが、はっきりと表に出てくるわけではないが、思考のベースに隠れているような状態であることを発見したのだ。


もしかしたら、これは最後の最後まで残っていた自己否定感・自己嫌悪の残り火なのかもしれない。

気づいたからには、もうこれを消滅させたい。

なので、この思考が考え方のベースにあるのに気づいたら、

「いや、私は他の人たちと同じように宇宙でたった一人の貴重で価値ある存在なんだ」

「もしも相手にとって得なことがないと思われても、私は存在するだけで価値がある」

などの思考に切り替えるようにしている。


私の自己否定感や自己無価値感は長い年月をかけて育ってしまったものなので、一度になくすのは難しい面があるのかもしれない。

しかし、自分で自分を否定したり価値がないと思っていたら、他の人との関係にそれが反映されて人からもそういう扱いを受ける。

それは宇宙の法則的なことを考えれば当然のことだ。

とにかく今回はそういう隠れていたベース的な思考に気づくことができてよかったと思っている。

少しずつでも本当に自分の価値を認め、より大切にできるようになっていきたい。

自己無価値感があるのが悪いというわけではないが、私は自分を肯定して大切にしていられる方が居心地がよいので、そこを目指していこうと思う。

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