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【エッセイ】-鬱と私②- そして音楽は流れ出す

さて、そんなわけで昨日の続きを。
前回の内容を読んでない方は、以下から。

また重ねて。
浮上編にはなるのだけれど、継続してセンシティブな話題なので、前回同様にいまは読めないなと思う方は、どうぞ自衛をお願いいたします。

ではでは、いざ。


ひねくれ者は立つことにした

そんなこんなで、ようやっと病院に行こうと思えたので行きかけた。
自分にとって、自分自身に対していろんな許容が求められるこれは、なかなかの大きな決断だった。

この決断のおかげで、私の時間はまたゆっくり動き始める。

耳毛の生えたじいちゃん先生に、なかなか深刻な鬱状態だと診断された。
相応にショックを受け、病室でたくさん泣いた。本当に、どこででもすぐ泣くヤツである。

通院に加えて、カウンセリングなるものも、受けた。

ただ…何というか。
カウンセリングとか心理学とか、そういう類のことを一旦齧ってしまった人間って、それを「受ける側」に回ったとき、素直にその効力を受けにくいなと思った。

実は、私のかつての目標の一つにスクールカウンセラーがあった。

しかしあまりに自分の感受性が強く、感情移入しすぎて飲まれてしまうとなったので、早々に諦めたのだが、そのときの知識などがずっと私に「冷静」を突きつけていた。

カウンセリングも、まあ話せと言われたから経験や考えていることを話しはしたけれど、ずーっと心の奥で「あなたに話したとて何も変わるまい」と思っていた。
何なら、「こういう心理状態の赤の他人と話す人って、何を思っているのだろうなあ」とすら思っていた。


ひねくれ者は、どこまでもひねくれ者なのだった。


カウンセラーに言われることは、ほぼほぼ自覚していたり、実行しようとしていたりすることで、いよいよ「私は何でこの人に、こんなこと話しているのだろう」という気持ちになった。

そんなわけで、私は数回受けただけでカウンセリングを無意味と感じてしまい、通院で薬を処方してもらうだけの形に落ち着いた。

処方された精神安定剤のようなものを飲むと、四六時中頭がぼんやりして、思考力が落ちたなあと自覚する。
「なるほど。こうして考えることを一旦手放して、脳みそを休めろと言うことか」と理解し、それに従うことにした。

そういう「自分を客観的に観察する視点」は、どこまで行っても無くならず、私は「私」をぼんやりと観察する日々を過ごした。


薬の影響もあって、この辺りの記憶は何もかもモヤがかかっている。
多分何もしてなかった、何ならやはりまだ何もできなかったのだと思う。

薬の力を借りて、夜に眠ることもできるようになってきた。

ただし、それを飲むと翌朝までかなり残って、なかなか目が覚めなかった。体が起きても、頭が起きるまでのラグがかなりあった。

冬眠って、こういう感じかなと想像した。冬眠したことないけど。

自分の体を実験体にして、日々調整を重ねるような生活になった。
自分でありながら自分ではないようで、興味深かった。

暇すぎて、毎日自分を観察していた。どんなだ。
この辺りで「あ、私暇をしているのか」と少し安心もした。

ただただ周囲に恵まれた

ちなみに、前回の記事で書いた「パスコードど忘れ事件」についてだが、結局何もかもにロックがかかり、見事にデータを初期化するしかなくなった。

端末そのものも、工場出荷時の状態に戻ることとなり、バックアップデータは一年半ほど前のものしか残っていなかった。

ばっかやろー!
バックアップはこまめに取れー!という、大きな気づきを得た。

そりゃそう。
本当に、とんだ大馬鹿者である。

ただ、図らずも「一番混乱していた時期」のデータが吹き飛んだことで、カメラロールからもLINEの履歴からも、「混沌の痕跡」が全て消えた。

LINEはパソコンに連携していたから、概ねの履歴は引き継げたけど、カメラロールも入れていたアプリも、それぞれ消えたものが多く、強制的に「過去と決別」したような感じになった。

これ、私にとってはわりと良いことだったような気がする。
人生における、強制断捨離。

欲張りで、何でも両腕に抱えたがる自分にとって、ショッキングではあったけれど、大きなターニングポイントになった。
結果的にはラッキー。


日々、ジタバタとドタバタを繰り広げながら、私は「私」を「どうにかしよう」と躍起になっていた。


そんなときに、寄り添ってくれたのが友人たちであった。

外に出たがらない私のために、実家まで度々顔を見にきてくれた友人がいた。
晩御飯を一緒に食べようときてもらったのに、私の体調が途中から悪くなり、結局帰ってもらうなんてこともザラだった。

自宅から車を飛ばして、私の実家前まで来て「そこのコンビニまでアイス買いにいこー」と、寝間着のままの私を助手席に乗せ、コンビニアイスをたくさん買い込んで、顔だけ見て帰るような友人もいた。

遠い海の向こうから、いろいろ忙しい中わざわざ気にかけて時差を活用?して、こちらの夜中のタイミングに連絡を寄越し、生存確認をしてくれる友人もいた。

仕事が忙しい中、自分もいろいろ大変なのに、貴重な休日を費やして実家の最寄駅まで会いにきてくれた友人もいた。

そこそこに自分の説明が付くくらい持ち直してからではあるが、まだ霧の中でもがいていたくらいのタイミングで、時間を作って会ってくれた教え子も、いた。

何より、親をはじめ家族がみんな、ただただ私を黙って見守ってくれた。
いろいろ事情があって、「見守る」耐性がついていたおかげもあるとは思うが、本当に忍耐強く私を見守ってくれた。

いまこれを書いていて、ここまでわりと淡々と書いてこれたのに、何だか突然泣けてきた!すーぐ泣く。

やばいなあ。恵まれてるなあ、私。
スーパーハッピーマンだなあ。安直なネーミング。

控えめに言って、最高な人たちに救われまくった時期だった。

その辺りに気がついたとき、ものすごくあっさりとだけど「あ、私の人生捨てたもんじゃないな。生きててよかったー」と思った。

大変義理を重んじる人間なので、あの時期に私に関わってくれた人に関しては、この世の終わりまで愛するつもりである。勝手に。愛は激重。

そして音楽は流れ出す

そんなわけで、私は少しずつ「私」を立て直していくことになった。

大抵のことに関して、できないことはできなくても良いやと思えるようになった。
何というか、前よりもいっそう「できないこと」よりも「できること」に目を向けようと考えるようになった。

自分自身に対して、いい意味で「諦め」も肝心だと思えた。

だってできないこと数え出したら、本当にキリがないものねえ。

自分の不完全さやポンコツさを、本当に暗いところから理解したことで、他者への理解も深まった気がする。

私の得手は、あなたの不得手。
あなたの得手は、私の不得手。

ほーんと、そんなもんなんだよなあー。

これまで以上に、いろんなことに寛容になった。
いろんなことを許せるようになった。


とりあえず、いろんなものを愛してみようと思った。


これまでよりずっと落ち着いて、ゆったり物事を「受け止め」られるようになった。


起きたことに共感して、背中を撫でてくれる存在の大きさにも気づけた。
これに関しては、自分がここまでしてきたことは、間違いではなかったなと思えた。

併せて、マルチタスクは、ほぼできなくなった。

これをしながらあれをして、それを考えつつこっちもやる…みたいなことは、もう本当にてんでダメになった。

よって、料理がほぼできなくなった。

かつて、効率よく最短距離を走るような料理の仕方をして、コスパも考えて…と頑張っていた。
「できていたのに、できなくなった」という事実を受け止めるのが、苦しくて少し大変だった。

でも、まあ…
できなくなっちゃったもんは仕方ないんですよねえ。

見ようによっては開き直りとも言える、自己理解を勝手に深めて、私は「無理をする」ことをほぼ放棄した。


そんなある日、お風呂から出たら親に「久しぶりにあなたの鼻歌を聞いた」と言われた。

無自覚に歌った鼻歌を、偶然耳にした聴衆から知らされる…。
このとき、私の中に再び「音楽が流れ出した」ということを知った。

──少し、「越えた」と思うことができた。

あの中で得たもの、この先にあるもの

そんなわけで、ジタバタしながらも自分なりの「生き方」を模索しつつ今に至る。

今が完全かと言われたら、多分答えは「いいえ」。
まあ、何を持ってして完全かはわからないのだけれども!

昔ほど、要領良くテキパキとマルチタスクをこなす自信は皆無だし、なーんか今日調子悪いなーって日もまだまだある。
何なら、多分「元の状態」には戻ることがないだろうなという予感もある。

だって張本人が、「もうそんなに頑張れないけど別にいっかー」と開き直っているから。もはや、元に戻る気がないという。

相変わらず寝るのはあまり上手くないし、薬の副作用もあってか体は元気に丸々としている。
多分10kgほど、命の重さが増えた。やっちまったなあ!


それでも。
今はいい、それでいい。

何というか、巡りめぐって辿り着くべき場所に辿り着いているような気はする。

やってみたいと思えることも、見つけた。

欲望は、未来を信じている人しか抱かない。
したいことや欲しいものは、明日を生きる希望になる。

そういう諸々を、身を持って知った。
なかなかハードだった気がするけど、ものすごく勉強になった。

百聞は一見にしかず。
いざその状況にいる「当事者」になって、初めてわかることもたくさんあった。

そんな今日も、やっぱりちゃんと死ぬことは怖いし、世の中は悲しい情報に溢れている。
自分一人いなくても多分世界は変わらないが、自分一人が変われば自分や誰かの世界は少し、変わる──。

この先がどうなるかは、検討もつかない。

けれども、数年前と比べ、人生の底から眩しい空を見上げてベソベソしつつ歩いてきたことで、多少なり「人として」成長した気はする。

…まあ元々、わりとできた人間ですけどね?←こういうところがある


誰にでも起こりうる青天の霹靂は、私に「恐ろしい人生の暗闇」を教えた。
併せて「その闇の中に光るものの美しさや、ありがたさ」を教えてくれたってわけです。

かつての私と、今悩むあなたへ

さて、長くなったけど私がこれらの記事で言いたいことはただ一つ。

こういう経験は誰にでも、起こり得るということ。

別に、鬱になる人が特別なわけではない。
何もおかしくは、ないよ。

こういうことは本当に誰にでも起き得る、人生のアクシデントなのだ。

そして、風邪を引いたら薬を飲むように、指を切ったら絆創膏を貼るように、心が風邪を引いたら、専門医の世話になる。何ら恥じることではない。
…と、今なら素直に、本心からそう思う。

百人いたら、百通りの乗り越え方がある。

ものすごく当たり前なのだけど、起きることは万事他人と比べるものではない。

結局、自分の人生を生きられるのは「自分」だけなのだ。そりゃそう!

時間が解決することもわりとある。侮れない。

小学生の頃、二重跳びができなくて泣いた記憶がある。
あのときは本当に深刻に「できない」ことに悩んだけれど、大人になった今なら「二重跳びができなくても困らない」ということを、私は知っている。

恐らく、大人はみんな「知っている」。

多分「いま」はいつかちゃんと「過去」になる。

さらに言うと、失敗も成功も、混乱も悩みも、怒りも悲しみも全部全部あなたに起きたことは「あなたのもの」。

不幸も幸せも、本当に、人と比べるものではない。


よく言うじゃない。

人生は配られたカードで勝負をするしかない。
私はその配られたカードごと、「あなた」を許容するよ。

何も上手くは言えないのだけれど、私は「そのままのあなた」を見るよ。

際限なく言葉を並べても陳腐になるだけだから、これ以上は差し控えるけれど、あなたが両手を広げてこちらを向くなら、私はいつでもそのまま全部を抱きしめるよ。

そうして私は、これからも「私」と上手く付き合っていけたらいいなと思っている。

まだまだ人生の途中。
この先何か起きるかわからないけれど、私は多分前よりものらりくらりと、少しは上手く泳げるようになったと思う。

ひねくれずに、言葉通り「止まない雨はない」し、「明けない夜は、ない」。

暗闇で惑う人がもしいるなら、光量は小さいけれど一つの星を抱えて、私はあなたを見守りたいと思っている。

おまけのあとがき

偉そうなことを言いたいわけではない。
何かしらを誇示したいわけでも、教え諭すつもりもない。

正解を示したいわけでも、ない。正解なんてない。

これはただの「私」の話だ。

センシティブな話題だ。
もしかしたら、あまり大々的に言うべき話しではないのかもしれないと、書くかかなり迷った。

それでも、私は「私の言葉」で「私の記録」として残しておきたいと思った。

これは一個人のただの記録だ。

少し前から、心が風邪を引いた教え子とちらほら連絡を取っていた。

素知らぬふりをして、話しを聞き続けるのは不誠実な気がして、私は可能な限り「私の経験」を書いてみることにした。きっかけは、そういうこと。

ただ、それだけだ。

ただただ、いまの私は明日も明後日もその先も、地に足をつけて「私」をのんびり生きていこうと思っている。


上手くこの感覚が伝わっているかはわからないけれど、いろいろ誤解なく届いていたらいいな。

ちなみにここまで読んでいたとしたら、あなたはこの記事だけで5000文字以上を読んだことになります。笑

最後まで、読んでくれた方に心から感謝を。
長々とお付き合い、ありがとうございました。

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