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【思考】突然湧く合唱への想い

最近よく思い出す曲がある。

いつだったか、演奏会で歌ったもの。

谷川俊太郎氏の詩に、信長貴富氏が曲をつけた混声合唱組曲「朝のリレー」の三曲目、「美しい夏の朝に」という曲。

YouTubeで検索して、上位にきたものをのんびり聴き、一番気に入った「東京大学コーロ・ソーノ合唱団」さんのものを拝借。

この曲何が好きって、歌詞がいいんだよなあ。
さすが谷川俊太郎さん。

巨人になりたい、と繰り返される中で描かれる景色。

山も雲も、青空も両腕に抱き収められるくらいの大きさ。
幸せを指でつまんでポケットに入れて夜に向かい、全ての憧れを小鳥のように捕まえてしまう。
日記に歴史を記し、革命の悲惨や裏切りの栄光を残らず両手にすくい取る…。

そんな、巨人になりたいと繰り返し綴られる中で、私が一番好きなのが以下の部分。

暗黒の宇宙に身を投げ
銀河の流れに泳ぎ
両腕に地球を抱きしめ
黙って涙をこぼしている
限りなく無力な
巨人になりたい

谷川俊太郎「美しい夏の朝に」より抜粋

この辺りに、ものすごく宮澤賢治みを感じてたまらない気持ちになる。誰が理解できるのかというニッチな感覚。

何でもできそうなくらい大きくて強いのに、その「命の性質」ゆえ無力で地球を抱きしめ黙って泣くしかない。
そんな心優しい巨人を思い浮かべて、胸がいっぱいになるのだ。

あれだ。巨人と言ったら、小川洋子さんの「巨人の接待」も思い出されるね。
私の知る範囲で、「巨人」は穏やかで優しくて強いイメージの象徴として描かれがちだな。

ちなみに詩の最後は、こう結ばれる。

そうでなければむしろ
一匹の蟻になりたい
露草の迷路に果てなく迷い
いつまでも迷いつづけ
それでいい
この美しい夏の朝に

谷川俊太郎「美しい夏の朝に」より抜粋

大人になっても、どうしようもないことなんて本当にたくさんある。

結局無力ならば、露草の迷路に果てなく迷い続ける「一匹の蟻」になりたい。

小さければ小さいだけ、その命が世の中に及ぼす力などたかが知れてる。大きくても何もできないなら、もういっそのこと生きるも死ぬも、世界に波風を立てることのない「一匹の蟻」になりたい──。

詩の解釈が合っているとか間違っているとかは、感性の問題ということでお茶を濁すとして、私はこの感覚がよくわかるなあと思う。

この曲集、一曲目の「朝のリレー」もいいんだよなあ。


詩のことばかりに触れてきたが、もちろん音楽もいい。

信長貴富さん、素敵な作曲家だ。
3:30〜の「それでいい」のリフレイン辺りから目を瞑って聴きたくなる。

彼は他に、どんな曲を書いていたっけなとそのままYouTubeに戻る。際限ない、音楽の渦に飛び込むような感覚になる。

いろいろ見ていたら、彼の楽曲で好きな作品に、「ヒスイ」という曲があることを思い出した。

正式には、無伴奏混声合唱のための「カウボーイ・ポップ」より「ヒスイ」。

これもいろいろ聴いてみたけれど、2:52あたりからの盛り上がり方が一番好きだったこちら「ジュニア&ユースコーラス“Raw-Ore”」さんの動画を拝借。

ああ、良いなあ。
無伴奏曲の、音を積んで緻密に編んでいく感じが、たまらなく好きだなと改めて自覚する。

好きだった曲、強弱記号等はさすがに曖昧だけれど、今でも多分ほぼ暗譜で歌えると思う。

どんなときだって、音楽は私に近い──。

そんな中、かつて所属させてもらっていた合唱団のこともふと思い出す。

自分の未熟さゆえ、不義理な終わり方をしてしまったことも忘れてはいない。
仕事の忙しさにのまれてしまい、ご挨拶もままならず遠のいてしまったなあ。申し訳ないことをしてしまった…。

いろんな想いが、ひっそりとぐるぐるする。

いつになく少々マニアックな記事になったのだけど、結論として何が言いたいのかというと「音楽はいいよね!」ってこと!

今夜は何を聴きながら眠る準備をしようかな。

おやすみ、世界。

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