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第50帖 宿木(やどりぎ)

内容

第1章 藤壺

 そのころ後宮で藤壺と言われていたのは亡き左大臣の女の女御であった。帝がまだ東宮でいらせられた時に、最も初めに上がった人であったから、親しみをお持ちになることは殊に深くて、御愛情はお持ちになるのであったが、それの形になって現われるようなこともなくて歳月がたつうちに、中宮のほうには宮たちも多くおできになって、それぞれごりっぱにおなりあそばされたにもかかわらず、この女御は内親王をお一人お生みすることができただけであった。自分が後宮の競争に失敗する悲しい運命を見たかわりに、この宮を長い将来にかけて唯一の慰安にするまでも完全な幸福のある方にしたいと女御は大事にかしずいていた。御容貌もお美しかったから帝も愛しておいでになり、中宮からお生まれになった女一の宮を、世にたぐいもないほど帝が尊重しておいでになることによって、世間がまた格別な敬意を寄せるという、こうした点は別として、皇女としてはなやかな生活をしておいでになることではあまり劣ることもなくて、女御の父大臣の勢力の大きかった名残はまだ家に残り、物質的に不自由のないところから、女二の宮の侍女たちの服装をはじめとし、御殿内を季節季節にしたがって変える装飾もはなやかにして、派手でそして重厚な貴女らしさを失わぬ用意のあるおかしずきをしていた。宮の十四におなりになる年に裳着の式を行なおうとして、その春から専心に仕度をして、何事も並み並みに平凡にならぬようにしたいと女御は願っていた。自家の祖先から伝わった宝物類も晴れの式に役だてようと捜し出させて、非常に熱心になっていた女御が、夏ごろから物怪に煩い始めてまもなく死んだ。残念に思召されて帝もお歎きになった。優しい人であったため、殿上役人なども御所の内が寂しくなったように言って惜しんだ。直接の関係のなかった女官たちなども藤壺の女御を皆しのんだ。女二の宮はまして若い少女心にお心細くも悲しくも思い沈んでおいでになろうことを、哀れに気がかりに思召す帝は、四十九日が過ぎるとまもなくそっと御所へお呼び寄せになった。その藤壺へおいでになって帝は女二の宮を慰めておいでになるのであった。黒い喪服姿になっておいでになる宮は、いっそう可憐に見え、品よさがすぐれておいでになった。性質も聡明で、母の女御よりも静かで深みのあることは少しまさっているのをお知りになって、御安心はあそばされるのであったが、実際問題としてはこの方に確かな後援者と見るべき伯父はなく、わずかに女御と腹違いの兄弟が大蔵卿、修理大夫などでいるだけであったから、格別世間から重んぜられてもいず地位の高くもない人を背景にしていることは女の身にとって不利な場合が多いであろうことが哀れであると、帝はただ一人の親となってこの宮のことに全責任のある気のあそばすのもお苦しかった。
 お庭の菊の花がまだ終わりがたにもならず盛りなころ、空模様も時雨になって寂しい日であったが、帝はどこよりもまず藤壺へおいでになり、故人の女御のことなどをお話し出しになると、宮はおおようではあるが子供らしくはなく、難のないお答えなどされるのを帝はかわいく思召した。こうした人の価値を認めて愛する良人のないはずはない、朱雀院が姫宮を六条院へお嫁がせになった時のことを思ってごらんになると、あの当時は飽き足らぬことである、皇女は一人でおいでになるほうが神聖でいいとも世間で言ったものであるが、源中納言のようなすぐれた子をお持ちになり、それがついているために昔と変わらぬ世の尊敬も女三の宮が受けておいでになる事実もあるではないか、そうでなく独身でおいでになれば、弱い女性の身には、自発的のことでなく過失に堕ちてしまうことがあって、自然人から軽侮を受ける結果になっていたかもしれぬと、こんなことを帝はお思い続けになって、ともかくも自分の位にいるうちに婿をきめておきたい、だれが好配偶者とするに足る人物であろうとお思いになると、その女三の宮の御子の源中納言以外に適当な婿はないということへ帝のお考えは帰着した。内親王の良人としてどの点でも似合わしくないところはない、愛人を他に持っていたとしても、妻になった宮を辱しめるようなことはしないはずの男である、しかしながら早くしないでは正妻というものをいつまでも持たずにいるわけはないのであるから、その前に自分の意向をかれにほのめかしておきたいとこんなことを帝は時々思召した。
 ある日帝は碁を打っておいでになった。暮れがたになり時雨の走るのも趣があって、菊へ夕明りのさした色も美しいのを御覧になって、蔵人を召して、
「今殿上の室にはだれとだれがいるか」
 と、お尋ねになった。
「中務卿親王、上野の親王、中納言源の朝臣がおられます」
「中納言の朝臣をこちらへ」
 と、仰せがあって薫がまいった。実際源中納言はこうした特別な御愛寵によって召される人らしく、遠くからもにおう芳香をはじめとして、高い価値のある風采を持っていた。
「今日の時雨は平生よりも明るくて、感じのよい日に思われるのだが、音楽は聞こうという気はしないし、つまらぬことにせよつれづれを慰めるのにはまずこれがいいと思うから」
 と帝はお言いになって、碁盤をそばへお取り寄せになり、薫へ相手をお命じになった。いつもこんなふうに親しくおそばへお呼びになる習慣から、格別何でもなく薫が思っていると、
「よい賭物があっていいはずなんだがね、少しの負けぐらいでそれは渡せない。何だと思う、それを」
 という仰せがあった。お心持ちを悟ったのか薫は平生よりも緊張したふうになっていた。碁の勝負で三番のうち二番を帝はお負けになった。
「くやしいことだ。まあ今日はこの庭の菊一枝を許す」
 このお言葉にお答えはせずに薫は階をおりて、美しい菊の一枝を折って来た。そして、

世の常の垣根ににほふ花ならば心のままに折りて見ましを
(世間の家の垣根に咲く花ならば、思いのままに手折って眺められましょうものを)

 この歌を奏したのは思召しに添ったことであった。

霜にあへず枯れにし園の菊なれど残りの色はあせずもあるかな
(霜に堪えかね枯れた園の菊だが、残りの色は褪せていないな)

 と帝は仰せられた。こんなふうにおりおりおほのめかしになるのを、直接薫は伺いながらも、この人の性質であるから、すぐに進んで出ようとも思わなかった。結婚をするのは自分の本意でない、今までもいろいろな縁談があって、その人々に対して気の毒な感情もありながら、断わり続けてきたのに、今になって妻を持っては、俗人と違うことを標榜していたものが、俗の世間へ帰った気が自分でもして妙なものであろう。恋しくてならぬ人ででもあればともかくもであるがと否定のされる心でまた、これが后腹の姫君であれば、そうも思わないであろうがと考える中納言はおそれおおくもあまりに思い上がったものである。
 この話を左大臣は聞いて、六の君との縁組みに兵部卿の宮の進まぬふうは見せられても、薫は一度はああして断わってみせたものの、ねんごろに頼めばしぶしぶにもせよ結婚をしてくれるはずであると楽観していたのに、意外なことが起こってきそうであると思い、兵部卿の宮は正面からの話にはお乗りにはならないでいて、何かと六の君に交渉を求めて手紙をよくおよこしになるのであるから、それは真実性の少ないものであっても、妻にされれば御愛情の生じないはずもない、どんなに忠実な良人になる人があっても地位の低い男にやるのは世間体も悪く、自身の心も満足のできないことであろうからと思って、やはり兵部卿の宮を目標として進むことに定めた。女の子によい婿のあることの困難な世の中になり、帝すらも御娘のために婿選びの労をおとりになるのであるから、普通の家の娘が婚期をさえ過ぎさせてしまってはならぬなどと、帝のお考えに多少の非難めいたことも左大臣は言い、中宮へ兵部卿の宮との縁組みの実現されるように訴えることがたびたびになったため、后の宮はお困りになり、宮へ、
「気の毒なように長くそれを望んで大臣は待ち暮らしていたのだのに、口実を作っていつまでもお応じにならないのも無情なことですよ。親王というものは後援者次第で光りもし、光らなくも見えるものなのですよ。お上の御代ももう末になっていくと始終仰せになるのだからね。あなたはよく考えなければならない。普通の人の場合は定った夫人を持っていてさらに結婚することは困難なのですよ。それでもあの大臣がまじめ一方でいながら二人の夫人を持ち、双方を同じように愛していくことができているという実例もあるではありませんか。ましてあなたはお上の思召しどおりの地位ができれば、幾人でも侍していていいわけなのだから」
 と、平生にまして長々御教訓をあそばすのを承って、兵部卿の宮御自身も無関心では決しておいでにならない女性のことであったから、それをしいてお拒みになる理由もないのである。ただ権家に婿君としてたいそうな扱いを受けることは、自由を失うことであろうと、その点がいやなようにお思われになるのであるが、母宮のお言葉どおりにこの大臣の反感を多く買っておくことは得策でないと、今になっては抵抗力も少なくおなりになった。多情な御性質であるから、あの按察使大納言の家の紅梅の姫君をもまだ断念してはおいでにならず、なお花紅葉につけ好奇心の対象としてそこへも御消息はよこしておいでになるのである。
 その年は事なしに終わった。

第2章 懐妊

 女二の宮の喪期も終わったのであるから、帝はもうおはばかりあそばすことはなくなった。
「御懇望にさえなればすぐにお許しになりたい思召しとうかがわれます」
 こんなふうに薫へ告げに来る人々もあるためあまりに知らず顔に冷淡なのも無礼なことであると、しいて心を引き立てて、女二の宮付きの人を通して、求婚者としての手紙をおりおり送ることもするようになったが、取り合わぬ態度などはもとよりお示しになるはずもない。帝は何月ごろと結婚の期を思召すというようなことも人から聞き、自身でも御許容あそばすことはうかがわれるのであったが、心の中では今も死んだ宇治の人ばかりが恋しく思われて、この悲しみを忘れ尽くせる日があろうとは思われぬために、こうまで心のつながれる因縁のあったあの人と、ついに夫婦とはならずに終わったのはどうしたことなのであろうとそれを怪しがっていた。身分がどれほど低くとも、あの人に少しでも似たところのある人であれば自分は妻として愛するであろう、反魂香の煙が描いたという影像だけでも見る方法はないかとこんなことばかりが薫には思われて、女二の宮との結婚の成立を待つ心もないのである。
 左大臣のほうでは六の君の結婚の用意にかかって、八月ごろにと宮へその期を申し上げた。これを二条の院の中の君も聞いた。やはりそうであった、自分などという何のよい背景も持たない女には必ず幸福の破綻があるであろうと思いつつ、今日まで来たのである。多情な御性質とはかねて聞いていて、頼みにならぬ方とは思いながらも、いっしょにいては恨めしく思うようなことも宮はしてお見せにならず、深い愛の変わる世もないような約束ばかりをあそばした。それがにわかに権家の娘の良人になっておしまいになったなら、どうして静めえられる自分の心であろう、並み並みの身分の男のように、まったく自分から離れておしまいになることはあるまいが、どんなに悩ましい思いを多くせねばならぬことであろう、自分はどうしても薄命な生まれなのであるから、しまいにはまた宇治の山里へ帰ることになるのであろうと考えられるにつけても、出て来たままになるよりも再び帰ることは宇治の里人にも譏らわしいことであるに違いない、返す返すも父宮の御遺言にそむいて結婚をし、山荘を出て来た自分の誤りが恥ずかしい、しかさせた運命が恨めしいと中の君は思うのであった。姉君はおおようで、柔らかいふうなところばかりが外に見えたが、精神は確としておいでになった。中納言が今も忘れがたいように姉君の死を悲しみ続けているが、もし生きていたらば、今の自分のような物思いをすることがあったかもしれぬ、そうした未来をよく察して、あの人の妻になろうとされなかった、いろいろに身をかわすようにして中納言の恋からのがれ続けていて、しまいには尼になろうとしたではないか、命が助かっても必ず仏弟子になっていたに違いない、今思ってみればきわめて深い思慮のある方であった、父宮も姉君も自分をこの上もない、軽率な女であるとあの世から見ておいでになるであろうと、恥ずかしく悲しく思うのであったが、何も言うまい、言っても効のないことを言って嫉妬がましい心を見られる必要もないと中の君は思い返して、宮の新しい御縁組みのことは耳にはいってこぬふうで過ごしていた。
 宮はこの話のきまってからは、平生よりもまた多く愛情をお示しになり、なつかしいふうに将来のことをどの日もどの日もお話しになり、この世だけでない永久の夫婦の愛をお約しになるのであった。中の君はこの五月ごろから普通でない身体の悩ましさを覚えていた。非常に苦しがるようなことはないが、食欲が減退して、毎日横にばかりなっていた。妊婦というものを近く見る御経験のなかった宮は、ただ暑いころであるからこんなふうになっているのであろうと思召したが、さすがに不審に思召すこともあって、
「ひょっとすればあなたに子ができるようになったのではないだろうか。妊婦というものはそんなふうに苦しがるものだそうだから」
 ともお言いになったが、中の君は恥ずかしくて、そうでないふうばかりを作っているのを、進み出て申し上げる人もないため、確かには宮もおわかりにならなかった。
 八月になると、左大臣の姫君の所へ宮がはじめておいでになるのは幾日ということが外から中の君へ聞こえてきた。宮は隔て心をお持ちになるのではないが、お言いだしになることは気の毒でかわいそうに思われておできにならないのを、夫人はそれをさえ恨めしく思っていた。隠れて行なわれることでなく、世間じゅうで知っていることをいつごろとだけもお言いにならぬのであるから、中の君の恨めしくなるのは道理である。この夫人が二条の院へ来てからは、特別な御用事などがないかぎりは御所へお行きになっても、ほかへおまわりになり、泊まってお帰りになるようなことを宮はあそばさないのであって、情人の所をお訪ねになって孤閨を夫人にお守らせになることもなかったのが、にわかに一方で結婚生活をするようになればどんな気がするであろうと、お心苦しくお思われになるため、今から習慣を少しつけさせようとされて、時々御所で宿直などをあそばされたりするのを、夫人にはそれも皆恨めしいほうにばかり解釈されたに違いない。中納言もかわいそうなことであると、この問題における中の君を思っていて、宮は浮気な御性質なのであるから、愛してはおいでになっても、はなやかな新しい夫人のほうへお心が多く引かれることになるであろう、婚家もまた勢いをたのんでいる所であるから、間断なしに婿君をお引き留めしようとすることになれば、今までとは違った変わり方に中の君は待ち続ける夜を重ねることになっては哀れであるなどと、こんなことが思われるにつけても、なんたることであろう、不都合なのは自分である、何のためにあの人を宮へお譲りしたのであろう、死んだ姫君に恋を覚えてからは、宗教的に澄み切った心も不透明なものになり、盲目的になり、あらゆる情熱を集めてあの人を思いながらも、同意を得ずに男性の力で勝つことは本意でないとはばかって、ただ少しでもあの人に愛されて相思う恋の成立をば夢見て未来の楽しい空想ばかりを自分はしていたのに、あの人は恋を感じぬふうを見せ続け、さすがに冷淡には自分を見ていない証として、同じ身だと思えと言って中の君との結婚を勧めたのであったが、自分にとってはただあの人の態度がくやしく恨めしかったところから、あの人の計画をこわして宮と中の君との結婚を行なわせてしまえばなどと、無理な道をとって狂気じみた媒介者になった時のことを思い出すと、不都合なのは自分であったと返す返す薫は悔やまれた。宮もどんな御事情になっていても、あの時のことをお思い出しになれば自分に対してでも少し御遠慮があっていいはずであると思うのであったが、また宮はそんな方ではない、あれ以来あの時のことを話題にされるようなことはないではないか、多情な人というものは、異性にだけでなく、友情においても誠意の少ないものらしいなどとお憎みする心さえ薫に起こった。自身があまりに純一な心から他人をもどかしく思うのであるらしい。あの人を死なせてからの自分の心は帝の御娘を賜わるということになったのもうれしいこととは思われない、中の君を妻に得られていたならと思う心が月日にそえ勝ってくるのも、ただあの人の妹であるということが原因になっていてその思いが捨てられないのである、姉妹といううちにもあの二人の女性の持ち合っていた愛は限度もないものであって、臨終に近づいたころにも、残しておく妹を自分と同じものに思えと言い、ほかに心残りはないが、自分がこうなれと願ったあの縁組みをはずされたこと、他へ譲られたことで安心ができず、その成り行きを見るためにだけ生きていたい気がするとあの人が言ったのであったから、あの世で宮の新しい御結婚のことなどを知っては、いっそう自分を恨めしく思うことであろうなどと、切実に寂しい独り寝をする夜ごとに薫は、風の音にも目のさめてこんなことが思われ、過去と未来を思い、この世を味気なくばかり思った。かりそめの情で愛人とし、女房として家に置いてある人たちの中には、自然と真実の愛も生じてきそうな人もあるはずであるが、事実としてはそんな人もない。いつも独身者の心持ちよりほかを知らなかった。そうした女房勤めしている中には、宇治の姫君たちにも劣らぬ階級の人も、時世の移りで不幸な身の上になり、心細く暮らしていたりしたのを、同情して家へ呼んだというような種類の女房が少なくはないのであるが、異性との交渉はそれほどにとどめて、出家の目的の達せられる時に、取り立ててこの人が心にかかると思われるような愛着の覚えられる人は作らないでおこうと深く思っていた自分であったにもかかわらず、今では死んだ恋人のゆかりの中の君に多く心の惹かれている自分が認められる、人並みな恋でない恋に苦しむとは自分のことながらも残念であるなどという思いにとらわれていて、そのまま眠りえずに明かしてしまった暁、立つ霧を隔てて草花の姿のいろいろと美しく見える中にはかない朝顔の混じっているのが特に目にとまる気がした。人生の頼みなさにたとえられた花であるから身に沁んで薫は見られたのであろう。宵のまま揚げ戸も上げたままにして縁の近い所でうたた寝のようにして横たわり朝になったのであったから、この花の咲いていくところもただ一人薫がながめていたのであった。侍を呼んで、
「北の院へ伺おうと思うから、簡単な車を出させるように」
 と命じてから装束を改めた。
 出かけるために庭へおりて、秋の花の中に混じって立った薫は、わざわざ艶なふうを見せようとするのではないが、不思議なまで艶で、高貴な品が備わり、気どった風流男などとは比べられぬ美しさがあった。朝顔を手もとへ引き寄せるとはなはだしく露がこぼれた。

「今朝のまの色にや愛でん置く露の消えぬにかかる花と見る見る
(今朝の間の色を賞美しようか。置く露が消えずに残り咲く花と思いながら)

 はかない」
 などと独言をしながら薫は折って手にした。女郎花には触れないで。
 明け放れるのにしたがって霧の濃くなった空の艶な気のする下を二条の院へ向かった薫は、宮のお留守の日はだれもゆるりと寝ていることであろう、格子や妻戸をたたいて案内を乞うのも物馴れぬ男に思われるであろう、あまり早朝に来すぎたと思いながら薫は従者を呼んで、中門のあいた口から中をのぞかせてみると、
「お格子が皆上がっているようでございます。そして女房たちの何かいたします気配がいたします」
 と言う。下車して霧の中を美しく薫の歩いてはいって来るのを女房たちは知り、宮がお微び場所からお帰りになったのかと思っていたが、露に湿った空気が薫の持つ特殊のにおいを運んできたためにだれであるかを悟り、
「やはり特別な方ですね。ただあまりに澄んだふうでいらっしゃるのが物足らないだけね」
 とも若い女房はささやいていた。
 驚いたふうも現わさず、感じのよいほどにその人たちが衣擦れの音を立てて褥を出したりする様子も品よく思われた。
「ここにすわってもよいとお許しくださいます点は名誉に思われますが、しかしこうした御簾の前の遠々しいおもてなしを受けることで悲観されて、たびたびは伺えないのです」
 と薫が言うと、
「それではどういたせばお気が済むのでございますか」
 女房はこう答えた。
「北側のお座敷というような、隠れた室が私などという古なじみのゆるりとさせていただくによい所です。しかしそれも奥様の思召しによることですから、不平は申し上げません」
 と言い、薫は縁側から一段高い長押に上半身を寄せかけるようにして坐しているのを見て、例の女房たちが、
「ほんの少しあちらへおいであそばせ」
 などと言い、夫人を促していた。
 もとから様子のおとなしい、男の荒さなどは持たぬ薫であるが、いよいよしんみり静かなふうになっていたから、中の君はこの人と対談することの恥ずかしく思われたことも、時がもはや薄らがせてなしやすく思うようになっていた。
「お身体が悪いと伺っていますのはどんなふうの御病気ですか」
 などと薫は聞くが、夫人からはかばかしい返辞を得ることはできない。平生よりもめいったふうの見えるのに理由のあることを知っている薫は、それを哀れに見て、こまやかに世の中に処していく心の覚悟というようなものを、兄弟などがあって、教えもし慰めもするふうに言うのであった。声なども特によく似たものともその当時は思わなかったのであるが、怪しいほど薫には昔の人のとおりに聞こえる中の君の声であった。人目に見苦しくなければ、御簾も引き上げて差し向かいになって話したい、病気をしているという顔が見たい心のいっぱいになるのにも、人間は生きている間次から次へ物思いの続くものであるということはこれである、自分はまたこうした心の悶えをしていかねばならぬ身になったと薫はみずから悟った。
「はなやかなこの世の存在ではなくとも、心に物思いをして歎きにわが身をもてあますような人にはならずに、一生を過ごしたいと願っていた私ですが、自身の心から悲しみも見ることになり、愚かしい後悔もこもごも覚えることになりましたのは残念です。官位の昇進が思うようにならぬということを人は最も大きな歎きとしていますが、それよりも私のする歎きのほうが少し罪の深さはまさるだろうと思われます」
 などと言いながら、薫は持って来た花を扇に載せて見ていたが、そのうちに白い朝顔は赤みを帯びてきて、それがまた美しい色に見られるために、御簾の中へ静かにそれを差し入れて、

よそへてぞ見るべかりける白露の契りかおきし朝顔の花
(姉君と思って自分のものにしておくべきでした。白露が約束した朝顔の花だから)

 と言った。わざとらしくてこの人が携えて来たのでもないのに、よく露も落とさずにもたらされたものであると思って、中の君がながめ入っているうちに見る見る萎んでいく。

「消えぬまに枯れぬる花のはかなさにおくるる露はなほぞまされる
(露が消えないうちに枯れゆく花のはかなさよりも、後れて残る露はもっとはかないのです)

『何にかかれる』(露のいのちぞ)」
 と低い声で言い、それに続けては何も言わず、遠慮深く口をつぐんでしまう中の君のこんなところも故人によく似ていると思うと、薫はまずそれが悲しかった。
「秋はまたいっそう私を憂鬱にします。慰むかと思いまして先日も宇治へ行って来たのです。庭も籬も実際荒れていましたから、(里は荒れて人はふりにし宿なれや庭も籬も秋ののらなる)堪えがたい気持ちを覚えました。私の父の院がお亡れになったあとで、晩年出家をされ籠っておいでになった嵯峨の院もまた六条院ものぞいて見る者は皆おさえきれず泣かされたものです。木や草の色からも、水の流れからも悲しみは誘われて、皆涙にくれて帰るのが常でした。院の御身辺におられたのは平凡な素質の人もなく皆りっぱな方がたでしたがそれぞれ別な所へ別れて行き、世の中とは隔離した生活を志されたものです、またそうたいした身の上でない女房らは悲しみにおぼれきって、もうどうなってもいいというように山の中へはいったり、つまらぬ田舎の人になったりちりぢりに皆なってしまいました。そうして故人の家を事実上荒らし果てたあとで、左大臣がまた来て住まれるようになり、宮がたもそれぞれ別れて六条院をお使いになることになって、ただ今ではまた昔の六条院が再現された形になりました。あれほど大きな悲しみに逢ったあとでも年月が経ればあきらめというものが出てくるものなのであろう、悲しみにも時が限りを示すものであると私はその時見ました。こう私は言っていましても昔の悲しみは少年時代のことでしたから、悲痛としていても悲痛がそれほど身にしまなかったのかもしれません。近く見ました悲しみの夢は、まだそれからさめることもどうすることもできません。どちらも死別によっての感傷には違いありませんが、親の死よりも罪深い恋人関係の人の死のほうに苦痛を多く覚えていますのさえみずから情けないことだと思っています」
 こう言って泣く薫に、にじみ出すほどな情の深さが見えた。大姫君を知らず、愛していなかった人でも、この薫の悲しみにくれた様子を見ては涙のわかないはずもないと思われるのに、まして中の君自身もこのごろの苦い物思いに心細くなっていて、今まで以上にも姉君のことが恋しく思い出されているのであったから、薫の憂いを見てはいっそうその思いがつのって、ものを言われないほどになり、泣くのをおさえきれずになっているのを薫はまた知って、双方で哀れに思い合った。
「世の憂きよりは(山里はものの寂しきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり)と昔の人の言いましたようにも私はまだ比べて考えることもなくて京に来て住んでおりましたが、このごろになりましてやはり山里へはいって静かな生活をしたいということがしきりに思われるのでございます。でも思ってもすぐに実行のできませんことで弁の尼をうらやましくばかり思っております。今月の二十幾日はあすこの山の御寺の鐘を聞いて黙祷をしたい気がしてならないのですが、あなたの御好意でそっと山荘へ私の行けるようにしていただけませんでしょうかと、この御相談を申し上げたく私は思っておりました」
 と中の君は言った。
「宇治をどんなに恋しくお思いになりましてもそれは無理でしょう。あの道を辛抱して簡単に御婦人が行けるものですか。男でさえ往来するのが恐ろしい道ですからね、私なども思いながらあちらへまいることが延び延びになりがちなのです。宮様の御忌日のことはあの阿闍梨に万事皆頼んできました。山荘のほうは私の希望を申せば仏様だけのものにしていただきたいのですよ。時々行っては痛い悲しみに襲われる所ですから、罪障消滅のできますような寺にしたいと私は思うのですが、あなたはどうお考えになりますか。あなたの御意見によってどうとも決めたいと思うのですから、ああしたいとか、そうしてもいいとか腹蔵なくおっしゃってください。何事にもあなたのお心持ちをそのまま行なわせていただけばそれで私は満足なのです」
 と言い、まじめな話を薫はした。経巻や仏像の供養などもこの人はまた宇治で行なおうとしているらしい。中の君が父宮の御忌日に託して宇治へ行き、そのまま引きこもろうとするのに賛同を求めるふうであるのを知って、
「宇治へ引きこもろうというようなお考えをお出しになってはいけませんよ。どんなことがあっても寛大な心になって見ていらっしゃい」
 などとも忠告した。
 日が高く上ってきて伺候者が集まって来た様子であったから、あまり長居をするのも秘密なことのありそうに誤解を受けることであろうから帰ろうと薫はして、
「どこへまいっても御簾の外へお置かれするような経験を持たないものですから恥ずかしくなります。またそのうち伺いましょう」
 こう挨拶をして行ったが、宮は御自身の留守の時を選んでなぜ来たのであろうとお疑いをお持ちになるような方であるからと薫は思い、それを避けるために侍所の長になっている右京大夫を呼んで、
「昨夜宮様が御所からお出になったと聞いて伺ったのですが、まだ御帰邸になっておられないので失望をしました。御所へまいってお目にかかったらいいでしょうか」
 と言った。
「今日はお帰りでございましょう」
「ではまた夕方にでも」
 薫はそして二条の院を出た。中の君の物越しの気配に触れるごとに、なぜ大姫君の望んだことに自分はそむいて、思慮の足らぬ処置をとったのであろうと後悔ばかりの続いて起こるのを、なぜ自分はこうまで一徹な心であろうと薫は反省もされた。この人はまだ精進を続けて仏勤めばかりを家ではしているのである。母宮はまだ若々しくたよりない御性質ではあるが、薫のこうした生活を危険なことと御覧になって、
「私はもういつまでも生きてはいないのでしょうから、私のいる間は幸福なふうでいてください。あなたが仏道へはいろうとしても、私自身尼になっていながらとめることはできないのだけれど、この世に生きている間の私はそれを寂しくも悲しくも思うことだろうから、結局罪を作ることになるだろうからね」
 とお言いになるのが、薫にはもったいなくもお気の毒にも思われて、母宮のおいでになる所では物思いのないふうを装っていた。

第3章 六の君

 左大臣家では東の御殿をみがくようにもして設備い婿君を迎えるのに遺憾なくととのえて兵部卿の宮をお待ちしているのであったが、十六夜の月がだいぶ高くなるまでおいでにならぬため、非常にお気が進まないらしいのであるから将来もどうなることかと不安を覚えながらも使いを出してみると、夕方に御所をお出になって二条の院においでになるというしらせがもたらされた。愛する人を持っておいでになるのであるからと不快に大臣は思ったが、今夜に済まさねば世間体も悪いと思い、息子の頭中将を使いとして次の歌をお贈りするのであった。

大空の月だに宿るわが宿に待つ宵過ぎて見えぬ君かな
(大空の月さえ宿る我が邸で、待つ宵が過ぎてもお見えにならないあなたですね)

 宮はこの日に新婚する自分を目前に見せたくない、あまりにそれは残酷であると思召して御所においでになったのであるが、手紙を中の君へおやりになった、その返事がどんなものであったのか、宮が深くお動かされになって、そっとまた二条の院へおはいりになったのである。
 可憐な夫人を見て出かけるお気持ちにはならず、気の毒に思召す心からいろいろに将来の長い誓いをさせるのであるが、中の君の慰まない様子をお知りになり、誘うていっしょに月をながめておいでになる時に使いの頭中将は二条の院へ着いたのである。夫人は今までも煩悶は多くしてきたが、外へは出して見せまいとおさえきってきていて、素知らぬふうを作っていたのであるから、今夜に何事があるかも聞かずおおようにしているのを哀れにお思いになる宮であった。頭中将の来たのをお聞きになると、さすがに宮はあちらの人もかわいそうにお思われになり、お出かけになろうとして、
「すぐ帰って来ます。一人で月を見ていてはいけませんよ。気の張り切っていない時などには危険で心配だから」
 とお言いになり、きまりの悪いお気持ちで隠れた廊下から寝殿へお行きになった。お後ろ姿を見送りながら中の君は枕も浮き上がるほどな涙の流れるのをみずから恥じた。恨めしい宮に愛情を覚えるのは恥ずかしいことであるとしていたのに、いつかそのほうへ自分は引かれていって、恨みの起こるのもそれがさせるのであると悟ったのである。幼い日から母のない娘で、この世をお愛しにもならぬ父宮を唯一の頼みにしてあの寂しい宇治の山荘に長くいたのであるが、いつとなくそれにも馴れ、徒然さは覚えながらも、今ほど身にしむ悲しいものとは山荘時代の自分は世の中を知らなかった。父宮と姉君に死に別れたあとでは片時も生きていられないように故人を恋しく悲しく思っていたが、命は失われずあって、軽蔑した人たちが思ったよりも幸福そうな日が長く続くものとは思われなかったが、自分に対する宮の態度に御誠実さも見え、正妻としてお扱いになるのによって、ようやく物思いも薄らいできていたのであるが、今度の新しい御結婚の噂が事実になってくるにしたがい、過去にも知らなんだ苦しみに身を浸すこととなった、もう宮と自分との間はこれで終わったと思われる、人の死んだ場合とは違って、どんなに新夫人をお愛しになるにもせよ、時々はおいでになることがあろうと思ってよいはずであるが、今夜こうして寂しい自分を置いてお行きになるのを見た刹那から、過去も未来も真暗なような気がして心細く、何を思うこともできない、自分ながらあまりに狭量であるのが情けない、生きていればまた悲観しているようなことばかりでもあるまいなどと、みずから慰めようと中の君はするのであるが、姨捨山の月(わが心慰めかねつ更科や姨捨山に照る月を見て)ばかりが澄み昇って夜がふけるにしたがい煩悶は加わっていった。松風の音も荒かった山おろしに比べれば穏やかでよい住居としているようには今夜は思われずに、山の椎の葉の音に劣ったように中の君は思うのであった。

山里の松の蔭にもかくばかり身にしむ秋の風はなかりき
(山里の松の蔭でもこれほどに身にこたえる秋の風は今までなかった)

 過去の悲しい夢は忘れたのであろうか。
 老いた女房などが、
「もうおはいりあそばせ、月を長く見ますことはよくないことだと申しますのに。それにこの節ではちょっとしましたお菓子すら召し上がらないのですから、こんなことでどうおなりになりますでしょう。よくございません。以前の悲しいことも私どもにお思い出させになりますのは困ります。おはいりあそばせ」
 こんなことを言う。若い女房らは情けない世の中であると歎息をして、
「宮様の新しい御結婚のこと、ほんとうにいやですね。けれどこの奥様をお捨てあそばすことにはならないでしょう。どんな新しい奥様をお持ちになっても、初めに深くお愛しになった方に対しては情けの残るものだと言いますからね」
 などと言っているのも中の君の耳にはいってくる。見苦しいことである、もうどんなことになっても何とも自分からは言うまい、知らぬふうでいようとこの人が思っているというのは、人には批評をさせまい、自身一人で宮をお恨みしようと思うのであるかもしれない。
「そうじゃありませんか、宮様に比べてあの中納言様の情のお深さ」
 とも老いた女は言い、
「あの方の奥様になっておいでにならないで、こちらの奥様におなりになったというのも不可解な運命というものですね」
 こんなこともささやき合っていたのである。
 宮は中の君を心苦しく思召しながらも、新しい人に興味を次々お持ちになる御性質なのであるから、先方に喜ばれるほどに美しく装っていきたいお心から、薫香を多くたきしめてお出かけになった姿は、寸分の隙もないお若い貴人でおありになった。六条院の東御殿もまた華麗であった。小柄な華奢な姫君というのではなく、よいほどな体格をした新婦であったから、どんな人であろう、たいそうに美人がった柔らかみのない、自尊心の強いような女ではなかろうか、そんな妻であったならいやになるであろうと、こんなことを最初はお思いになったのであるが、そうではないらしくお感じになったのか愛をお持ちになることができた。秋の長夜ではあったが、おそくおいでになったせいでまもなく明けていった。
 兵部卿の宮はお帰りになってもすぐに西の対へおいでになれなかった。しばらく御自身のお居間でお寝みになってから起きて新夫人の文をお書きになった。あの御様子ではお気に入らないのでもなかったらしいなどと女房たちは陰口をしていた。
「対の奥様がお気の毒ですね。どんなに大きな愛を宮様が持っておいでになっても、自然気押されることも起こるでしょうからね」
 ただの主従でない関係も宮との間に持っている人が多かったから、ここでも嫉妬の気はかもされているのである。あちらからの返事をここで見てからと宮は思っておいでになったのであるが、別れて明かしたのもただの夜でないのであるから、どんなに寂しく思っていることであろうと、中の君がお気にかかってそのまま西の対へおいでになった。まだ夜のまま繕われていない夫人の顔が非常に美しく心を惹くところがあって、宮のおいでになったことを知りつつ寝たままでいるのも、反感をお招きすることであるからと思い、少し起き上がっている顔の赤みのさした色などが、今朝は特別にまたきれいに見えるのであった。何のわけもなく宮は涙ぐんでおしまいになって、しばらく見守っておいでになるのを、中の君は恥ずかしく思って顔を伏せた。そうされてまた、髪の掛かりよう、はえようなどにたぐいもない美を宮はお感じになった。きまりの悪さに愛の言葉などはちょっと口へ出ず、なにげないふうに紛らして、
「どうしてこんなに苦しそうにばかり見えるのだろう。暑さのせいだとあなたは言っていたからやっと涼しくなって、もういいころだと思っているのに、晴れ晴れしくないのはいけないことですね。いろいろ祈祷などをさせていても効験の見えない気がする。それでも祈祷はもう少し延ばすほうがいいね。効験をよく見せる僧がほしいものだ、何々僧都を夜居にしてあなたにつけておくのだった」
 というようなまじめらしい話をされるのにもお口じょうずなのがうとましく思われる中の君でもあったが、何もお返辞をしないのは平生に違ったことと思われるであろうとはばかって、
「私は昔もこんな時には普通の人のような祈祷も何もしていただかないで自然になおったのですから」
 と言った。
「それでよくなおっているのですか」
 と宮はお笑いになって、なつかしい愛嬌の備わった点はこれに比べうる人はないであろうとお思いになったのであるが、お心の一方では新婦をなおよく知りたいとあせるところのおありになるのは、並み並みならずあちらにも愛着を覚えておいでになるのであろう。しかしながらこの人と今いっしょにおいでになっては、昨日の愛が減じたとは少しもお感じにならぬのか、未来の世界までもお言いだしになって、変わらない誓いをお立てになるのを聞いていて、中の君は、
「仏の教えのようにこの世は短いものに違いありません。しかもその終わりを待ちますうちにも、あなたが恨めしいことをなさいますのを見なければなりませんから、それよりも未来の世のお約束のほうをお信じしていていいかもしれないと思うことで、まだ懲りずにあなたのお言葉に信頼しようと思います」
 と言い、もう忍びきれなかったのか今日は泣いた。今日までもこんなふうに思っているとはお見せすまいとして自身で紛らわしておさえてきた感情だったのであるが、いろいろと胸の中に重なってきて隠されぬことになり、こぼれ始めた涙はとめようもなく多く流れるのを、恥ずかしく苦しく思って、顔をすっかり向こうに向けているのを、しいて宮はこちらへお引き向けになって、
「二人がいっしょに暮らして、同じように愛しているのだと思っていたのに、あなたのほうにはまだ隔てがあったのですね。それでなければ昨夜のうちに心が変わったのですか」
 こうお言いになり宮は御自身の袖で夫人の涙をおぬぐいになると、
「夜の間の心変わりということからあなたのお気持ちがよく察せられます」
 中の君は言って微笑を見せた。
「ねえ、どうしたのですか、ねえ、なんという幼稚なことをあなたは言いだすのですか。けれどもあなたはほんとうは私へ隔てを持っていないから、心に浮かんだだけのことでもすぐ言ってみるのですね。だから安心だ。どんなにじょうずな言い方をしようとも私が別な妻を一人持ったことは事実なのだから私も隠そうとはしない。けれど私を恨むのはあまりにも世間というものを知らないからですよ。可憐だが困ったことだ。まああなたが私の身になって考えてごらんなさい。自身を自身の心のままにできないように私はなっているのですよ。もし光明の世が私の前に開けてくればだれよりもあなたを愛していた証明をしてみせることが一つあるのです。これは軽々しく口にすべきことではないから、ただ命が長くさえあればと思っていてください」
 などと言っておいでになるうちに宮が六条院へお出しになった使いが、先方で勧められた酒に少し酔い過ぎて、斟酌すべきことも忘れ、平気でこの西の対の前の庭へ出て来た。美しい纏頭の衣類を肩に掛けているので後朝の使いであることを人々は知った。いつの間にお手紙は書かれたのであろうと想像するのも快いことではないはずである。宮もしいてお隠しになろうと思召さないのであるが、涙ぐんでいる人の心苦しさに、少し気をきかせばよいものをと、ややにがにがしく使いのことをお思いになったが、もう皆暴露してしまったのであるからとお思いになり、女房に命じて返事の手紙をお受け取らせになった。できるならば朗らかにしていま一人の妻のあることを認めさせてしまおうと思召して、手紙をおあけになると、それは継母の宮のお手になったものらしかったから、少し安心をあそばして、そのままそこへお置きになった。他の人の書いたものにもせよ、宮としてはお気のひけることであったに違いない。
私などが出すぎたお返事をいたしますことは、失礼だと思いまして、書きますことを勧めるのですが、悩ましそうにばかりいたしておりますから、

をみなへし萎れぞ見ゆる朝露のいかに置きける名残なるらん
(女郎花が一段としおれています朝露が、どのように置いていったせいでしょうか)

 貴女らしく美しく書かれてあった。
「恨みがましいことを言われるのも迷惑だ。ほんとうは私はまだ当分気楽にあなたとだけ暮らして行きたかったのだけれど」
 などと宮は言っておいでになったが、一夫一婦であるのを原則とし正当とも見られている普通の人の間にあっては、良人が新しい結婚をした場合に、その前からの妻をだれも憐むことになっているが、高い貴族をその道徳で縛ろうとはだれもしない。いずれはそうなるべきであったのである。宮たちと申し上げる中でも、輝く未来を約されておいでになるような兵部卿の宮であったから、幾人でも妻はお持ちになっていいのであると世間は見ているから、格別二条の院の夫人が気の毒であるとも思わぬらしい。こんなふうに夫人としての待遇を受けて、深く愛されている中の君を幸福な人であるとさえ言っているのである。
 中の君自身もあまりに水も洩らさぬ夫婦生活に慣らされてきて、にわかに軽く扱われることが歎かわしいのであろうと見えた。こんなに二人と一人というような関係になった場合は、どうして女はそんなに苦悶をするのであろうと昔の小説を読んでも思い、他人のことでも腑に落ちぬ気がしたのであるが、わが身の上になれば心の痛いものである、苦しいものであると、今になって中の君は知るようになった。宮は前よりもいっそう親しい良人ぶりをお見せになって、
「何も食べぬということは非常によろしくない」
 などとお言いになり、良製の菓子をお取り寄せになりまた特に命じて調製をさせたりもあそばして夫人へお勧めになるのであったが、中の君の指はそれに触れることのないのを御覧になって、
「困ったことだね」
 と宮は歎息をしておいでになったが、日暮れになったので寝殿のほうへおいでになった。涼しい風が吹き立って、空の趣のおもしろい夕べである。はなやかな趣味を持っておいでになったから、こんな場合にはまして美しく御風采をお作りになり出てお行きになる宮を知っていて、物哀れな夫人の心には忍び余る愁いの生じるのも無理でない。蜩の声を聞いても宇治の山陰の家ばかりが恋しくて、

おほかたに聞かましものを蜩の声うらめしき秋の暮れかな
(何気なく聞いただろうに、蜩の声が恨めしい秋の暮れだな)

 と独言たれた。今夜はそう更かさずに宮はお出かけになった。前駆の人払いの声の遠くなるとともに涙は海人も釣り糸を垂れんばかりに流れるのを、われながらあさましいことであると思いつつ中の君は寝ていた。結婚の初めから連続的に物思いをばかりおさせになった宮であると、その時、あの時を思うと、しまいにはうとましくさえ思われた。身体の苦しい原因をなしている妊娠も無事に産が済まされるかどうかわからない、短命な一族なのであるから、その場合に死ぬのかもしれないなどと思っていくと、命は惜しく思われぬが、また悲しいことであるとも中の君は思った。またそうした場合に死ぬのは罪の深いことなのであるからなどと眠れぬままに思い明かした。
 次の日は中宮が御病気におなりになったというので、皆御所へまいったのであるが、少しの御風気で御心配申し上げることもないとわかった左大臣は、昼のうちに退出した。源中納言を誘って同車して自邸へ向かったのである。この日が三日の露見の式の行なわれる夜になっていた。どんなにしても華麗に大臣は式を行なおうとしているのであろうが、こんな時のことは来賓に限りがあって、派手にしようもなかろうと思われた。薫をそうした席へ連ならせるのはあまりに高貴なふうがあって心恥ずかしく大臣には思われるのであるが、婿君と親密な交情を持つ人は自分の息子たちにもないのであったし、また一家の人として他へ見せるのに誇りも感じられる薫であったから伴って行ったらしい。平生にも似ず兄とともに忙しい気持ちで六条院へはいって、六の君を他人の妻にさせたことを残念に思うふうもなく、何かと式の用を兄のために手つだってくれるのを、大臣は少し物足らぬことに思いもした。
 八時少し過ぐるころに宮はおいでになった。寝殿の南の間の東に寄せて婿君のお席ができていた。高脚の膳が八つ、それに載せた皿は皆きれいで、ほかにまた小さい膳が二つ、飾り脚のついた台に載せたお料理の皿など、見る目にも美しく並べられて、儀式の餠も供えられてある。こんなありふれたことを書いておくのがはばかられる。
 大臣が新夫婦の居間のほうへ行って、もう夜がふけてしまったからと女房に言い、宮の御出座を促すのであったが、宮は六の君からお離れになりがたいふうで渋っておいでになった。今夜の来賓としては雲井の雁夫人の兄弟である左衛門督、藤宰相などだけが外から来ていた。やっとしてから出ておいでになった宮のお姿は美しくごりっぱであった。主人がたの頭中将が盃を御前へ奉り、膳部を進めた。宮は次々に差し上げる盃を二つ三つお重ねになった。薫が御前のお世話をして御酒をお勧めしている時に、宮は少し微笑をお洩らしになった。
 以前にこの縁組みの話をあそばして、堅苦しく儀礼ばることの好きな家の娘の婿になることなどは自分に不似合いなことでいやであると薫へお言いになったのを思い出しておいでになるのであろう。中納言のほうでは何も覚えていぬふうで、あくまで慇懃にしていた。そしてまたこの人は東の対の座敷のほうに設けたお供の役人たちの酒席へまで顔を出して接待をした。はなやかな殿上役人も多かった四位の六人へは女の装束に細長、十人の五位へは三重襲の唐衣、裳の腰の模様も四位のとは等差があるもの、六位四人は綾の細長、袴などが出された纏頭であった。この場合の贈り物なども法令に定められていてそれを越えたことはできないのであったから、品質や加工を精選してそろえてあった。召次侍、舎人などにもまた過分なものが与えられたのである。こうした派手な式事は目にもまばゆいものであるから、小説などにもまず書かれるのはそれであるが、自分に語った人はいちいち数えておくことができなかったそうであった。

第4章 恋慕

 源中納言の従者の中に、あまり重用されない男かもしれぬが、暗い紛れに庭の中へはいって、それらの行なわれるのを見て来て、歎息を洩らし、
「うちの殿様はなぜいざこざをお言いにならないでこちらの殿様の婿におなりにならなかったろう、つまらぬ御独身生活だ」
 と中門の所でつぶやいているのが耳にはいって中納言はおかしく思った。自身たちは夜ふけまで待たされていて、ただつまらぬ眠さを覚えさせられているだけであるのと、婿君の従者が美酒に酔わされて快くどこかの座敷で身を横たえているらしく思われるのとを比較してみてうらやましかったのであろう。
 薫は家に入り寝室で横になりながら、新しい婿として式に臨むことはきまりの悪そうなことである、たいそうな恰好をした舅が席に出ていて、平生からなじみのある仲にもかかわらず燭をあかあかともして勧める盃などを宮は落ち着いて受けておいでになったのはごりっぱなものであったなどと思い出していた。それは実際自分でもすぐれた娘というようなものを持っていれば、この宮以外には御所へでもお上げする気にはなれなかったであろうと思われた薫は、どこの家でも匂宮へ奉ろうとして志を得なかった人はまだ源中納言という同じほどな候補者があると、何にも自分が宮にお並べして言われるのは世間の受けが決して悪くない自分とせねばならないなどと思い上がりもされた。内親王を賜わるという帝の思召しなるものが真実であれば、こんなふうに気の進まぬ自分はどうすればいいのであろう、名誉なことにもせよ、自分としてありがたく思われない、女二の宮が死んだ恋人によく似ておいでになったならその時はうれしいであろうがとさすがに否定をしきっているのでもない中納言であった。例のような目のさめがちな独り寝のつれづれさを思って按察使の君と言って、他の愛人よりはやや深い愛を感じている女房の部屋へ行ってその夜は明かした。朝になりきればとて人が奇怪がることでもないのであるが、そんなことも気にするらしく急いで起きた薫を、女は恨めしく思ったに違いない。

うち渡し世に許しなき関川をみなれそめけん名こそ惜しけれ
(世間から認められない仲なのに、お逢いし続けている評判が立つのは辛うございます)

 と按察使は言った。哀れに思われて、

深からず上は見ゆれど関川のしもの通ひは絶ゆるものかは
(深くないように表面的には見えますが、心の底の愛情は絶えることがありません)

 薫はこう言った。恋の心は深いと言われてさえ頼みにならぬものであるのに、上は浅いと認めて言われるのに女は苦痛を覚えなかったはずはない。妻戸を薫はあけて、
「この夜明けの空のよさを思って早く出て見たかったのだ。こんな深い趣を味わおうとしない人の気が知れないね、風流がる男ではないが、夜長を苦しんで明かしたのちの秋の黎明は、この世から未来の世のことまでが思われて身にしむものだ」
 こんなことを紛らして言いながら薫は出て行った。女を喜ばそうとして上手なことを多く言わないのであるが、艶な高雅な風采を備えた人であるために、冷酷であるなどとはどの相手も思っていないのであった。仮なように作られた初めの関係を、そのままにしたくなくて、せめて近くにいて顔だけでも見ることができればというような考えを持つのか、尼になっておいでになる所にもかかわらず、縁故を捜してこの宮へ女房勤めに出ている人々はそれぞれ身にしむ思いをするものらしく見えた。
 兵部卿の宮は式のあったのちの日に新夫人を昼間御覧になることによって、いっそう深い愛をお覚えになった。中くらいな背丈で、全体から受ける感じが清らかな人である。頬にかかった髪、頭つきはその中でも目だって美しい。皮膚があまりにも白いにおわしい色をした誇らかな気高い顔の眸つきはきわめて貴女らしくて、何の欠点もない美人というほかはない。二十一、二であった。少女ではないから完成されぬところもなくて妍麗なる盛りの花と見えた。大事に育てられてきた価値は十分に受けとれた。親の愛でこれを見れば、目もくらむ美女と思われるに違いない。ただ柔らかで愛嬌があって、可憐な点は中の君のよさがお思われになる宮であった。話をされた時にする返辞も羞じらってはいるが、またたよりない気を覚えさせもしない。確かな価値の備わった才女らしい姫君であった。きれいな若い女房が三十人ほど、童女六人が姫君付きで、そうした人の服装なども、きらきらしいものは飽くほど見ておいでになる兵部卿の宮だと思い、不思議なほど目だたぬふうに作らせてあった。三条の夫人が生んだ長女を東宮へ奉った時よりも今度の婿迎えを大事に夕霧の大臣は準備したというのも、宮の御声望の高さがさせたことであろう。
 それからのちの宮は二条の院へ気安くおいでになることもおできにならなかった。軽い御身分でなかったから、昼間をそちらへ行っておいでになるということもむずかしくて、六条院の中の南の御殿に以前ずっとおいでになったようにしてお住みになり、日が暮れると東御殿を余所にしてお出かけになることもおできになれなかったりして、宮が幾日もおいでにならぬことのあるため、こうなることであろうとは思ったが、すぐにも露骨に冷淡なお扱いを受けることになったではないか、賢い人であれば自分の無価値さをよく知って京へまでは出て来なかったはずであったと、今になっては返す返す宇治を離れて来たことが正気をもってしたこととは思えなくて悲しい中の君は、やはりどうともして宇治へ行くことにしたい、ここを捨てて行くふうではなくて、あちらでしばらくでも心を休めたい、反抗的に行なえば人聞きも悪いであろうが、それならばいいはずである、とこの煩悶を一人で背負いきれぬように思い、恥ずかしくは思ったが源中納言に手紙を送った。
父君の仏事の日のことは阿闍梨から報告がございましてくわしく知ることができました。あなたのように昔の名残を思ってくださいます方がありませんでしたなら、どんなに故人はみじめであったかと思われますにつけても御親切がうれしくばかり思われます。なおこのお礼はお目にかかれます時に自身で申し上げたいと思います。
 という文であった。檀紙の上の字も見栄をかまわずまじめな書きぶりがしてあるのであるが、それもまた美しく思われた。八の宮の御忌日に僧を集めて法事を宇治で薫が行なってくれたのに対する礼状なのであって、おおげさに謝意は述べてないが好意は深く認めているらしく思われた。平生はこちらから送る手紙の返事さえ気を置くふうに短くより書いて来ない人が、自身でまた口ずからお礼を申し上げたいと思うというようなことの書かれてあることのうれしさに薫の心はときめいた。宮がお得になったはなやかな生活に心が多くお引かれになって、二条の院へはよくもおいでにならないことについての中の君の煩悶も見えるのが哀れで、恋愛的なものではない手紙であるが、手から放たず何度となく薫は繰り返して読んでいた。返事は、
承りました。先日は僧のようなことを多く申して、昔のことばかりを歎いた私でしたが、それは追想にとらわれざるをえない時節だったからです。名残とお書きになりましたことで、私が故人の宮様にお持ちする感情を少し浅く御覧になっていらっしゃるのではないかと恨めしくなります。
何も皆近く参上してお話しいたしましょう。
 と、きまじめな文章が、白い厚い色紙に書いて送られた。
 薫は翌日の夕方に二条の院の中の君を訪ねた。中の君を恋しく思う心の添った人であるから、わけもなく服装などが気になり、柔らかな衣服に、備わるが上の薫香をたきしめて来たのであったから、あまりにも高いにおいがあたりに散り、常に使っている丁字染めの扇が知らず知らず立てる香などさえ美しい感じを覚えさせた。中の君も昔のあの夜のことが思い出されることもないのではなかったから、父宮と姉君への愛の深さが認識されるにつけても、運命が姉の意志のままになっていたのであったらと心の動揺を覚えたかもしれない。少女ではないのであるから、恨めしい方の心と比べてみて、何につけてもりっぱな薫がわかったのか、平生あまりに遠々しくもてなしていて気の毒であった、人情にうとい女だとこの人が思うかもしれぬと思い、今日は前の室の御簾の中へ入れて、自身は中央の室の御簾に几帳を添え、少し後ろへ身を引いた形で対談をしようとした。
「お招きくだすったのではありませんが、来てもよろしいとのお許しが珍しくいただけましたお礼に、すぐにもまいりたかったのですが、宮様が来ておいでになると承ったものですから、御都合がお悪いかもしれぬと御遠慮を申して今日にいたしました。これは長い間の私の誠意がようやく認められてまいったのでしょうか。遠さの少し減った御簾の中へお席をいただくことにもなりました。珍しいですね」
 と薫の言うのを聞いて、中の君はさすがにまた恥ずかしくなり、言葉が出ないように思うのであったが、
「この間の御親切なお計らいを聞きまして、感激いたしました心を、いつものようによく申し上げもいたしませんでは、どんなに私がありがたく存じておりますかしれませんような気持ちの一端をさえおわかりになりますまいと残念だったものですから」
 と羞じらいながらできるだけ言葉を省いて言うのが絶え絶えほのかに薫へ聞こえた。
「たいへん遠いではありませんか。細かなお話もし、あなたからも承りたい昔のお話もあるのですから」
 こう言われて中の君は道理に思い、少し身じろぎをして几帳のほうへ寄って来たかすかな音にさえ、衝動を感じる薫であったが、さりげなくいっそう冷静な様子を作りながら、宮の御誠意が案外浅いものであったとお譏りするようにも言い、また中の君を慰めるような話をも静々としていた。中の君としては宮をお恨めしく思う心などは表へ出してよいことではないのであるから、ただ人生を悲しく恨めしく思っているというふうに紛らして、言葉少なに憂鬱なこのごろの心持ちを語り、宇治の山荘へ仮に移ることを薫の手で世話してほしいと頼む心らしく、その希望を告げていた。
「その問題だけは私の一存でお受け合いすることができかねます。宮様へ素直にお頼みになりまして、あの方の御意見に従われるのがいいと思いますがね、そうでなくば御感情を害することになって、軽率だとお怒りになったりしましては将来のためにもよくありません。それでなく穏やかに御同意をなされればあちらへのお送り迎えを私の手でどんなにでも都合よく計らいますのにはばかりがあるものですか。夫人をお託しになっても危険のない私であることは宮様がよくご存じです」
 こんなことを言いながらも、話の中に自分は過去にしそこねた結婚について後悔する念に支配ばかりされていて、もう一度昔を今にする工夫はないかということを常に思うとほのめかして次第に暗くなっていくころまで帰ろうとしない客に中の君は迷惑を覚えて、
「それではまた、私は身体の調子もごく悪いのでございますから、こんなふうでない時がございましたら、お話をよく伺わせていただきます」
 と言い、引っ込んで行ってしまいそうになったのが残念に思われて、薫は、
「それにしてもいつごろ宇治へおいでになろうとお思いになるのですか。伸びてひどくなっていました庭の草なども少しきれいにさせておきたいと思います」
 と、機嫌を取るために言うと、しばらく身を後ろへずらしていた中の君がまた、
「もう今月はすぐ終わるでしょうから、来月の初めでもと思います。それは忍んですればいいでしょう。皆の同意を得たりしますようなたいそうなことにいたしませんでも」
 と答えた。その声が非常に可憐であって、平生以上にも大姫君と似たこの人が薫の心に恋しくなり、次の言葉も口から出ずよりかかっていた柱の御簾の下から、静かに手を伸ばして夫人の袖をつかんだ。中の君はこんなことの起こりそうな予感がさっきから自分にあって恐れていたのであると思うと、とがめる言葉も出すことができず、いっそう奥のほうへいざって行こうとした時、持った袖について、親しい男女の間のように、薫は御簾から半身を内に入れて中の君に寄り添って横になった。
「私が間違っていますか、忍んでするのがいいとお言いになったのをうれしいことと取りましたのは聞きそこねだったのでしょうかと、それをもう一度お聞きしようと思っただけです。他人らしくお取り扱いにならないでもよいはずですが、無情なふうをなさるではありませんか」
 こう薫に恨まれても夫人は返辞をする気にもならないで、思わず憎みの心の起こるのをしいておさえながら、
「なんというお心でしょう、こんな方とは想像もできませんようなことをなさいます。人がどう思うでしょう、あさましい」
 とたしなめて、泣かんばかりになっているのにも少し道理はあるとかわいそうに思われる薫が、
「これくらいのことは道徳に触れたことでも何でもありませんよ。これほどにしてお話をした昔を思い出してください。亡くなられた女王さんのお許しもあった私が、近づいたからといって、奇怪なことのように見ていらっしゃるのが恨めしい。好色漢がするような無礼な心を持つ私でないと安心していらっしゃい」
 と言い、激情は見せずゆるやかなふうにして、もう幾月か後悔の日ばかりが続き、苦しいまでになっていく恋の悩みを、初めからこまごまと述べ続け、反省して去ろうとする様子も見せないため、中の君はどうしてよいかもわからず、悲しいという言葉では全部が現わせないほど悲しんでいた。知らない他人よりもかえって恥ずかしく、いとわしくて、泣き出したのを見て、薫は、
「どうしたのですか、あなたは、少女らしい」
 こう非難をしながらも、非常に可憐でいたいたしいふうのこの人に、自身を衛る隙のないところと、豊かな貴女らしさがあって、あの昔見た夜よりもはるかに完成された美の覚えられることによって、自身のしたことであるが、これを他の人妻にさせ、苦しい煩悶をすることとなったとくやしくなり、薫もまた泣かれるのであった。夫人のそばには二人ほどの女房が侍していたのであるが、知らぬ男の闖入したのであれば、なんということをとも言って中の君を助けに出るのであろうが、この中納言のように親しい間柄の人がこの振舞をしたのであるから、何か訳のあることであろうと思う心から、近くにいることをはばかって、素知らぬ顔を作り、あちらへ行ってしまったのは夫人のために気の毒なことである。中納言は昔の後悔が立ちのぼる情炎ともなって、おさえがたいのであったであろうが、夫人の処女時代にさえ、どの男性もするような強制的な結合は遂げようとしなかった人であるから、ほしいままな行為はしなかった。こうしたことを細述することはむずかしいと見えて筆者へ話した人はよくも言ってくれなかった。
 どんな時を費やしても効のないことであって、そして人目に怪しまれるに違いないことであると思った薫は帰って行くのであった。まだ宵のような気でいたのに、もう夜明けに近くなっていた。こんな時刻では見とがめる人があるかもしれぬと心配がされたというのも中の君の名誉を重んじてのことであった。妊娠のために身体の調子を悪くしているという噂も事実であった。恥ずかしいことに思い、見られまいとしていた上着の腰の上の腹帯にいたましさを多く覚えて一つはあれ以上の行為に出なかったのである、例のことではあるが臆病なのは自分の心であると思われる薫であったが、思いやりのないことをするのは自分の本意でない、一時の衝動にまかせてなすべからぬことをしてしまっては今後の心が静かでありえようはずもなく、人目を忍んで通って行くのも苦労の多いことであろうし、宮のことと、その新しいこととでもこもごもにあの人が煩悶をするであろうことが想像できるではないかなどとまた賢い反省はしてみても、それでおさえきれる恋の火ではなく、別れて出て来てすでにもう逢いたく恋しい心はどうしようもなかった。どうしてもこの恋を成立させないでは生きておられないようにさえ思うのも、返す返すあやにくな薫の心というべきである。

第5章 移り香

 昔より少し痩せて、気高く可憐であった中の君の面影が身に添ったままでいる気がして、ほかのことは少しも考えられない薫になっていた。宇治へ非常に行きたがっているようであったが、宮がお許しになるはずもない、そうかといって忍んでそれを行なわせることはあの人のためにも、自分のためにも世の非難を多く受けることになってよろしくない。どんなふうな計らいをすれば、世間体のよく、また自分の恋の遂げられることにもなるであろうと、そればかりを思って虚になった心で、物思わしそうに薫は家に寝ていた。
 まだ明けきらぬころに中の君の所へ薫の手紙が届いた。例のように外見はきまじめに大きく封じた立文であった。

いたづらに分けつる路の露しげみ昔おぼゆる秋の空かな
(無駄に歩いた道の露が多く、昔を思い出す秋の空ですね)

冷ややかなおもてなしについて「ことわり知らぬつらさ」(身を知れば恨みぬものをなぞもかくことわり知らぬつらさなるらん)ばかりが申しようもなくつのるのです。
 こんな内容である。返事を出さないのもいぶかしいことに人が見るであろうからと、それもつらく思われて、
承りました。非常に身体の苦しい日ですから、お返事は差し上げられませぬ。
 と中の君は書いた。
 これをあまりに短い手紙であると、物足らず寂しく思い、美しかった面影ばかりが恋しく思い出された。人妻になったせいか、むやみに恐怖するふうは見せず、貴女らしい気品も多くなった姿で、闖入者を柔らかになつかしいふうに説いて退却させた才気などが思い出されるとともに、ねたましくも、悲しくもいろいろにその人のことばかりが思われる薫は、自身ながらわびしく思った。落胆はする必要もない、宮の愛が薄くなってしまえば、あの人は自分ばかりをたよりにするはずである、しかし公然とは夫婦になれず、世間のはばかられる二人であろうが、隠れた恋人としておいても、自分は他に愛する婦人を作るまい、生涯で唯一の妻とあの人を自分だけは思っていけるであろうなどと、二条の院の夫人のことばかりを思っているというのもけしからぬ心である。反省している時、またその人に清い恋として告白している時には賢い人になっているのであるが、この人すら情けない愛欲から離れられないのは男性の悲哀である。大姫君の死は取り返しのならぬものであったが、その時には今ほど薫は心を乱していなかった。これは道義観さえ超えていろいろな未来の夢さえ描くものを心に持っていた。
 この日は二条の院へ宮がおいでになったということを聞いて、中の君の保護者をもって任ずる心はなくして、胸が嫉妬にとどろき、宮をおうらやましくばかり薫は思った。
 宮は二、三日も六条院にばかりおいでになったのを、御自身の心ながらも恨めしく思召されてにわかにお帰りになったのである。もうこの運命は柔順に従うほかはない、恨んでいるとは宮にお見せすまい、宇治へ行こうとしても信頼する人にうとましい心ができているのであるからと中の君は思い、いよいよ右も左も頼むことのできない身になっていると思われ、どうしても自分は薄命な女なのであるとして、生きているうちはあるがままの境遇を認めておおようにしていようと、こう決心をしたのであったから、可憐に素直にして、嫉妬も知らぬふうを見せていたから、宮はいっそう深い愛をお覚えになり、思いやりをうれしくお感じになって、おいでにならぬ間も忘れていたのではないということなどに言葉を尽くして夫人を慰めておいでになった。腹部も少し高くなり、恥ずかしがっている腹帯の衣服の上に結ばれてあるのにさえ心がお惹かれになった。まだ妊娠した人を直接お知りにならぬ方であったから、珍しくさえお思いになった。何事もきれいに整い過ぎた新居においでになったあとで、ここにおいでになるのはすべての点で気安く、なつかしくお思われになるままに、こまやかな将来の日の誓いを繰り返し仰せになるのを聞いていても中の君は、男は皆口が上手で、あの無理な恋を告白した人も上手に話をしたと薫のことを思い出して、今までも情けの深い人であるとは常に思っていたが、ああしたよこしまな恋に自分は好意を持つべくもないと思うことによって、宮の未来のお誓いのほうは、そのとおりであるまいと思いながらも少し信じる心も起こった。それにしてもああまで油断をさせて自分の室の中へあの人がはいって来た時の驚かされようはどうだったであろう、姉君の意志を尊重して夫婦の結合は遂げなかったと話していた心持ちは、珍しい誠意の人と思われるのであるが、あの行為を思えば自分として気の許される人ではないと、中の君はいよいよ男の危険性に用心を感じるにつけても、宮がながく途絶えておいでにならぬことになれば恐ろしいと思われ、言葉には出さないのであるが、以前よりも少し宮へ甘えた心になっていたために、宮はなお可憐に思召され、心を惹かれておいでになったが、深く夫人にしみついている中納言のにおいは、薫香をたきしめたのには似ていず特異な香であるのを、においというものをよく研究しておいでになる宮であったから、それとお気づきになって、奇怪なこととして、何事かあったのかと夫人を糺そうとされる。宮の疑っておいでになることと事実とはそうかけ離れたものでもなかったから、何ともお答えがしにくくて、苦しそうに沈黙しているのを御覧になる宮は、自分の想像することはありうべきことだ、よも無関心ではおられまいと始終自分は思っていたのであるとお胸が騒いだ。薫のにおいは中の君が下の単衣なども昨夜のとは脱ぎ替えていたのであるが、その注意にもかかわらず全身に沁んでいたのである。
「あなたの苦しんでいるところを見ると、進むところへまで進んだことだろう」
 とお言いになり、追究されることで夫人は情けなく、身の置き所もない気がした。
「私の愛はどんなに深いかしれないのに、私が二人の妻を持つようになったからといって、自分も同じように自由に人を愛しようというようなことは身分のない者のすることですよ。そんなに私が長く帰って来ませんでしたか、そうでもないではありませんか。私の信じていたよりも愛情の淡いあなただった」
 などとお責めになるのである。愛する心からこうも思われるのであるというふうにお訊きになっても、ものを言わずにいる中の君に嫉妬をあそばして、

またびとになれける袖の移り香をわが身にしめて恨みつるかな
(他の人に親しんだ袖の移り香は、わが身に深く恨めしいことだ)

 とお言いになった。夫人は身に覚えのない罪をきせておいでになる宮に弁明もする気にならずに、
「あなたの誤解していらっしゃることについて何と申し上げていいかわかりません。

見なれぬる中の衣と頼みしをかばかりにてやかけ離れなん
(親しみ信頼してきた夫婦の仲も、この程度で切れてしまうのか)」

 と言って泣いていた。その様子の限りなく可憐であるのを宮は御覧になっても、こんな魅力が中納言を惹きつけたのであろうとお思いになり、いっそうねたましくおなりになり、御自身もほろほろと涙をおこぼしになったというのは女性的なことである。どんな過失が仮にあったとしても、この人をうとんじてしまうことはできないふうな、美しいいたいたしい中の君の姿に、恨みをばかり言っておいでになることができずに、宮は歎いている人の機嫌を直させるために言い慰めもしておいでになった。
 翌朝もゆるりと寝ておいでになって、お起きになってからは手水も朝の粥もこちらでお済ませになった。座敷の装飾も六条院の新婦の居間の輝くばかり朝鮮、支那の錦で装飾をし尽くしてある目移しには、なごやかな普通の家の居ごこちよさをお覚えになって、女房の中には着疲れさせた服装のも混じっていたりして、静かに見まわされる空気が作られていた。夫人は柔らかな淡紫などの上に、撫子色の細長をゆるやかに重ねていた。何一つ整然としていぬものもないような盛りの美人の新婦に比べてごらんになっても、劣ったともお思われにならず、なつかしい美しさの覚えられるというのは宮の御愛情に相当する人というべきであろう。円く肥えていた人であったが、少しほっそりとなり、色はいよいよ白くて上品に美しい中の君であった。怪しい疑いを起こさせるにおいなどのついていなかった常の時にも、愛嬌のある可憐な点はだれよりもすぐれていると見ておいでになった人であるから、この人を兄弟でもない男性が親しい交際をして自然に声も聞き、様子もうかがえる時もあっては、どうして無関心でいられよう、必ず結果は恋を覚えることになるであろうと、宮は御自身の好色な心から想像をあそばして、これまでから恋をささやく明らかな証の見える手紙などは来ていぬかとお思いになり、夫人の居間の中の飾り棚や小さい唐櫃などというものの中をそれとなくお捜しになるのであったが、そんなものはない。ただまじめなことの書かれた短い、文学的でもないようなものは、人に見せぬために別にもしてなくて、物に取り混ぜてあったのを発見あそばして、不思議である、こんな用事を言うものにとどまるはずはないとお疑いの起こることで今日のお心が冷静にならないのも道理である。夫人が魅力を持つばかりでなく中納言の姿もまた趣味の高い女が興味を覚えるのに十分なものであるから、愛に報いぬはずはない、よい一対の男女であるから、相思の仲にもなるであろうと、こんな御想像のされるために、宮はわびしく腹だたしく、ねたましくお思いになった。不安なお気持ちが静まらぬため、その日も二条の院にとどまっておいでになることになり、六条院へはお手紙の使いを二、三度お出しになった。わずかな時間のうちにもそうも言っておやりになるお言葉が積もるのかと老いた女房などは陰口を申していた。
 中納言はこんなに宮が二条の院にとどまっておいでになることを聞いても苦しみを覚えるのであったが、自分は誤っている、愚かな情炎を燃やしてはよろしくない、そうした愛でない清い愛で助けようと決心していた人に対して、思うべからぬことを思ってはならぬとしいて思い返し、このままにしていても、自分の気持ちは汲んでくれる人に違いないという自信の持てるのがうれしかった。女房たちの衣服がなつかしい程度に古びかかっていたようであったのを思って、母宮のお居間へ行き、
「品のよい女物で、お手もとにできているのがあるでしょうか、少し入り用なことがあるのです」
 とお尋ねすると、
「例年の法事は来月ですから、その日の用意の白い生地などがあるだろうと思います。染めたものなどは平生たくさんは私の所に置いてないから、急いで作らせましょう」
 宮はこうお答えになった。
「それには及びません。たいそうなことにいるのではありませんから、できているものでけっこうです」
 と薫は申し上げて、裁縫係りの者の所へ尋ねにやりなどして、女の装束幾重ねと、美しい細長などをありあわせのまま使うことにして、下へ着る絹や綾なども皆添え、自身の着料にできていた紅い糊絹の槌目の仕上がりのよい物、白い綾の服の幾重ねへ添えたく思った袴の地がなくて付け腰だけが一つあったのを、結んで加える時に、それへ、

結びける契りことなる下紐をただひとすぢに恨みやはする
(結んだ契りの相手が違うので、どうして一途に恨んだりしようか)

 と歌を書いた。大輔の君という年のいった女房で、薫の親しい人の所へその贈り物は届けられたのである。
にわかに思い立って集めた品ですから、よくそろいもせず見苦しいのですが、よいように取り合わせてお使いください。
 という手紙が添えられてあって、夫人の着料のものは、目だたせぬようにしてはあったが箱へ納めてあって、包みが別になっていた。大輔は中の君へこの報告はしなかったが、今までからこうした好意の贈り物を受け馴れていたことであって、受け取らぬなどと返すべきでなかったから、どうしたものかとも心配することもなく女房たちへ分け与えたので、その人々は縫いにかかっていた。若い女房で宮御夫婦のおそばへよく出る人はことにきれいにさせておこうとしたことだと思われる。下仕えの女中などの古くなった衣服を白の袷に着かえさせることにしたのも目だたないことでかえって感じがよかった。
 この夫人のために薫以外にだれがこうした物質の補いをする者があろう、宮は夫人を愛しておいでになったから、すべて不自由のないようにと計らってはおいでになるのであるが、女房の衣服のことまではお気のおつきにならないところであった。大事がられて御自身でそうした物のことをお考えになることはなかったのであるから、貧しさはどんなに苦しいものであるともお知りにならないのは道理なことである。寒けをさえ覚える恰好で花の露をもてあそんでばかりこの世はいくもののように思っておいでになる宮とは違い、愛する人のためであるから、何かにつけて物質の補助を惜しまない薫の志をまれな好意としてありがたく思っている人たちであるから、宮のお気のつかないことと、気のよくつく薫とを比較して譏るようなことを言う乳母などもあった。童女の中には見苦しくなった姿で混じっていたりするのも目につくことがおりおりあったりして、夫人はそれを恥ずかしく思い、この住居をしてかえって苦痛の多くなったようにも人知れず思うことがないでもなかったのであるのに、そしてこのごろは世の中の評判にさえなっている華美な宮の新婚後のお住居の様子などを思うと、宮にお付きしている役人たちもどんなにこちらを軽蔑するであろう、貧しさを笑うであろうという煩悶を中の君がしているのを、薫が思いやって知っていたのであったから、妹でもない人の所へ、よけいな出すぎたことをすると思われるこんなことも、侮って礼儀を失ったのではなく、目だつようにしないのは、自分に助けられている夫人の無力を思う人があってはならないと思う心から、忍んでする薫であった。この贈り物があったために、女房の身なりをととのえさせることができ、袿を織らせたり、綾を買い入れる費用も皆与えることができた。薫も宮に劣らず大事にかしずかれて育った人で、高い自尊心も持ち、一般の世の中から超越した貴族的な人格も持っているのであるが、宇治の八の宮の山荘へ伺うようになって以来、豊かでない家の生活の寂しさというものは想像以上のものであったと同情を覚え、その御一家だけへではなく、物質的に恵まれない人々をあまねく救うようになったのである。哀れな動機というべきである。
 薫はぜひとも中の君のために邪悪な恋は捨てて、清い同情者の地位にとどまろうとするのであるが、自身の心が思うにまかせず、常に恋しくばかり思われて苦しいために、手紙をもって以前よりもこまごまと書き、不用意に恋の心が出たふうに見せたような消息をよく送るようになったのを、中の君はわびしいことの添ってきた運命であると歎いていた。まったく知らぬ人であったならば、狂気の沙汰とたしなめ、そうした心を退けるのが容易なことであろうが、昔から特別な後援者と信頼してきて、今さら仲たがいをするのはかえって人目を引くことになろうと思い、さすがにまた薫の愛を憐む心だけはあるのであっても、誘惑に引かれて相手をしているもののようにとられてはならぬとはばかられて煩悶がされた。女房たちも夫人の気持ちのわかりそうな若い人らは皆新しく京へ移った前後から来てなじみが浅く、またなじみの深い人たちといっては昔から宇治にいた老いた女房らであったから、苦しいことも左右の者に洩らすことができず、姉君を思い出さぬおりもなかった。姉君さえおいでになれば中納言も自分へ恋をするようなことにはむろんならなかったはずであると、大姫君の死が悲しく思われ、宮が二心をお持ちになり、恨めしいことも起こりそうに予想されることよりもこの中納言の恋を中の君は苦しいことに思った。

第6章 妹

 薫はおさえきれぬものを心に覚えて、例のとおりにしんみりとした夕方に二条の院の中の君を訪ねて来た。すぐに縁側へ敷き物を出させて、
「身体を悪くしております時で、お話を自身で伺えませんのが残念でございます」
 と中の君が取り次がせて来たのを聞くと、薫は恨めしさに涙さえ落ちそうになったのを人目につかぬようにしいて紛らして、
「御病気の時には、知らぬ僧でもお近くへまいるのですから、私も医師並みに御簾の中へお呼びいただいてもいいわけでしょう。こうした人づてのお言葉は私を失望させてしまいます」
 と言い、情けなさそうにしているのを、先夜の事情を知っている女房らが、
「仰せになりますとおり、お席があまり失礼でございます」
 と言い、中央の母屋の御簾を皆おろして、夜居の僧のはいる室へ薫を案内したのを、中の君は実際身体も苦しいのであったが、女房もこう言っているのに、あらわに拒絶するのもかえって人を怪しがらせる結果になるかもしれぬと思い、物憂く思いながら少しいざって出て話すことにした。
 ごくほのかに時々ものを言う様子に、死んだ恋人の病気の初期のころのことが思われるのもよい兆候でないと薫は非常に悲しくなり、心が真暗になり、すぐにもものが言われず、ためらいながら、話を続けた。ずっと奥のほうに中の君のいるのも恨めしくて、御簾の下から几帳を少し押すような形にして、例のなれなれしげなふうを示すのが苦しく思われ、困ることに考えられて、中の君は少将の君という人をそばへ呼んで、
「私は胸が痛いからしばらくおさえて」
 と言っているのを聞いて、
「胸はおさえるとなお苦しくなるものですが」
 こう言って歎息を洩らしながら薫のすわり直したことにさえ、母屋の中の夫人は不安が感ぜられた。
「どうしてそんなに始終お苦しいのでしょう。人に聞きますと、初めのうちは気持ちが悪くてもまた快く癒っている時もあると教えてくれました。あなたはそうお言いになって若々しく私を警戒なさるのでしょう」
 と薫の言うのを聞いて中の君は恥ずかしくなった。
「私は平生いつも胸が痛いのでございます。姉もそんなふうでございました。短命な人は皆こんなふうに煩うものだとか申します」
 と言った。だれも千年の松の命を持っているのでないから、あるいはそんな危険が近づいているのであるかもしれぬと思うと、薫には今の言葉が身に沁んで哀れに思われてきて、夫人がそばへ呼んだ女房の聞くのもはばかる気にはならず、きわめて悪い所だけは口にせぬものの、昔からどんなに深く愛していたかということを、中の君にだけは意味の通じるようにして言い、人には友情とより聞こえぬ上手な話し方を薫がしているために、その人は、今までからだれもが言うとおりに珍しい人情味のある人であるとそばにいて思っていた。表はおおかた総角の姫君と死別した尽きもせぬ悲しみを話題にしているのであった。
「私は少年のころから、この世から離れた身になりたい、正しく仏道へ踏み入るにはどうすればよいかと願うことはそれだけだったのですが、前生の因縁というものだったのでしょうか、そう御接近したわけでもないあの方を恋しく思い始めました時から、私の信仰に傾いた心が違ってきまして、またお死なせしてからはあちらこちらの女性と交渉を始めることもして、悲痛な心を慰めようとしたこともありましたが、そんなことは何の効果もあるものでないことが確かにわかりました。私に魅力を及ぼす人がほかにはこの世にいないことがわかりましたから、好色らしいと誤解されますのは恥ずかしいのですがそうした不良性な愛であなたをお思いしてこそ無礼きわまるものでしょうが、私の望むところは淡々たるもので、ただこれほどの隔てで時々あなたへ直接その時その気持ちをお話し申し上げて、そしてなんとかお言葉をいただくことができます程度の睦まじさで御交際することはだれも非難のいたしようもないことでしょう。私の変わった性情は世間一般の人が認めているのですから、どこまでもあなたは御安心していてください」
 などと、恨みもし、泣きもして薫は言うのである。
「御信用しておりませんでしたなら、こんなふうに誤解もされんばかりにまであなたと近しくお話などはいたしませんでしょう。長い間、父のため、姉のために御好意をお見せくださいましたことをよく存じているものですから、普通には説明のできない間柄の保護者と御信頼申し上げて、ただ今ではこちらから何かと御無心に出したりもいたしております」
「そんなことがありましたかどうだか私に覚えはないようです。そればかりのこともたいそうにおっしゃるではありませんか。今度宇治へおいでになりたいという御相談でやっと私の存在をお認めになったようなわけではありませんか。それだけでも哀れな私は満足ができたのですよ。誠意のある者とおわかりになってくだすったのですから、非常にありがたく思っております」
 こんなふうに言って、薫には飽き足らぬ恨めしい心は見えるのであるが、聞いている者がいるのであっては、思うままのことを言いえようはずもない。庭のほうへ目をやって見ると、秋の日が次第に暗くなり、虫の声だけが何にも紛れず高く立っているが、築山のほうはもう闇になっている。こんな時間になっても驚かずしめやかなふうで柱によりかかって、去ろうと薫のしないのに中の君はやや当惑を感じていた。「恋しさの限りだにある世なりせば」(つらきをしひて歎かざらまし)などと低い声で薫は口ずさんでから、
「私はもうしかたもない悲しみの囚になってしまったのです。どこか閑居をする所がほしいのですが、宇治辺に寺というほどのものでなくとも一つの堂を作って、昔の方の人型(祓をして人に代わって川へ流すもの)か肖像を絵に描かせたのかを置いて、そこで仏勤めをしようという気に近ごろなりました」
 と言った。
「身にしむお話でございますけれど、人型とお言いになりますので『みたらし川にせし禊』(恋せじと)というようなことが起こるのではないかという不安も覚えられます。代わりのものは真のものでございませんからよろしくございませんから昔の人に気の毒でございますね。黄金を与えなければよくは描いてくれませんような絵師があるかもしれぬと思われます」
 こう中の君は言う。
「そうですよ。その絵師というものは決して気に入った肖像を作ってくれないでしょうからね。少し前の時代にその絵から真実の花が降ってきたとかいう伝説の絵師がありますがね、そんな人がいてくれればね」
 何を話していても死んだ人を惜しむ心があふれるように見えるのを中の君は哀れにも思い、自身にとって一つの煩わしさにも思われるのであったが、少し御簾のそばへ寄って行き、
「人型とお言いになりましたことで、偶然私は一つの話を思い出しました」
 と言い出した。その様子に常に超えた親しみの見えるのが薫はうれしくて、
「それはどんなお話でしょう」
 こう言いながら几帳の下から中の君の手をとらえた。煩わしい気持ちに中の君はなるのであったが、どうにかしてこの人の恋をやめさせ、安らかにまじわっていきたいと思う心があるため、女房へも知らせぬようにさりげなくしていた。
「長い間そんな人のいますことも私の知りませんでした人が、この夏ごろ遠い国から出てまいりまして、私のここにいますことを聞いて音信をよこしたのですが、他人とは思いませんものの、はじめて聞いた話を軽率にそのまま受け入れて親しむこともできぬような気になっておりましたのに、それが先日ここへ逢いにまいりました。その人の顔が不思議なほど亡くなりました姉に似ていましたのでね、私は愛情らしいものを覚えたのです。形見に見ようと思召すのには適当でございませんことは、女たちも姉とはまるで違った育ち方の人のようだと言っていたことで確かでございますが、顔や様子がどうしてあんなにも似ているのでしょう。それほどなつながりでもございませんのに」
 この中の君の言葉を薫はあるべからざる夢の話ではないかとまで思って聞いた。
「しかるべきわけのあることであなたをお慕いになっておいでになったのでしょう。どうしてただ今までその話を少しもお聞かせくださらなかったのでしょう」
「でも古い事実は私に否定も肯定もできなかったのでございますからね。何のたよりになるものも持たずにさすらっている者もあるだろうとおっしゃって、気がかりなふうにお父様が時々お洩らしになりましたことなどで思い合わされることもあるのですが、過去の不幸だった父がまたそんなことで冷嘲されますことの添いますのも心苦しゅうございまして」
 中の君のこの言葉によれば、八の宮のかりそめの恋のお相手だった人が得ておいた形見の姫君らしいと薫は悟った。大姫君に似たと言われたことに心が惹かれて、
「そのよくおわかりにならないことはそのままでもいいのですから、もう少しくわしくお話をしてくださいませんか」
 と中納言は望んだが、羞恥を覚えて中の君は細かなことを言って聞かせなかった。
「その人を知りたく思召すのでございましたら、その辺と申すことくらいはお教え申してもいいのでございますが、私もくわしくは存じません。またあまり細かにお話をいたせばいやにおなりになることに違いございませんし」
「幻術師を遠い海へつかわされた話にも劣らず、あの世の人を捜し求めたい心は私にもあるのです。そうした故人の生まれ変わりの人と見ることはできなくても、現在のような慰めのない生活をしているよりはと思う心から、その方に興味が持たれます。人型として見るのに満足しようとする心から申せば山里の御堂の本尊を考えないではおられません。なおもう少し確かな話を聞かせてくださいませんか」
 中納言は新しい姫君へにわかに関心を持ち出して中の君を責めるのだった。
「でもお父様が子と認めてお置きになったのでもない人のことを、こんなにお話ししてしまいますのは軽率なことなのですが、神通力のある絵師がほしいとお思いになるあなたをお気の毒に思うものですから」
 こう言ってから、さらに、
「長く遠い国でなど育てられていましたことで、その母が不憫がりまして、私の所へいろいろと訴えて来ましたのを、冷淡に取り合わずにいることはできないでいますうちに、ここへまいったのです。ほのかにしか見ることができませんでしたせいですか、想像していましたよりは見苦しくなく見えました。どういう結婚をさせようかと、それを母親は苦労にしている様子でしたが、あなたの御堂の仏様にしていただきますことはあまりに過分なことだと思います。それほどの資格などはどうしてあるものではありません」
 など夫人は言った。それとなく自分の恋を退ける手段として中の君の考えついたことであろうと想像される点では恨めしいのであったが、故人に似たという人にはさすがに心の惹かれる薫であった。自分の恋をあるまじいこととは深く思いながらも、あらわに侮蔑を見せぬのも中の君が自分へ同情があるからであろうと思われる点で興奮をして中納言が話し続けているうちに夜もふけわたったのを、夫人は人目にどう映ることかという恐れを持って、相手の隙を見て突然奥へはいってしまったのを、返す返すも道理なことであると思いながらも薫は、恨めしい、くちおしい気持ちが静められなくて涙までもこぼれてくる不体裁さに恥じられもして、複雑な悶えをしながらも、感情にまかせた乱暴な行為に出ることは、恋人のためにも自分のためにも悪いことであろうと、しいて反省をして、平生よりも多く歎息をしながら辞去した。
 こんなに恋しい心はどう処理すればいいのであろう、これが続いていくばかりでは苦しさに堪えられなくなるに違いない、どんなにすれば世間の非難も受けず、しかも恋のかなうことになるであろうなどと、多くの恋愛に鍛え上げてきた心でない青年の中納言であるせいか、自身のためにも中の君のためにも無理で、とうてい平和な道のありえない思いをし続けてその夜は明かした。似ているとあの人が言った人をそのとおりに信じて情人の関係を結ぶようなことはできない、地方官階級の家に養われている人であれば、こちらで行なおうとすることに障害になるものもないであろうが、当人の意志でもない関係を結ぶのはおもしろくないことに相違ないなどと思い、話を聞いた時には一時的に興奮を感じたものの、冷静になってみれば心をさほど惹く価値もないことと薫はしているのであった。

第7章 弁の尼

 宇治の山荘を長く見ないでいるといっそうに恋しい昔と遠くなる気がして心細くなる薫は、九月の二十幾日に出かけて行った。主人のない家は河風がいっそう吹き荒らして、すごい騒がしい水音ばかりが留守居をし、人影も目につくかつかぬほどにしか徘徊していない。ここに来てこれを見た時から中納言の心は暗くなり、限りもない悲しみを覚えた。弁の尼に逢いたいと言うと、障子口をあけ、青鈍色の几帳のすぐ向こうへ来て挨拶をした。
「失礼なのでございますが、このごろの私はまして無気味な姿になっているのでございますから、御遠慮をいたすほうがよいと思われまして」
 と言い、顔は現わさない。
「どんなにあなたが寂しく暮らしておいでになるだろうと思うと、そのあなただけが私の悲しみを語る唯一の相手だと思われて出て来ましたよ。年月はずんずんたっていきました、あれから」
 涙を一目浮かべて薫がこう言った時、老女はましてとめようもない泣き方をした。
「御自身のためでなく、お妹様のために深い物思いを続けておいでになったころは、こんな秋の空であったと思い出しますと、いつでも寂しい私ではございましても、特別に秋風は身に沁んで辛うございます。実際今になりますと、大姫様の御心配あそばしましたのがごもっともなような現象が京では起こってまいったようにここでも承りますのは悲しゅうございます」
「一時はどんなふうに見えることがあっても、時さえたてばまた旧態にもどるものであるのに、あの方が一途に悲観をして病気まで得ておしまいになったのは、私がよく説明をしなかったあやまりだと、それを思うと今も悲しいのですよ。中姫君の今経験しておられるようなことは、まず普通のことと言わねばなりますまい。決して宮の御愛情は懸念を要するような薄れ方になっていないと思われます。それよりも言っても言っても悲しいのはやはり死んだ方ですよ。死んでしまってはもう取り返しようがない」
 と言って薫は泣いた。
 薫は阿闍梨を寺から呼んで、大姫君の忌日の法会に供養する経巻や仏像のことを依託した。また、
「私はこんなふうに時々ここへ来ますが、来てはただ故人の死を悲しむばかりで、霊魂の慰めになることでもない無益な歎きをせぬために、この寝殿を壊ってお山のそばへ堂にして建てたく思うのです。同じくは速くそれに取りかからせたいと思っています」
 とも言い、堂を幾つ建て、廊をどうするかということについて、それぞれ書き示しなど薫のするのを、阿闍梨は尊い考えつきであると並み並みならぬ賛意を表していた。
「昔の方が風雅な山荘として地を選定してお作りになった家を壊つことは無情なことのようでもありますが、その方御自身も仏教を唯一の信仰としておられて、すべてを仏へささげたく思召してもまた御遺族のことをお思いになって、そうした御遺言はしておかれなかったのかと解釈されます。今では兵部卿親王の夫人の御所有とすべき家であってみれば、あの宮様の御財産の一つですから、このお邸のままで寺にしては不都合でしょう。私としてもかってにそれはできない。それに地所もあまりに川へ接近していて、川のほうから見え過ぎる、ですから寝殿だけを壊って、ここへは新しい建物を代わりに作って差し上げたい私の考えです」
 と薫が言うと、
「きわめて行き届いたお考えでけっこうです。最愛の人を亡くしましてから、その骨を長年袋へ入れ頸へ掛けていた昔の人が、仏の御方便でその袋をお捨てさせになり、信仰の道へはいったという話もございます。この寝殿を御覧になるにつけましてもお心を悲しみに動かすということはむだなことです。御堂をお建てになることは多くの人を新しく道に導くよき方法でもあり、御霊魂をお慰め申すにも役だつことでもございます。急いで取りかかりましょう。陰陽の博士が選びます吉日に、経験のある建築師二、三人をおよこしくださいましたならば、細かなことはまた仏家の定式がありますから、それに準じて作らせることにいたしましょう」
 阿闍梨はこう言って受け合った。いろいろときめることをきめ、領地の預かり人たちを呼んで、御堂の建築の件について、すべて阿闍梨の命令どおりにするようにと薫は言いつけたりしているうちに短い秋の日は暮れてしまったので、山荘で一泊していくことに薫はした。
 この寝殿を見ることも今度限りになるであろうと思い、薫はあちらこちらの間をまわって見たが、仏像なども皆御寺のほうへ移してしまったので、弁の尼のお勤めをするだけの仏具が置かれてある寂しい仏室を見て、こんな所にどんな気持ちで彼女は毎日暮らしているのであろうと薫は哀れに思った。
「この寝殿は建て直させることにします。でき上がるまでは廊の座敷へ住んでおいでなさい。二条の院の女王様のほうへお送りすべきものは私の荘園の者を呼んで持たせておあげなさい」
 などと薫はこまごまとした注意までも弁の尼にしていた。ほかの場所ではこんな老いた女などは視野の外に置いて関心を持たずにいるのであろうが、弁に対しては深い同情を持つ薫は、夜も近い室へ寝させて昔の話をした。弁も聞く人のないのに安心して、藤大納言のことなどもこまごまと薫に聞かせた。
「もう御容体がおむずかしくなりましてから、お生まれになりました方をしきりに見たく思召す御様子のございましたのが始終私には忘れられないことだったのでございましたのに、その時から申せばずっと末の世になりまして、こうしてお目にかかることができますのも、大納言様の御在世中真心でお仕えいたしました報いが自然に現われてまいりましたのかと、うれしくも悲しくも思い知られるのでございます。長過ぎる命を持ちまして、さまざまの悲しいことにあうと申す私の宿命が恥ずかしく、情けなくてなりません。二条の院の女王様から時々は逢いに出て来い、それきり来ようとしないのは私を愛していないのだろうなどとおっしゃってくださるおりもございますが、縁起の悪い姿になった私は、もう阿弥陀様以外にお逢い申したい方もございません」
 などと弁の尼は言った。大姫君の話も多く語った。親しく仕えて見聞きした話をし、いつどんな時にこうお言いになったとか、自然の風物に心の動いた時々に、故人の詠んだ歌などを、不似合いな語り手とは見えずに、声だけは慄えていたが上手に伝え、おおようで言葉の少ない人であったが、そうした文学的なところもあったかと、薫はさらに故人をなつかしく思った。宮の夫人はそれに比べて少し派手な性質であって、心を許さない人には毅然とした態度もとる型の人らしくはあるが、自分へは同情が深く、どうして自分の恋から身をはずそう、事のない友情だけで永久に親しみたいと思うところがあると薫は二人の女王を比較して思ったりした。こんな話のついでにあの人型のことを薫は言い出してみた。
「京にこのごろその人はいるのでございますかねえ。昔のことを私は人から聞いて知っているだけでございます。八の宮様がまだこの山荘へおいでになりませぬ以前のことで、奥様がお亡れになって近いころに中将の君と言っておりました、よい女房で、性質などもよい人を、宮様はかりそめなように愛人にあそばしたのを、だれも知った者はございませんでしたところ、女の子をその人が生みました時に、宮様がそんなことが起こるかもしれぬという懸念を持っておいでになったものですから、それ以後の御態度がすっかりと変わりまして、絶対にお近づきになることはなかったのでございます。それが動機でありのすさびというものにお懲りになりまして、坊様と同じ御生活をあそばすことになったので、中将はお仕えしていますこともきまり悪くなりまして下がったのですが、それからのちに陸奥守の家内になって任国へ行っておりまして、上京しました時に、姫君は無事に御成長なさいましたとこちらへほのめかしてまいりましたのを、宮様がお聞きになりまして、そんな音信をこちらへしてくる必要はないはずだと言い切っておしまいになりましたので、中将は歎いていたと申します。それがまた主人が常陸介になっていっしょに東へまいりましたが、それきり消息をだれも聞かなかったのでございます。この春常陸介が上ってまいりまして、中将が中の君様の所へ訪ねてまいりましたと申すことはちょっと聞きましてございます。姫君は二十くらいになっていらっしゃるのでしょう。非常に美しい方におなりになったのを拝見する悲しさなどを、まだ中将さんの若いころ小説のようにして書いたりしたこともございました」
 すべてを聞いた薫は、それではほんとうのことらしい。その人を見たいという心が起こった。
「昔の姫君に少しでも似た人があれば遠い国へでも尋ねて行きたい心のある私なのだから、子として宮がお数えにならなかったとしても結局妹さんであることは違いのないことなのですから、私のこの心持ちをわざわざ正面から伝えるようにではなく、こう言っていたとだけを、何かの手紙が来たついでにでも言っておいてください」
 とだけ薫は頼んだ。
「お母さんは八の宮の奥様の姪にあたる人なのでございます。私とも血の続いた人なのですが、昔は双方とも遠い国に住んでいまして、たびたび逢うようなことはなかったのでございます。先日京から大輔が手紙をよこしまして、あの方がどうかして宮様のお墓へでもお行きになりたいと言っていらっしゃるから、そのつもりでということでしたが、中将からは久しぶりの音信というものもくれません。でございますからそのうちこちらへお見えになるでしょう。その節にあなた様の仰せをお伝えいたしましょう」
 夜が明けたので薫は帰ろうとしたが、昨夜遅れて京から届いた絹とか綿とかいうような物を御寺の阿闍梨へ届けさせることにした。弁の尼にも贈った。寺の下級の僧たち、尼君の召使いなどのために布類までも用意させてきて薫は与えたのだった。心細い形の生活であるが、こうして中納言が始終補助してくれるために、気楽に質素な暮らしが弁にできるのである。
 堪えがたいまでに吹き通す木枯しに、残る枝もなく葉を落とした紅葉の、積もりに積もり、だれも踏んだ跡も見えない庭にながめ入って、帰って行く気の進まなく見える薫であった。よい形をした常磐木にまとった蔦の紅葉だけがまだ残った紅さであった。こだにの蔓などを少し引きちぎらせて中の君への贈り物にするらしく薫は従者に持たせた。

やどり木と思ひ出でずば木のもとの旅寝もいかに寂しからまし
(宿木の昔泊まった家と思い出さなかったら、木の下の旅寝もどんなに寂しかったことでしょう)

 と口ずさんでいるのを聞いて、弁が、

荒れはつる朽ち木のもとを宿り木と思ひおきけるほどの悲しさ
(荒れ果てた朽木のもとを昔の泊まった家と思ってくださるのが悲しいことです)

 という。あくまで老いた女らしい尼であるが、趣味を知らなくないことで悪い気持ちは中納言にしなかった。
 二条の院へ宿り木の紅葉を薫の贈ったのは、ちょうど宮が来ておいでになる時であった。
「三条の宮から」
 と言って使いが何心もなく持って来たのを、夫人はいつものとおり自分の困るようなことの書かれてある手紙が添っているのではないかと気にしていたが隠しうるものでもなかった。宮が、
「美しい蔦だね」
 と意味ありげにお言いになって、お手もとへ取り寄せて御覧になるのであったが、手紙には、
このごろはどんな御様子でおられますか。山里へ行ってまいりまして、さらにまた峰の朝霧に悲しみを引き出される結果を見ました。そんな話はまたまいって申し上げましょう。あちらの寝殿を御堂に直すことを阿闍梨に命じて来ました。お許しを得ましてから、他の場所へ移すことにも着手させましょう。弁の尼へあなたから御承諾になるならぬをお言いやりになってください。
 こう書かれてあった。
「よくもしらじらしく書けた手紙だ。私がこちらにいると聞いていたのだろう」
 と宮はお言いになるのであった。少しはそうであったかもしれない。夫人は用事だけの言われてあったのをうれしく思ったのであるが、どこまでも疑ったものの言いようを宮があそばすのをうるさく思い、恨めしそうにしている顔が非常に美しくて、この人が犯せばどんな過失も許す気になるであろうと宮は見ておいでになった。
「返事をお書きなさい。私は見ないようにしているから」
 宮はわざとほかのほうへ向いておしまいになった。そうお言いになったからと言って、書かないでは怪しまれることであろうと夫人は思い、
 山里へおいでになりましたことはおうらやましいことと承りました。あちらは仰せのように御堂にいたすのがよろしいことと思っておりました。しかしまた私自身のために隠れ家として必要のあることを思い、荒廃はいたさせたくない願いもあったのですが、あなたのお計らいで両様の望みがかないますればありがたいことと存じます。
 と返事を書いた。こんなふうの友情をかわすだけの二人であろうと思っておいでになりながらも、御自身のお心慣らいから秘密があるように察せられて、御不安がのけがたいのであろう。枯れ枯れになった庭の植え込みの中の薄が何草よりも高く手を出して招いている形が美しく、また穂を持たないのも露を貫き玉を掛けた身をなびかせていることなどは平凡なことであるが夕風の吹いている草原は身にしむことが多いものである。

穂にいでぬ物思ふらししのすすき招く袂の露しげくして
(外に現さないが物思いをしているらしいですね。すすきが招くので袂の露がいっぱいですね)

 柔らかになったお小袖の上に直衣だけをお被になり、琵琶を宮は弾いておいでになった。黄鐘調の掻き合わせに美しい音を出しておいでになる時、夫人は好きな音楽であったから、恨めしいふうばかりはしておられず、小さい几帳の横から脇息によりかかって少し姿を現わしているのが非常に可憐に見えた。

「あきはつる野べのけしきもしの薄ほのめく風につけてこそ知れ
(秋が終わり野辺の景色もすすきがわずかに揺れる風によって知らされます)

『わが身一つの』(おほかたのわが身一つのうきからになべての世をも恨みつるかな)」
 と言ううちに涙ぐまれてくるのも、さすがに恥ずかしく扇で紛らしているその気分も愛すべきであると宮はお思われになるのであるが、こんな人であるからほかの男も忘れがたく思うのであろうと疑いをお持ちになるのが夫人の身に恨めしいことに相違ない。白菊がまだよく紫に色を変えないで、いろいろ繕われてあるのはことに移ろい方のおそい中にどうしたのか一本だけきれいに紫になっているのを宮はお折らせになり「花中偏愛菊」と誦しておいでになったが、
「某親王がこの花を愛しておいでになった夕方ですよ、天人が飛んで来て琵琶の手を教えたというのはね。何事もあさはかになって天人の心を動かすような音楽というものはもはや地上からなくなってしまったのは情けない」
 とお言いになり、楽器を下へ置いておしまいになったのを、中の君は残念に思い、
「人間の心だけはあさはかにもなったでしょうが、昔から伝わっております音楽などはそれほどにも堕落はしておりませんでしょう」
 こう言って、自身でおぼつかなくなっている手を耳から探り出したいと願うふうが見えた。宮は、
「それでは単独で弾いているのは寂しいものだから、あなたが合わせなさい」
 とお言いになって、女房に十三絃をお出させになって、夫人に弾かせようとあそばされるのだったが、
「昔は先生になってくださる方がございましたけれど、そんな時にもろくろく私はお習い取りすることはできなかったのですもの」
 恥ずかしそうに言って、中の君は楽器に手を触れようともしない。
「これくらいのことにもまだあなたは隔てというものを見せるのは情けないではありませんか、このごろ通って行く所の人は、まだ心が解けるというほどの間柄になっていないのに、未成品的な琴を聞かせなさいと言えば遠慮をせずに弾きますよ。女は柔らかい素直なのがいいとあの中納言も言っていましたよ。あの人へはこんなに遠慮をばかり見せないのでしょう。非常な仲よしなのだから」
 などと薫のことまでも言葉に出してお恨みになったため、夫人は歎息をしながら少し琴を弾いた。近ごろ使われぬ琴は緒がゆるんでいたから盤渉調にしてお合わせになった。夫人の掻き合わせの爪音が美しい。催馬楽の「伊勢の海」をお歌いになる宮のお声の品よくおきれいであるのを、そっと几帳の後ろなどへ来て聞いていた女房たちは満足した笑みを皆見せていた。
「二人の奥様をお持ちあそばすのはお恨めしいことですが、それも世のならわしなのですからね、やはりこの奥様を幸福な方と申し上げるほかはありませんよ。こうした所の大事な奥様になってお暮らしになる方とは思うこともできませんようでしたもとの生活へ、また帰りたいようによくおっしゃるのはどうしたことでしょう」
 といちずになって言う老いた女房はかえって若い女房たちから、
「静かになさい」
 と制されていた。
 琵琶などをお教えになりながら三、四日二条の院に宮がとどまっておいでになり、謹慎日になったからというような口実を作って六条院へおいでにならないのを左大臣家の人々は恨めしがってい、大臣が御所から退出した帰り路に二条の院へ出て来た。
「たいそうなふうをして何しにおいでになったのかと言いたい」
 などとお言いになり、宮は不機嫌になっておいでになったが、客殿のほうへ行って御面会になった。
「何かの機会のない限りはこの院へ上がることがなくなっております私には目に見るものすべてが身に沁んでなりません」
 とも言い、六条院のお話などをしばらくしていたあとで、大臣は宮をお誘い出して行くのであった。子息たちその他の高級役人、殿上役人なども多く引き連れている勢力の偉大さを見て、比較にもならぬ世間的に無力な身の上を中の君は思ってめいった気持ちになっていた。女房らはのぞきながら、
「ほんとうにおきれいな大臣様、あんなにごりっぱな御子息様たちで、皆若盛りでお美しいと申してよい方たちが、だれもお父様に及ぶ方はないじゃありませんか、なんという美男でいらっしゃるのでしょう」
 と中には言う者もあった。また、
「あんなおおぎょうなふうをなすって、わざわざお迎えなどにおいでになるなんてくちおしい。世の中って楽なものではありませんね」
 と歎息する女もあった。夫人自身も寂しい来し方を思い出し、あのはなやかな人たちの世界の一隅を占めることは不可能な影の淡い身の上であることがいよいよ心細く思われて、やはり自分は宇治へ隠退してしまうのが無難であろうと考えられるのであった。
 日は早くたち年も暮れた。

第8章 薫大納言

 一月の終わりから普通でない身体の苦痛を夫人は感じだしたのを、宮もまだ産をする婦人の悩みをお見になった御経験はなかったので、どうなるのかと御心配をあそばして、今まで祈祷などをほうぼうでさせておいでになった上に、さらにほかでも修法を始めることをお命じになった。非常に容体が危険に見えたために中宮からもお見舞いの使いが来た。中の君が二条の院へ迎えられてから足かけ三年になるが、御良人の宮の御愛情だけはおろそかなものでないだけで、一般からはまだ直接親王夫人に相当する尊敬は払われていなかったのに、この時にはだれも皆驚いて見舞いの使いを立て、自身でも二条の院へ来た。
 源中納言は宮の御心配しておいでになるのにも劣らぬ不安を覚えて、気づかわしくてならないのであっても、表面的な見舞いに行くほかは近づいて尋ねることもできずに、ひそかに祈祷などをさせていた。この人の婚約者の女二の宮の裳着の式が目前のことになり、世間はその日の盛んな儀礼の用意に騒いでいる時であって、すべてを帝御自身が責任者であるようにお世話をあそばし、これでは後援する外戚のないほうがかえって幸福が大きいとも見られ、亡き母君の藤壺の女御が姫宮のために用意してあった数々の調度の上に、宮中の作物所とか、地方長官などとかへ御下命になって作製おさせになったものが無数にでき上がってい、その式の済んだあとで通い始めるようにとの御内意が薫へ伝達されている時であったから、婿方でも平常と違う緊張をしているはずであるが、なおいままでどおりにそちらのことはどうでもいいと思われ、中の君の産の重いことばかりを哀れに思って歎息を続ける薫であった。
 二月の朔日に直物といって、一月の除目の時にし残された官吏の昇任更任の行なわれる際に、薫は権大納言になり、右大将を兼任することになった。今まで左大将を兼ねていた右大臣が軍職のほうだけを辞し、右が左に移り、右大将が親補されたのである。新任の挨拶にほうぼうをまわった薫は、兵部卿の宮へもまいった。夫人が悩んでいる時であって、宮は二条の院の西の対においでになったから、こちらへ薫は来たのであった。僧などが来ていて儀礼を受けるには不都合な場所であるのにと宮はお驚きになり、新しいお直衣に裾の長い下襲を召してお身なりをおととのえになって、客の礼に対する答の拝礼を階下へ降りてあそばされたが、大将もりっぱであったし、宮もきわめてごりっぱなお姿と見えた。この日は右近衛府の下僚の招宴をして纏頭を出すならわしであったから、自邸でとは言っていたが、近くに中の君の悩んでいる二条の院があることで少し躊躇していると、夕霧の左大臣が弟のために自家で宴会をしようと言いだしたので六条院で行なった。皇子がたも相伴の客として宴にお列りになり、高級の官吏なども招きに応じて来たのが多数にあって、新任大臣の大饗宴にも劣らない盛大な、少し騒がし過ぎるほどのものになった。兵部卿の宮も出ておいでになったのであるが、夫人のことがお気づかわしいために、まだ宴の終わらぬうちに急いで二条の院へお帰りになったのを、左大臣家の新夫人は不満足に思い、ねたましがった。同じほどに愛されているのであるが権家の娘であることに驕っている心からそう思われたのであろう。
 ようやくその夜明けに二条の院の夫人は男児を生んだ。宮も非常にお喜びになった。右大将も昇任の悦びと同時にこの報を得ることのできたのをうれしく思った。昨夜の宴に出ていただいたお礼を述べに来るのとともに、御男子出産の喜びを申しに、薫は家へ帰るとすぐに二条の院へ来たのであった。
 兵部卿の宮がそのままずっと二条の院におられたから、お喜びを申しに伺候しない人もなかった。産養の三日の夜は父宮のお催しで、五日には右大将から産養を奉った。屯食五十具、碁手の銭、椀飯などという定まったものはその例に従い、産婦の夫人へ料理の重ね箱三十、嬰児の服を五枚重ねにしたもの、襁褓などに目だたぬ華奢の尽くされてあるのも、よく見ればわかるのであった。父宮へも浅香木の折敷、高坏などに料理、ふずく(麺類)などが奉られたのである。女房たちは重詰めの料理のほかに、籠入りの菓子三十が添えて出された。たいそうに人目を引くことはわざとしなかったのである。七日の夜は中宮からのお産養であったから、席に列る人が多かった。中宮大夫を初めとして殿上役人、高級官吏は数も知れぬほどまいったのだった。帝も出産を聞召して、兵部卿の宮がはじめて父になった喜びのしるしをぜひとも贈るべきであると仰せになり、太刀を新王子に賜わった。九日も左大臣からの産養があった。愛嬢の競争者の夫人を喜ばないのであるが、宮の思召しをはばかって、当夜は子息たちを何人も送り、接客の用を果たさせもした。
 夫人もこの幾月間物思いをし続けると同時に、身体の苦しさも並み並みでなく、心細くばかり思っていたのであったが、こうしたはなやかな空気に包まれる日が来て少し慰んだかもしれない。
 右大将はこんなふうに動揺されぬ位置が中の君にできてしまい、王子の母君となってしまっては、自分の恋に対して冷淡さが加わるばかりであろうし、宮の愛はこの夫人に多く傾くばかりであろうと思われるのはくちおしい気のすることであったが、最初から願っていた中の君の幸福というものがこれで確実になったとする点ではうれしく思わないではいられなかった。
 その月の二十幾日に女二の宮の裳着の式が行なわれ、翌夜に右大将は藤壺へまいった。これに儀式らしいものはなくて、ひそかなことになっていた。天下の大事のように見えるほどおかしずきになった姫宮の御良人に一臣下の男がなるのに不満が覚えられる。婚約はお許しになっておいても、結婚をそう急いでおさせにならないでもよいではないかと非難らしいことを申す者もあったが、お思い立ちになったことはすぐ実行にお移しになる帝の御性質から、過去に例のないまで帝の婿として薫を厚遇しようとお考えになってあそばすことらしかった。帝の御婿になる人は昔も今もたくさんあろうが、まだ御盛んな御在位中にただの人間のように婿取りに熱中あそばしたというようなことは少なかったであろう。左大臣も、
「右大将はすばらしい運命を持った男ですね。六条院すら朱雀院の晩年に御出家をされる際にあの母宮をお得になったくらいのことだし、私などはましてだれもお許しにならないのをかってに拾ったにすぎない」
 こんなことを言った。夫人の宮はそのとおりであったことがお恥ずかしくて返辞をあそばすこともできなかった。
 三日目の夜は大蔵卿を初めとして、女二の宮の後見に帝のあてておいでになる人々、宮付きの役人に仰せがあって、右大将の前駆の人たち、随身、車役、舎人にまで纏頭を賜わった。普通の家の新郎の扱い方に少しも変わらないのであった。それからのちは忍び忍びに藤壺へ薫は通って行った。心の中では昔のこと、昔にゆかりのある人のことばかりが思われて、昼はひねもす物思いに暮らして、夜になるとわが意志でもなく女二の宮をお訪ねに行くのも、そうした習慣のなかった人であるからおっくうで苦しく思われる薫は、御所から自邸へ宮をお迎えしようと考えついた。そのことを尼宮はうれしく思召して、御自身のお住居になっている寝殿を全部新婦の宮へ譲ろうと仰せになったのであるが、それはもったいないことであると薫は言って、自身の念誦講堂との間に廊を造らせていた。西側の座敷のほうへ宮をお迎えするつもりらしい。東の対なども焼けてのちにまたみごとな建築ができていたのをさらに設備を美しくさせていた。薫のそうした用意をしていることが帝のお耳にはいり、結婚してすぐに良人の家へはいるのはどんなものであろうと不安に思召されるのであった。帝も子をお愛しになる心の闇は同じことなのである。尼宮の所へ勅使がまいり、お手紙のあった中にも、ただ女二の宮のことばかりが書かれてあった。お亡くなりになった朱雀院が特別にこの尼宮を御援助になるようにと遺託しておありになったために、出家をされたのちでも二品内親王の御待遇はお変えにならず、宮からお願いになることは皆御採用になるというほどの御好意を帝は示しておいでになったのである。こうした最高の方を舅君とし、母宮として、たいせつにお扱われする名誉もどうしたものか薫の心には特別うれしいとは思われずに、今もともすれば物思い顔をしていて、宇治の御堂の造営を大事に考えて急がせていた。
 兵部卿の宮の若君の五十日になる日を数えていて、その式用の祝いの餠の用意を熱心にして、竹の籠、檜の籠などまでも自身で考案した。沈の木、紫檀、銀、黄金などのすぐれた工匠を多く家に置いている人であったから、その人々はわれ劣らじと製作に励んでいた。
 薫はまた宮のおいでにならぬひまに二条の院の夫人を訪れた。思いなしか重々しさと高貴さが添ったように中の君を薫は思った。もう薫は結婚もしたのであるから、自分の迷惑になるような気持ちは皆紛れてしまっているであろうと安心して夫人は出て来たのであったが、やはり同じように寂しい表情をし、涙ぐんでいて、
「自分の意志でない結婚をした苦痛というものはまた予想外に堪えられないものだとわかりまして、煩悶ばかりが多くなりました」
 と、新婦の宮に同情の欠けたようなことを薫は言って夫人に訴えた。
「とんだことをおっしゃいます。そういうことをいつの間にか人が聞くようになってはたいへんですよ」
 こう中の君は言いながらも、だれが見ても光栄の人になっていて、それにも慰められずまだ故人が忘れられないように言うこの人の愛の純粋さをうれしく思っていた。姉君が生きていたらとも思うのであったが、しかしそれも自分と同じように勝ち味のない競争者を持って薄運を歎くにとどまることになったであろう、富のない自分らは世の中から何につけても尊重されていくものではないらしいとまた思うことによって姉君がどこまでも情に負けず結婚はせまいとした心持ちのえらさが思われた。
 薫が若君をぜひ見せてほしいと言っているのを聞いて、恥ずかしくは思いながら、この人に隔て心を持つようには取られたくない、無理な恋を受け入れぬと恨まれる以外のことで、この人の感情は害したくないと中の君は思い、自身では何とも返辞をせずに、乳母に抱かせた若君を御簾の外へ出して見せさせた。いうまでもなく醜い子であるはずはない。驚くほど色が白く、美しくて、高い声を立てて笑んでみせる若君を見て薫は、これが自分の子であったならと思い、うらやましい気のしたというのは、この人の心も人間生活に離れにくくなったのであろうか。しかしこの人は、死んだ恋人が普通に自分の妻になっていて、こうした人を形見に残しておいてくれたならばと思うのであって、自身が名誉な結婚をしたと見られている女二の宮から早く生まれる子があればよいなどとは夢にも考えないというのはあまりにも変わった人である。こんなふうに死んで取り返しようのない人にばかり未練を持ち、新しい妻の内親王に愛情を持たないことなどはあまり書くのがお気の毒である。こんな変人を帝が特にお愛しになって、婿にまではあそばされるはずはないのである。公人としての才能が完全なものであったのであろうと見ておくよりしかたがない。
 これほどの幼い人をはばからず見せてくれた夫人の好意もうれしくて、平生以上にこまやかに話をしているうちに日が暮れたため、他で夜の刻をふかしてはならぬ境遇になったことも苦しく思い、薫は歎息を洩らしながら帰って行った。
「なんというよいにおいでしょう。『折りつれば袖こそにほへ梅の花』というように、鶯もかぎつけて来るかもしれませんね」
 などと騒いでいる女房もあった。
 夏になると御所から三条の宮は方角塞がりになるために、四月の朔日の、まだ春と夏の節分の来ない間に女二の宮を薫は自邸へお迎えすることにした。
 その前日に帝は藤壺へおいでになって、藤花の宴をあそばされた。南の庇の間の御簾を上げて御座の椅子が立てられてあった。これは帝のお催しで宮が御主催になったのではない。高級役人や殿上人の饗膳などは内蔵寮から供えられた。左大臣、按察使大納言、藤中納言、左兵衛督などがまいって、皇子がたでは兵部卿の宮、常陸の宮などが侍された。南の庭の藤の花の下に殿上人の席ができてあった。後涼殿の東に楽人たちが召されてあって、日の暮れごろから双調を吹き出し、お座敷の上では姫宮のほうから御遊の楽器が出され、大臣を初めとして人々がそれを御前へ運んだ。六条院が自筆でおしたためになり、三条の尼宮へお与えになった琴の譜二巻を五葉の枝につけて左大臣は持って出、由来を御披露して奉った。次々に十三絃、琵琶、和琴の名楽器が取り出された。朱雀院から伝わった物で薫の所有するものである。笛は柏木の大納言が夢に出て伝える人を夕霧へ暗示した形見のもので、非常によい音の出るものであると六条院がお愛しになったものを、右大将へ贈るのはこの美しい機会以外にないと思い、薫のためにこの人が用意してきたのであるらしい。大臣に和琴、兵部卿の宮に琵琶の役を仰せつけになった。笛の右大将はこの日比類もなく妙音を吹き立てた。殿上役人の中にも唱歌の役にふさわしい人は呼び出され、おもしろい合奏の夜になった。御前へ女二の宮のほうから粉熟が奉られた。沈の木の折敷が四つ、紫檀の高坏、藤色の村濃の打敷には同じ花の折り枝が刺繍で出してあった。銀の陽器、瑠璃の杯瓶子は紺瑠璃であった。兵衛督が御前の給仕をした。お杯を奉る時に、大臣は自分がたびたび出るのはよろしくないし、その役にしかるべき宮がたもおいでにならぬからと言い、右大将にこの晴れの役を譲った。薫は遠慮をして辞退をしていたが、帝もその御希望がおありになるようであったから、お杯をささげて「おし」という声の出し方、身のとりなしなども、御前ではだれもする役であるが比べるものもないりっぱさに見えるのも、今日は婿君としての思いなしが添うからであるかもしれぬ。返しのお杯を賜わって、階下へ下り舞踏の礼をした姿などは輝くようであった。皇子がた、大臣などがお杯を賜わるのさえきわめて光栄なことであるのに、これはまして御婿として御歓待あそばす御心がおありになる場合であったから、幸福そのもののような形に見えたが、階級は定まったことであったから、大臣、按察使大納言の下の座に帰って来て着いた時は心苦しくさえ見えた。按察使大納言は自分こそこの光栄に浴そうとした者ではないか、うらやましいことであると心で思っていた。昔この宮の母君の女御に恋をしていて、その人が後宮にはいってからも始終忘られぬ消息を送っていたのであって、しまいにはまたお生みした姫宮を得たい心を起こすようになり、宮の御後見役代わりの御良人になることを人づてにお望み申し上げたつもりであったのが、その人はむだなことを知って奏上もしなかったのであったから、按察使は残念に思い、右大将は天才に生まれて来ているとしても、現在の帝がこうした婿かしずきをあそばすべきでない、禁廷の中のお居間に近い殿舎で一臣下が新婚の夢を結び、果ては宴会とか何とか派手なことをあそばすなどとは意を得ないなどとお譏り申し上げてはいたが、さすがに藤花の御宴に心が惹かれて参列していて、心の中では腹をたてていた。燭を手にして歌を文台の所へ置きに来る人は皆得意顔に見えたが、こんな場合の歌は型にはまった古くさいものが多いに違いないのであるから、わざわざ調べて書こうと筆者はしなかった。上流の人とても佳作が成るわけではないが、しるしだけに一、二を聞いて書いておく。次のは右大将が庭へ下りて藤の花を折って来た時に、帝へ申し上げた歌だそうである。

すべらぎのかざしに折ると藤の花及ばぬ枝に袖かけてけり
(帝のかざしに折ろうと藤の花を、及ばない袖に枝をかけてしまいました)

 したり顔なのに少々反感が起こるではないか。

よろづ代をかけてにほはん花なれば今日をも飽かぬ色とこそ見れ
(万世を変わらず咲く花だから、今日も飽きない美しさと見ます)

 これは御製である。まただれかの作、

君がため折れるかざしは紫の雲に劣らぬ花のけしきか
(あなたのために折ったかざしの花は、紫の雲にも劣らない花の美しさです)
世の常の色とも見えず雲井まで立ちのぼりける藤波の花
(普通の花の美しさとも見えません、宮中まで立ち上った藤の花)

 あとのは腹をたてていた大納言の歌らしく思われる。どの歌にも筆者の聞きそこねがあってまちがったところがあるかもしれない。だいたいこんなふうの歌で、感激させられるところの少ないもののようであった。
 夜がふけるにしたがって音楽は佳境にはいっていった。薫が「あなたふと」を歌った声が限りもなくよかった。按察使も昔はすぐれた声を持った人であったから、今もりっぱに合わせて歌った。左大臣の七男が童の姿で笙の笛を吹いたのが珍しくおもしろかったので帝から御衣を賜わった。大臣は階下で舞踏の礼をした。もう夜明け近くなってから帝は常の御殿へお帰りになった。纏頭は高級官人と皇子がたへは帝から、殿上役人と楽人たちへは姫宮のほうから品々に等差をつけてお出しになった。
 その翌晩薫は姫宮を自邸へお迎えして行ったのであった。儀式は派手なものであった。女官たちはほとんど皆お送りに来た。庇の御車に宮は召され、庇のない糸毛車が三つ、黄金作りの檳榔毛車が六つ、ただの檳榔毛車が二十、網代車が二つお供をした。女房三十人、童女と下仕えが八人ずつ侍していたのであるが、また大将家からも儀装車十二に自邸の女房を載せて迎えに出した。お送りの高級役人、殿上人、六位の蔵人などに皆華奢な服装をさせておありになった。
 こうしてお迎えした女二の宮を、薫は妻として心安く観察するようになったが、宮はお美しかった。小柄で上品に落ち着いて、どこという欠点もお持ちにならないのを知って、自分の宿命というものも悪くはないようであると喜んだとはいうものの、それで過去の悲しい恋の傷がいやされたのでは少しもなかった。今もどんな時にも紛れる方もなく昔ばかりが恋しく思われる薫であったから、自分としては生きているうちにそれに対する慰めは得られないに違いない、仏になってはじめて、恨めしい因縁は何の報いであるということが判然することにより忘られることにもなろうと思い、寺の建築のことにばかり心が行くのであった。

第9章 宇治の浮舟

 賀茂の祭りなどがあって、世間の騒がしいころも過ぎた二十幾日に薫はまた宇治へ行った。建造中の御堂を見て、これからすべきことを命じてから、古山荘を訪ねずに行くのは心残りに思われて、そのほうへ車をやっている時、女車で、あまりたいそうなのではないが一つ、荒々しい東国男の腰に武器を携えた侍がおおぜい付き、下僕の数もおおぜいで、不安のなさそうな旅の一行が橋を渡って来るのが見えた。田舎風な連中であると見ながら下りて、大将は山荘の内にはいり、前駆の者などがまだ門の所で騒がしくしている時に見ると、宇治橋を来た一行もこの山荘をさして来るものらしかった。随身たちががやがやというのを薫は制して、だれかとあとから来る一行を尋ねさせてみると、妙ななまり声で、
「前常陸守様のお嬢様が初瀬のお寺へお詣りになっての帰りです。行く時もここへお泊まりになったのです」
 と答えたのを聞いて、薫はそれであった、話に聞いた人であったと思い出して、従者たちは見えない所へ隠すようにして入れ、
「早くお車を入れなさい。もう一人ここへ客に来ている人はありますが、心安い方で隠れたお座敷のほうにおられますから」
 とあとの人々へ言わせた。薫の供の人々も皆狩衣姿などで目にたたぬようにはしているが、やはり貴族に使われている人と見えるのか、はばかって皆馬などを後ろへ退らせてかしこまっていた。
 車は入れて廊の西の端へ着けた。改造後の寝殿はまだできたばかりで御簾も皆は掛けてない。格子が皆おろしてある中の二間の間の襖子の穴から薫はのぞいていた。堅い上着が音をたてるのでそれは脱いで、直衣と指貫だけの姿になっていた。車の人はすぐにもおりて来ない、弁の尼の所へ人をやって、りっぱな客の来ていられる様子であるがどなたかというようなことを聞いているらしい。薫は車の主を問わせた時から山荘の人々に、自分が来ているとは決して言うなと口どめをまずしておいたので皆心得ていて、
「早くお降りなさいまし。お客様はおいでになりますが別のお座敷においでになります」
 と言わせた。
 若い女房が一人車からおりて主人のために簾を掲げていた。警固の物々しい騎士たちに比べてこの女房は物馴れた都風をしていた。年の行った女房がもう一人降りて来て、
「お早く」
 と言う。
「何だか晴れがましい気がして」
 と言う声はほのかであったが品よく聞こえた。
「またそれをおっしゃいます。こちらはこの前もお座敷が皆しまっていたではございませんか。あすこに人が見ねばどこに見る人がございましょう」
 と女房はわかったふうなことを言う。恥ずかしそうにおりて来る人を見ると、その頭の形、全体のほっそりとした姿は薫に昔の人を思い出させるものであろうと思われた。扇をいっぱいに拡げて隠していて顔の見られないために薫は胸騒ぎを覚えた。車の床は高く、降りる所は低いのであったが、二人の女房はやすやすと出て来たにもかかわらず、苦しそうに下をながめて長くかかっておりた人は家の中へいざり入った。紅紫の袿に撫子色らしい細長を着、淡緑の小袿を着ていた。向こうの室は薫ののぞく襖子の向こうに四尺の几帳は立てられてあるが、それよりも穴のほうが高い所にあるためすべてがこちらから見えるのである。この隣室をまだ令嬢は気がかりに思うふうで、あちら向きになって身を横たえていた。
「ほんとうにお気の毒でございました。泉河の渡しも今日は恐ろしゅうございましたね。二月の時には水が少なかったせいかよろしかったのでございます」
「なあに、あなた、東国の道中を思えばこわい所などこの辺にはあるものですか」
 実際女房は二人とも苦しい気もなくこんなことを言い合っているが、主人は何も言わずにひれ伏していた。袖から見える腕の美しさなども常陸さんなどと言われる者の家族とは見えず貴女らしい。薫は腰の痛くなるまで立ちすくんでいるのだったが、人のいるとは知らすまいとしてなおじっと動かずに見ていると、若いほうの女房が、
「まあよいにおいがしますこと、尼さんがたいていらっしゃるのでしょうか」
 と驚いてみせた。老いたほうのも、
「ほんとうにいい香ね。京の人は何といっても風流なものですね。ここほどけっこうな所はないと御主人様は思召すふうでしたが、東国ではこんな薫香を合わせてお作りになることはできませんでしたね。尼さんはこうした簡単な暮らしをしていらっしゃってもよいものを着ていらっしゃいますわね、鈍色だって青色だって特別によく染まった物を使っていらっしゃるではありませんか」
 と言ってほめていた。向こうのほうの縁側から童女が来て、
「お湯でも召し上がりますように」
 と言い、折敷に載せた物をいろいろ運び入れた。菓子を近くへ持って来て、
「ちょっと申し上げます。こんな物を召し上がりません」
 と令嬢を起こしているが、その人は聞き入れない。それで二人だけで栗などをほろほろと音をさせて食べ始めたのも、薫には見馴れぬことであったから眉がひそめられ、しばらく襖子の所を退いて見たものの、心を惹くものがあってもとの所へ来て隣の隙見を続けた。こうした階級より上の若い女を、中宮の御殿をはじめとしてそこここで顔の美しいもの、上品なものを多く知っているはずの薫には、格別すぐれた人でなければ目にも心にもとどまらないために、人からあまりに美の観照点が違い過ぎるとまで非難されるほどであって、今目の前にいるのは何のすぐれたところもある人と見えないのであるが、おさえがたい好奇心のわき上がるのも不思議であった。尼君は薫のほうへも挨拶を取り次がせてよこしたのであるが、御気分が悪いとお言いになって、しばらく休息をしておいでになると、従者がしかるべく断わっていたので、この姫君を得たいように言っておいでになったのであるから、こうした機会に交際を始めようとして、夜を待つために一室にこもっているのであろうと解釈して、こうしてその人が隣室をのぞいているとも知らず、いつもの薫の領地の支配者らが機嫌伺いに来て重詰めや料理を届けたのを、東国の一行の従者などにも出すことにし、いろいろと上手に計らっておいてから、姿を改めて隣室へ現われて来た。先刻ほめられていたとおりに身ぎれいにしていて、顔も気品があってよかった。
「昨日お着きになるかとお待ちしていたのですが、どうなすって今日もこんなにお着きがおそくなったのでしょう」
 こんなことを弁の尼が言うと、老いたほうの女が、
「お苦しい御様子ばかりが見えますものですから、昨日は泉河のそばで泊まることにしまして、今朝も御無理なように見えましたから、そこをゆるりと立つことにしたものですから」
 姫君を呼び起こしたために、その時やっとその人は起きてすわった。尼君に恥じて身体をそばめている側面の顔が薫の所からよく見える。上品な眸つき、髪のぐあいが大姫君の顔も細かによくは見なかった薫であったが、これを見るにつけてただこのとおりであったと思い出され、例のように涙がこぼれた。弁の尼が何か言うことに返辞をする声はほのかではあるが中の君にもまたよく似ていた。心の惹かれる人である、こんなに姉たちに似た人の存在を今まで自分は知らずにいたとは迂闊なことであった。これよりも低い身分の人であっても恋しい面影をこんなにまで備えた人であれば自分は愛を感ぜずにはおられない気がするのに、ましてこれは認められなかったというだけで八の宮の御娘ではないかと思ってみると、限りもなくなつかしさうれしさがわいてきた。今すぐにも隣室へはいって行き、「あなたは生きていたではありませんか」と言い、自身の心を慰めたい、蓬莱へ使いをやってただ証の簪だけ得た帝は飽き足らなかったであろう、これは同じ人ではないが、自分の悲しみでうつろになった心をいくぶん補わせることにはなるであろうと薫が思ったというのは宿縁があったものであろう。
 尼君はしばらく話していただけであちらへ行ってしまった。女房らの不思議がっていたかおりを自身も嗅いで、薫ののぞいていることを悟ったためによけいなことは何も言わなかったものらしい。
 日も暮れていったので、薫も静かに座へもどり、上着を被たりなどして、いつも尼君と話す襖子の口へその人を呼んで姫君のことなどを聞いた。
「都合よく私がここで落ち合うことになったのですが、どうでした私が前に頼んでおいた話は」
 と薫が言うと、
「仰せを承りましてからは、よい機会があればとばかり待っていたのでございますが、そのうち年も暮れまして、今年になりましてから二月に初瀬参りの時にはじめてお逢いすることになったのでございます。お母さんにあなた様の思召しをほのめかしてみますと、大姫君とはあまりに懸隔のあるお身代わりでおそれおおいと申しておりましたが、ちょうどそのころはあなた様のほうにもお取り込みのございましたころで、お暇もないと承っておりましたし、こうした問題はことにまたお避けになる必要があると存じましてその御報告をいたしますことも控えておりました。ところがまたこの月にもお詣りをなさいまして、今日もお帰りがけにお寄りになったのでございます。往復に必ずおいでになりますのもお亡くなりになりました宮様をお慕いになるお心からでございましょう。お母さんがさしつかえがあって今度はお一人でお越しになったものですから、あなた様が御同宿あそばすなどとは申されないのでございます」
 こう弁の尼は答えた。
「見苦しい出歩きを人に知らすまいと思って、客は私だと言うなと言っておきましたが、どこまで命令は守られることかあてにはならない。供の者などは口が軽いものですからね。だからいいではありませんか、一人で来ていられるのはかえって気安く思われますからね、こんなに深い因縁があって同じ所へ来合わせたと伝えてください」
 と薫が言うと、
「にわかな御因縁話でございますね」と言い、
「それではそう申しましょう」
 立って行こうとする弁に、

かほ鳥の声も聞きしにかよふやと繁みを分けてけふぞたづぬる
(かお鳥の声も以前に聞いた声に似ているかと茂みを分け入って尋ねてきた)

 口ずさみのようにして薫はこの歌を告げたのを、姫君の所へ行って弁は話した。

今回のあらすじ

女二の宮を薫に降嫁させようと考え、女二の宮や薫と碁を打つ帝と、匂宮を六の君の婿にと願う夕霧

匂宮が婚約し不安な心境の中、匂宮の子を懐妊する中君

中君に同情しつつ恋慕しながらも、亡き大君も追憶し、二条院の中君を訪問後、中君と語らう薫

光源氏の死を語り、亡き大君を追憶する薫と故里の宇治を思う薫と中君

二条院を退出して帰宅する薫

匂宮と六の君の婚儀が行われ、不安な心境の中君と六の君に後朝の文を書いた後、中君を慰める匂宮

中君を訪問して慰める薫と薫に宇治への同行を願う中君

帰邸して、薫の移り香に不審を抱くも中君の素晴しさを改めて認識する匂宮

それぞれの苦悩を抱えながら、二条院を訪問し、亡き大君追慕の情を訴える薫と異母妹の浮舟を語る中君

宇治を訪れ、阿闍梨と面談し、弁の尼に浮舟の件を尋ねた後、二条院の中君に宇治訪問の報告する薫

中君の前で琵琶を弾く匂宮と匂宮を強引に六条院へ迎え取る夕霧

新年、権大納言兼右大将に昇進する薫と男子が誕生する中君

二月下旬、薫に降嫁する女二の宮と男御子の五十日を祝う中君

藤壺にて藤の花の宴催され、三条宮邸に渡御する女二の宮

四月下旬、宇治で浮舟を垣間見る薫と弁の尼と対面する浮舟

弁の尼に仲立を依頼する薫

宿木和歌集

・世の常の垣根ににほふ花ならば心のままに折りて見ましを
(世間の家の垣根に咲く花ならば、思いのままに手折って眺められましょうものを)

・霜にあへず枯れにし園の菊なれど残りの色はあせずもあるかな
(霜に堪えかね枯れた園の菊だが、残りの色は褪せていないな)

・今朝のまの色にや愛でん置く露の消えぬにかかる花と見る見る
(今朝の間の色を賞美しようか。置く露が消えずに残り咲く花と思いながら)

・よそへてぞ見るべかりける白露の契りかおきし朝顔の花
(姉君と思って自分のものにしておくべきでした。白露が約束した朝顔の花だから)

・消えぬまに枯れぬる花のはかなさにおくるる露はなほぞまされる
(露が消えないうちに枯れゆく花のはかなさよりも、後れて残る露はもっとはかないのです)

・大空の月だに宿るわが宿に待つ宵過ぎて見えぬ君かな
(大空の月さえ宿る我が邸で、待つ宵が過ぎてもお見えにならないあなたですね)

・山里の松の蔭にもかくばかり身にしむ秋の風はなかりき
(山里の松の蔭でもこれほどに身にこたえる秋の風は今までなかった)

・をみなへし萎れぞ見ゆる朝露のいかに置きける名残なるらん
(女郎花が一段としおれています朝露が、どのように置いていったせいでしょうか)

・おほかたに聞かましものを蜩の声うらめしき秋の暮れかな
(何気なく聞いただろうに、蜩の声が恨めしい秋の暮れだな)

・うち渡し世に許しなき関川をみなれそめけん名こそ惜しけれ
(世間から認められない仲なのに、お逢いし続けている評判が立つのは辛うございます)

・深からず上は見ゆれど関川のしもの通ひは絶ゆるものかは
(深くないように表面的には見えますが、心の底の愛情は絶えることがありません)

・いたづらに分けつる路の露しげみ昔おぼゆる秋の空かな
(無駄に歩いた道の露が多く、昔を思い出す秋の空ですね)

・またびとになれける袖の移り香をわが身にしめて恨みつるかな
(他の人に親しんだ袖の移り香は、わが身に深く恨めしいことだ)

・見なれぬる中の衣と頼みしをかばかりにてやかけ離れなん
(親しみ信頼してきた夫婦の仲も、この程度で切れてしまうのか)

・結びける契りことなる下紐をただひとすぢに恨みやはする
(結んだ契りの相手が違うので、どうして一途に恨んだりしようか)

・やどり木と思ひ出でずば木のもとの旅寝もいかに寂しからまし
(宿木の昔泊まった家と思い出さなかったら、木の下の旅寝もどんなに寂しかったことでしょう)

・荒れはつる朽ち木のもとを宿り木と思ひおきけるほどの悲しさ
(荒れ果てた朽木のもとを昔の泊まった家と思ってくださるのが悲しいことです)

・穂にいでぬ物思ふらししのすすき招く袂の露しげくして
(外に現さないが物思いをしているらしいですね。すすきが招くので袂の露がいっぱいですね)

・あきはつる野べのけしきもしの薄ほのめく風につけてこそ知れ
(秋が終わり野辺の景色もすすきがわずかに揺れる風によって知らされます)

・すべらぎのかざしに折ると藤の花及ばぬ枝に袖かけてけり
(帝のかざしに折ろうと藤の花を、及ばない袖に枝をかけてしまいました)

・よろづ代をかけてにほはん花なれば今日をも飽かぬ色とこそ見れ
(万世を変わらず咲く花だから、今日も飽きない美しさと見ます)

・君がため折れるかざしは紫の雲に劣らぬ花のけしきか
(あなたのために折ったかざしの花は、紫の雲にも劣らない花の美しさです)

・世の常の色とも見えず雲井まで立ちのぼりける藤波の花
(普通の花の美しさとも見えません、宮中まで立ち上った藤の花)

・かほ鳥の声も聞きしにかよふやと繁みを分けてけふぞたづぬる
(かお鳥の声も以前に聞いた声に似ているかと茂みを分け入って尋ねてきた)

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