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【学級担任という仕事】〜6年間の学び〜

今回は「学級担任」について、書いてみようと思います。

「教員といったらまず“授業”」という投稿をしてきましたが、「“担任”をやらなきゃ教員じゃない」みたいなこともよく我々の世界では言われます。

私は学校内の事情もあり、赴任して2年間は副担任。
初めて担任を持ったのは、3年目でした。
そこから1→2→3→1→2→3と6年連続で担任をさせてもらい「2まわり」しました。

「1まわり」めは、クラスでいろいろ起こりました。
初めての担任でもあったので、自分の中ではとても大変でした。

よく中高の教員の中では「1まわりして一人前」と言われます。
なんとなくその意味がわかったような気がします。

「2まわり」めは、全体的な学年の生徒の落ち着きもありましたが、“何もなく”3年間を過ごすことができました。
コロナ禍で業務としては大変でしたが、クラスでは大きなトラブルもほとんどなく、平和でした。

今年は、3年生の担任をしていて、こんなことがありました。

10月13日の朝、朝SHRで教室に行くと、わがクラスの生徒たちがサプライズで誕生日を祝ってくれました。
正直いつ自分の誕生日を話したかも記憶にはないのですが。笑
担任が来る前に黒板アートの準備が間に合っていなかったり、“その日自分が着ていたパーカーと全く同じ”(メーカーも色もサイズも)物をプレゼントされたりと、そういうところはウチの学校らしいなと思いながら、教員となりこんなに盛大に祝われたのが初めてだったので、とても嬉しい気持ちになりました。

これにさらに3品貰い、合計金額万単位までいってる⁈と思い、さすがになんか悪いので、この日の退勤時にお返しをクラス全員分買いました。

別に何かクラスに甘やかしたり媚びを売る(表現が正しいかわかりませんが)ようなことはしていません。

ただ、私のクラスの生徒たちは非常に前向きに学校生活に取り組んでくれました。
修学旅行延期→中止からの、最後の文化祭・体育祭延期という中、進学校ではないのに勉強しかしていないこの状況でよく腐らずにやってくれました。

全員が進路を年内に確定し(それもそれでどうかとも思いますが笑)、3月10日に卒業式を迎えます。

繰り返しになりますが、43人クラスですが(座席は8列目まであります)、欠席も少なければ(今はワクチン副作用での欠席だらけです)、いじめもなく、クラス内で大きなトラブルもありませんでした。

もともと良い子たちが揃ってたというのもあるかと思いますが、特に今年はやはり個人的にはクラスの面倒をより見れている(授業も多くもってるので毎日授業があったりする)から、生徒たちの気持ちが学校に向いてくれていたのかなと思ったりもします。

今思い返してみると、「1まわり」めは、いろいろと細かく指導しすぎたというか、厳しくしすぎたかなと感じます。

今回の「2まわり」めは、担任である私も穏やかに普通に生徒と関わり、普通の人と人の関係に近い(もちろん先生と生徒の上下関係は維持してます)関係だったと思います。

そして、こちらに「2まわり」めという精神的な余裕があったことで、さまざまな活動・ワークをやったり、進路実現に向けて手を尽くしてあげたり、手をかけてあげられたというのも、クラスが前向きに進んだ要因なのではないかと。

つまり、担任の先生が穏やかだから、クラスの生徒も穏やかに日々を過ごし、クラスが平和に進むのだということです。
この3年間で強く感じました。

生徒は担任の影響を受けます。
クラスには“担任のカラー”が出ます。
生徒にとって“担任”は“鏡(鑑)”です。

この日本中を探せば、私なんかよりも素晴らしい先生はたくさんいて、クラス経営に命を注いでいる“すごい”先生はとてもたくさんいます。
また、“良い担任”の先生が必ずしも“良いクラス”を作れるとは限りません。そして、その逆も起こり得ます。
もちろん、各生徒の性格や人柄、クラスメイトの人間関係などで、“良い”先生が担任をしてもどうしようもない時もあります。

ただ、小学生・中学生・高校生、すべての児童生徒は、担任の先生と毎日顔を合わし、共に過ごす時間は長いです。

どんなクラスを担任しようとも、担任の先生がどれだけクラスの生徒に(残業代は出なくとも)“手をかけられるか”が大事です。

軍隊や宗教ではないので、もちろんクラス全員が担任の影響を受けて変わることはありませんが、担任が十分に手をかければ、生徒はそれを感じ取り、良い方向に成長していきます。

これが6年間担任をしてきて、私が感じ学んだことです。

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