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こうして展示空間は多様な微生物の森となった #06

ライター情報: 櫛田 康晴(くしだ やすはる)
科学コミュニケーター。大学院・研究員時代の専門分野は細胞生物学。本展示の展示ディレクションを担当。

展示空間になぜ植栽が必要?

常設展示「ビジョナリーラボ セカイは微生物に満ちている」の一角には、そこが科学館の展示フロアであることを忘れさせるような、生きた木々に囲まれた森のような空間がある。

展示フロアとは思えないほど豊かな植栽(画像提供:日本科学未来館)

多様な微生物との共生をテーマにしたこの展示において、なぜこのような木々に溢れた豊かな自然環境を作る必要があったのか。その理由はシンプルである。多様な植物が生い茂る森が、最も豊かな微生物ソース(供給源)の一つであるからだ。
微生物は特に土に多く存在するらしい。

環境中における微生物の多様性については、本展示のビジョナリー(監修)の伊藤光平さん(株式会社BIOTA 代表取締役)のnoteに詳しい。

事実、微生物はこの地球上のあらゆるところにいる。我々人間も微生物の供給源である。好むかどうかに関わらず、私たちの体は日々大量の微生物を周りに振りまいているのである。
大事なのはその「多様性」だ。微生物全体の多様性に対して、人の体に住みつける微生物はごく限られている。

一方で、植物があり、生きた土が存在するような公園などの空間は微生物の多様性が高いことが分かっている。この多様性が高いとは、単純な種類の数だけではなく、それらのバランスがある程度均等に保たれている状況を言う。(逆に一部の種類が多くの割合を占める場合は、バランスが偏っており、多様性は低くなる。)

今回の展示のビジョナリー、伊藤光平さんは、人は暮らしの中で多様な微生物と触れ合うことが重要であると説く。
そのビジョンに基づいて、微生物とのこれからの共生生活のコンセプトを展示する空間に、生きた多様な植物を配置することは必要不可欠であった。こうして、前代未聞の展示フロアでの大規模な庭造り計画が始まった。

未来の庭の理想のかたち

庭を一つの展示と捉えた場合、科学的な知見も踏まえたコンセプトづくりがとても重要であった。今回は伊藤さんに加えて、2名の研究者にも議論に加わって頂いた。

ルプレヒト クリストフさん(愛媛大学社会共創学部 環境デザイン学科 准教授)は、「マルチスピーシーズ」という考え方に基づいて、動植物の生態系に関する理論的かつ実践的な研究を行っている。基本的なアイディアとしては、マルチスピーシーズ(複数の生物種)という言葉の通り、人間という存在を相対化する脱人間中心的な考え方である。都市などの人が多く暮らす環境においても、人間以外の多様な動植物の存在や働きを尊重し、人間以外の生物にとっても過ごしやすい空間とはどのようなものかを計画し、実践している。

片野晃輔さんは、本展示において拡張生態系という考え方に基づき、人間が積極的に生態系の多様性を増すように環境に働きかけ続けることによって、多様性が高く、変化にも対応できる強靭な生態系を構築していくというアイディアを実践している。屋内である展示会場を林床と捉えることでそうしたエリアの植生に近い種の選定や提案を行った。

伊藤さんを含めた3人の議論は、未来館で実施した配信イベントのアーカイブ動画で視聴することができる。(また、電子書籍(Miraikanトークス)も発売されている。)

一見すると、ルプレヒトさんと片野さんの視点は真逆のように思われる。ルプレヒトさんが人間中心的な考え方を脱して、人間以外の生物に学ぶという姿勢なのに対して、片野さんは、むしろあえて人間が積極的に環境に介入すべきであると唱えているからだ。

しかし、議論を重ねると、両者の考え方には本質的な共通部分があることが見えてきた。

マルチスピーシーズにおいて多様な生物が共存しやすい環境を作り出すというとき、そのきっかけはやはり人間によってもたらされ、それが他の生物たちによって自然に発展していく。実はこれは、拡張生態系の発想とほぼ一致する。つまり、人間が環境の多様性を増すために何らかの介入を行い、それを受けた多様な生物の活動の結果としてまた新しい変化が訪れる。その変化を観察し、特定の種類が環境を埋め尽くすように増えた場合は、何か別の種に入れ替えるような介入を加える。このように生物の作用に着目して、もたらされる自然な変化から学ぶという姿勢はマルチスピーシーズの発想に通じる。

端的に言えば、着眼点や視点は違えど、根本的な考え方や目指しているものには共通している部分が多いのだ。両者がその研究と実践の先に見据えているのは、多様な生物がバランスを保ちながら共存をしてく世界である。

そして、そのような多様な生物のバランスが保たれた状態を支えるのが、今回の展示のメインコンセプトである「微生物多様性」である。微生物はそれぞれに生存に適する環境が少しずつ異なっており、マルチスピーシーズや拡張生態系のアイディアに基づいて、多様な動植物が共存する環境が作られることによって、必然的に目に見えない微生物のレベルでも多様性が向上する。これらの微生物たちは、目に見えないネットワークのように環境中を漂い、動植物同士をつないでいる。目に見える動植物の多様さは、常に目に見えない微生物の多様性と呼応しているのである。

何度もオンライン会議を重ね、ようやくコンセプトの共通項が洗い出され、それに基づき、展示空間に本物の多様な植物たちで構成される庭を作るという大方針が決まった。ブレスト段階では植物に限らず野生動物がいても良いというアイディアも挙がったが、残念ながら未来館の展示フロアで生きた野生動物を展示することは出来ず、実現はしなかった。
(一方、小さな小さな野生生物たちについては後ほど述べることにする。)

庭のデザイン

会議を重ねて導き出されたコンセプトは「変化する庭」というものであった。
当たり前のことだが、植物は生きており、成長することも枯れることもある。一般的な屋内緑化として鑑賞用の植物を配置する場合は、ある一定の見栄えを保つことが求められる場合が多いが、今回目指したいコンセプトは、むしろ自然が変化することを許容し、その変化そのものが展示であるとする考え方であった。

この庭は、ランドスケープデザイナーの吉田葵さん(アオイランドスケープデザイン)と造園家の西尾耀輔さん(株式会社 越路ガーデン)が共同でデザインした。吉田さんと西尾さんは、ここまでのコンセプトについての議論にも参加しており、その議論を踏まえて「変化する庭」のデザインスケッチを仕上げた。

植栽デザインスケッチ(上から見た図)
植栽デザインスケッチ(横から見た図)

吉田さんは、普段は屋外の公園などのデザインを手掛けているが、今回のプロジェクトでは、屋内に公園とも違うある種の森のような空間を作り上げた。西尾さんは、屋外・屋内を問わず、パブリックな空間からプライベートな空間まで、さまざまな場で多様な植物で構成される庭づくりの実績を持つ。今回は、乾燥し、日照もほとんどない展示フロアに合わせて、植物種の選定をして下さった。

いよいよ施工

施工日和!

これまで未来館ではこれほどの規模の庭が展示フロア内に作られることはなかったが、その庭造りは正に圧巻だった。
まずタイルカーペットの上に大きなシートを敷いて床面を保護する。続いて大きな樹木の鉢が次々と運び込まれ配置が決められていく。
今回の日光がほぼ届かない展示空間に合わせて、三重の山奥で育った木々も含まれていた。

植物の配置を決めている西尾さん

西尾さんは事前に樹木の枝ぶりを確認し、どの位置にどのように配置するかをある程度構想した上で現場に入り、その場で即座に配置を決めて行った。さらに鉢同士の隙間は、マルチバークとも呼ばれる、樹皮や葉っぱ、小枝などがミックスされたもので埋めていき、地形が作られていく。わずか半日足らずのうちに、一面タイルカーペットだったがらんとした展示空間に突如として森が出現した。その驚きはあの現場でしか体験できなかったものだったと思う。実際にこの森のような展示空間では、一般的に屋内では触れ合うことが難しいような多様な微生物と触れ合うことができる。

どんどん庭になっていく

今回の庭づくりにおけるユニークなポイントの一つは、倒木のベンチである。これは枯れて切断され、廃棄されるのを待つ状態となっている木の根っこを西尾さんが発見し、その木を岩の上に横倒しにすることによって、あえて根っこに土がついたままの自然な状態で人が座れるベンチを作ったのだ。このベンチは森のような空間にとても自然になじんでおり、フロアのお客様も、これがベンチであることを伝えないと分からないくらいである。その座り心地は、是非ご自身で確かめてみて欲しい。

倒木ベンチを設置している様子
倒木ベンチの座り心地にご満悦の筆者。左は西尾さん

本当に変化する庭

こうして展示フロア内に大規模な庭が完成した。

圧倒的な植栽空間

「変化する庭」というコンセプトの通り、植物が育ったり枯れたりすることはある程度予期していた。だが、その変化の振れ幅は私の想像を軽く超えて行った。

まず植物が持ち込まれた翌日から、アリの行列が観察されるようになった。クモの巣があらゆるところに張り巡らされ、その糸は展示照明を反射してきらきらと輝き、天然の装飾部品のようでもあった。

クモ

また、植物を害するアブラムシも発生した。アブラムシは柔らかい葉っぱに密集しており、放っておくと、植物が養分を吸い取られ過ぎて枯れてしまうこともある。しかも、展示フロアには厄介な天敵もいない。そこで弊館の技術スタッフが取った対応は秀逸であった。未来館の外の庭から、アブラムシの天敵として知られるテントウムシを持ってきて、植物に放ったのである。
結果、アブラムシは減少し、植物が壊滅的なダメージを受けることは免れた。特定の種類が大量に増えすぎてしまった場合に、人間が介入して生物多様性を押さえつけるのではなく、逆に多様性を増そうとするやり方は、まさに拡張生態系の考え方に通じるものを感じた。

アブラムシの天敵、テントウムシ

そのほかにもキノコ、真正粘菌なども観察された。

ひっそりとキノコ
突如現れた粘菌

一度、未来館の生物系科学コミュニケーターが閉館後のこの庭に集まり、生き物観察会も行った。大きなハサミムシや、小さなヤスデなどが次々と出てきた。当初の想定よりもたくさんの土が形成されており、そこから太さ1センチ、体長30センチにも及ぶ巨大なミミズも出てきた。ミミズは木の葉っぱなどを咀嚼して細かくすることができ、微生物による植物の分解を助けるような働きを持つ。その性質を利用してオランダなどでは、生ごみを分解する共用のコンポスト(Worm Hotel)としても活躍している。微生物の宝庫たる土が、展示空間で作られているのだ。

科学コミュニケーター・岩澤さんの真剣な眼差し
科学コミュニケーターたちを驚かせた大きなミミズ

展示を支える人たち

最後に、この場を借りて日々のメンテナンスを担当している弊館の技術スタッフへのお礼を述べさせていただく。未来館の展示フロアは、冬場には湿度20%になるほど乾燥した環境で、植物にとっては過酷極まりない状況である。その中で、オープンから1年たった今も「変化する庭」を展示し続けることができているのは、技術スタッフが毎日すべての植物の鉢に水を上げ、噴霧器で葉を湿らせつづけてくれているからに他ならない。

ハクサンボクをケアする技術スタッフ

去年の秋ごろ、夜に真っ暗になった展示空間に行くと、リリリと虫の声が聞こえることがあった。

この春で展示のオープンから1年となった。このたくさんの小さな生物たちに溢れた庭が、これからどのように変化していくのか、楽しみは尽きない。

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