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一寸先は誰にもわからない

 2月は大学時代の恩師が亡くなった月だ。

 大学卒業を3月に控えた大学生活最後の春休み中に、恩師の訃報を受けた。死因はくも膜下出血だった。

 訃報の第一報は、同じ大学に通う友人からの電話だった。電話を受けた時、私はサークル関係の用事で大学までの通学路を歩いている最中だった。
 
 その友人はたびたび酩酊状態で電話を架けてくることがあったため、大抵話題は突拍子もないものが多く、いつも軽く聞き流していた。

 彼から電話が架かってきたのは、確か午後2時頃と記憶している。いつもは夜中に電話が架かって来ることが多いが、今日は昼飲みでもしているのかと思った。

 電話に出ると、友人の大きな嗚咽がまず最初に聞こえた。たまに飲みすぎて呂律も回らない状態で電話してくることもあったが、さすがにこの時ばかりは何か大変なことがあったのだとすぐにわかった。

 咽び泣く彼を落ち着かせ、何とか会話が出来る状態になるとただ一言、「〇〇先生が死んだ」とだけ力なく答えた。何かの聞き間違えじゃないかと思い、二度も聞き直して、ようやく恩師が亡くなったということが理解出来た。大学へと足早に向かっていたが、思わず道の真ん中で立ち止まってしまった。

 一旦頭で理解出来ると、次から次へと知りたいことが湧いてきた。私は自分を抑えることが出来ず、いつ亡くなったのか、なぜ亡くなったのか、恩師の訃報を誰から聞いたのか、矢継ぎ早に彼に質問をしてしまった。

 彼の話によると、恩師は彼の卒論の担当教授であったため、今後のことも踏まえて大学の職員から訃報についての連絡があったと教えてくれた。しかし、彼も亡くなった以上の説明は大学職員からは無く、死因も死亡日もこの時はわからない状況だった。

 とりあえず友人に訃報を伝えてくれたことのお礼と励ましの言葉を伝え、電話を切った。が、電話が終わると今度は私の方にも言いようのない悲しみがどっと押し寄せて来た。

 いつも研究室に行けば、恩師は高いお酒や貰い物の高級菓子などを気前良く分け与えてくださったし、講義やプライベートでも大変多くの為になる教えを授けていただいた。

 卒業式後は必ず教授の研究室を訪問し、祝杯を恩師と共に挙げると心に決めていた。また、訃報を伝えてくれた友人含め、多くの学生や教授陣からも慕われる大変素晴らしい人だった。

 そんな人でもほんの一瞬でこの世からいなくなってしまうという、この世の不条理さにとても腹がたった。と、同時に今日まで当たり前だったことがが、明日も変わらずに続く保証はどこにもないということを改めて感じた。

 だから私は日々後悔なく生きることにしている。

 国際結婚したのも、転職したのもきっとこの恩師に出会うことが出来たからだと思う。もちろん人間なので、時にはダレてしまい、非生産的なことをしてしまうこともあるが、一寸先に起こることに備えて全力で生きることを忘れないでいたい。

 

 

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