見出し画像

【映画評】 チャン・ゴンジェ『ひと夏のファンタジア』

チャン・ゴンジェ『ひと夏のファンタジア』(2014)

作品解説に
「映画監督の夢の映画とは何か。トリュフォーの『アメリカの夜』など映画製作の舞台裏を描いた名作群に連なる、新たな傑作の誕生」
とあるが、トリュフォーと比較するまでもないほどに魅力的な作品である。

作品は2つの章からなる。

(第1章)
奈良県五條市にシナリオ・ハンティングにやってきた韓国の映画監督テフン(イム・ヒョングク)。
彼は日本語を話す助手ミジョン(キム・セビョク)とともに、古い喫茶店、廃校、ひとり暮らしの老人の家を訪ね歩く。その中で寂れてゆく町にも人々の営みを感じ、旅の最後に不思議な夢を見る。目覚めると、窓の外に花火が上がっていた。

(第2章)
奈良県五條市にやってきた若い旅行客へジョン(キム・セビョク)。本作でのキム・セビョクは一人二役。第1章ではテフン監督の助手ミジョンを演じている。
彼女は観光案内所で柿農家の青年ユウスケ(岩瀬亮)と知り合う。ふたりは共に町を歩き、ユウスケは次第にへジョンに惹かれるようになる。

奈良県五條市に4人の俳優キム・セビョク、岩瀬亮、イム・ヒョングク、康すおん(ケンジ役)というフィクションを紛れ込ませることで、五條市と山村地域の、現在・過去の人々の記憶が立ち現れる。

第1章冒頭の、老人たちが憩う喫茶店に紛れ込む監督テフン。彼はその場に異和のように在る。不思議なことに、異和としてテフンが存在することで老人たちの古い記憶が立ち現れてくる。記憶とは歴史として記述された資料・文献のこととは限らない。老人たちの時間の深部において、普段は表面としては顕現しないけれども、不意に立ち現れる市井の時間の深部も資料・文献に勝るとも劣らないのだ。テフンがこの喫茶店に紛れ込まなければ違った映画になっていたと思われるシーンであり、本作の様相を決定づける素晴らしいシーンである。

本作は内部に入りこむ外部で満たされている。いや、外部の侵入により、位相が予期せぬ方向へと変移する。
外部とは韓国人監テフンと彼の助手・通訳ミジョン(キム・セビョク)ばかりではない。俳優(キム・セビョク、岩瀬亮、イム・ヒョングク、康すおん)というフィクションのことでもあり、そのことで五條市という一地方の時間と地勢が共鳴するのである。その共鳴が、町やこの土地に住まう人々の記憶の古層を立ち現わせる。

第1章はフィクションが紛れ込んだドキュメンタリーとも言えるのだが、“フィクション/ドキュメンタリー” の境界を前提としたジャンル分けそのものに意味などないように思われる。その意味で、“フィクション/ドキュメンタリー”の境界領域を巡るラジカルな問題が呈示された作品でもある。

第2章のラブストリーも清々しいファンタジーとなっている。
旅行者へジョンと柿農家ユウスケの終盤の別れ際のキスシーン、旅館でのへジョンの入浴シーン、そしてへジョンが旅館の窓越しに見る花火のシーン。とりわけへジョンとユウスケのキスシーンは美しかった。旅館の前の路上で無言で抱き合いキスをする。国に恋人のいるへジョンにとってはためらわれる行為だけれど、二人は惹かれ合っている。ホン・サンスの映画を見ているように気がしてくる。
二人はキスにとどめ別れる。この別れには二人の了解しあうものがあり、言葉による説明など不要である。このシーンに続く入浴シーンのへジョンの無言の表情に、彼女の気持ち…それは儚さでもある…が表れていた。こんな表現もあっていい。いつまでもわたしの心に残る珠玉のシークエンスになるだろう。

主演のキム・セビョクは、キム・ボラ『はちどり』(2018)で少女ウニの心を開く漢文塾の女性教師ヨンジとしておなじみの俳優である。今後が期待される。

チャン・ゴンジェの主なフィルムグラフィー
長編作品
『つむじ風』(2009)、『眠れぬ』(2012)、『Monstrous』(2022)、『Because I hate Korea』(2023)
短編作品
『学校に行ってきました』(1999)、『鎮魂曲』(2000)、『ハード・ボイルド・チョコレート・スタイル』(2002)、『戦争に巻き込まないでください』(2003)

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

チャン・ゴンジェ『ひと夏のファンタジア』予告編


この記事が参加している募集

映画感想文

サポートしていただき、嬉しいかぎりです。 これからもよろしくお願いいたします。