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【ダンス評】 ケンジルビエン(KEN汁ビエン)Kenjiru Bien〜異能の身体〜

(写真=山形ビエンナーレ2020より。ケンジルビエン×東野祥子)

京都市左京区鹿ケ谷法然院西町にあるライブハウス「外 soto」
スリーピースバンド『空間現代』(野口順哉(guiter/vocal)、古谷野慶輔(bass)、山田英晶(drums))の運営するライブハウス&スタジオなのだが、数年前からわたしの気になるライブハウスのひとつとなっている。「外 soto」が発する文化は京都や日本というローカルの止まらず、世界へと向けた複数性・多様性として、これからも発信を止めることはないと願いたい。

コロナの影響で「外 soto」には1年以上行っていないが、ライブハウスの再始動を祈念し、この稿では、スリーピースバンド『空間現代』、そして、「外 soto」でのケンジルビエンのパフォーマンス(2017.3.5)について書いてみたい。

スリーピースバンド『空間現代』を知ったのは、劇団『地点』のアトリエ「アンダースロー」での同劇団とのコラボである。『空間現代』は音・時間・リズムを要素とする強度の負荷による発生を特徴とし、そこにはストイックさもあるけれど、音の発生としての時間が身体へと還元されるかのようなパフォーマンスの一回性がたまらない魅力である。音・時間・リズムは単体としての存在としてあるのではなく、それら要素が幾何学的構築物としてその場に現れ、あたかもリーマンの多重被覆面(多様体)であるかのような音場空間をライブハウス「外 soto」に発生させる。それは、〈内〉でもあり〈外〉でもあるという、決して矛盾することのない「クラインの壺」をも想起させる。「外 soto」は、『空間現代』のライブにとどまらず、彼ら以外のユニットをも、「クラインの壺」を生成する装置と化す空間といえる。

ライブパフォーマンスは、記憶として定着されているものを再確認する場であるのだが、と同時に、その行為が、新たな記憶として定着すること、あるいは、記憶の古層を掘り起こすものであってほしい。それがないパフォーマンスは、ライブである必要はなく、記録媒体(=内)として呈示されればそれで十分である。〈内/外〉もしくは運動〈内⇄外〉があればこそのパフォーマンスである。つまり、「外 soto」における〈内/外〉は、記憶の交錯ということでもあると注記しておきたい。

ダンサーであるケンジルビエン(KEN汁ビエン)Kenjiru Bienのパフォーマンスにはそれがあった。
大きなラウドスピーカーを肩に担いで現れたケンジルビエン。スピーカーから流れる音は何かの朗唱なのだろうか。コーランのようにも聞こえる。ケンジルビエンは福音使徒なのだろうか。そしてそれを刺激するかのようなサウンド・パフォーマー、カジワラトシオ (BING)Hair stylistics(中原昌也)の作り出す鋭いパルス音。
パルス音は強烈な粒子のようにわたしたち観客の身体に降り注いでくる。わたしたちはアラブの民のようでもあった。
この場はもうライブハウスという〈内〉ではなく、未明の世界を彷徨う民の〈路上〉のようでもある。だが、それもつかの間、ケンジルビエンはタイのキックボクシングのように神に祈りを捧げる選手、もしくは五体投地による仏への絶対帰依へと向かう信徒にも変容する。

ラウドスピーカーを負荊のように担ぎ、天からの善き言葉を福音するケンジルビエンの身体はタイ式の神への祈りの身体へと変容し、そして五体投地という大地へと帰依する身体となる。何かに取り憑かれたかのように変容する身体。その場に遭遇した観客は、ケンジルビエンに呼応するかのように共に舞ってもいいだろうし……実際そのような女性の観客がいた……、あるいは、たとえ傍観者に止まるにしても、ケンジルビエンと遭遇した者は、その身体の異能さゆえに、その場から逃れることのできない共犯者となる。

「外 soto」という場は、能楽の舞台のごとく、ケンジルビエンのひとまわりで時間も空間も超え、越境の場と化す。わたしたち観客は、とんでもない現場に迷い混んでしまったかのように、畏怖の念を抱きながら彼を見つめ続けるしかない。

ケンジルビエンの舞踏。
土方巽(1928〜1986.国際的に知名度の高い暗黒舞踏家)の鎌鼬を思いださせもするけれど、明らかにそれを越境している。日本から中東、東南アジア、さらにチベットの土着へと越境する。
日本の劣化する民主主義社会に、いまこそ産み落とされなければならないアナーキーな胎児である。

「外 soto」での印象に残ったライブをいくつか記しておく。
*梅田哲也「COMPOSITE: VARIATIONS(の元)/外/4人」
*七里圭『闇の中の眠り姫』
*空間現代『オルガン』
*デヴィッド・グラブス×宇波拓
*吉増剛造×空間現代
*Phew
*Hair stylistics×東野祥子
*contact Gonzo×空間現代
*ダダリズム

ドラムデュオ〈ダダリズム〉。京都のライブハウス「外 soto」におけるライブ記事に続きます。

(日曜映画批評家:衣川正和🌱kinugawa)

ライブハウス「外 soto」のweb

YouTubeを調べると、
「ケンジルビエン」のパフォーマンスがありました。
《京都市平安神宮前の岡崎公園、左京ワンダーランド秋の大祭》


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