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【映画評】 宮崎大祐『#ミトヤマネ』…「ミト」論・序章「遠近法による一元化」

序章…遠近法による一元化

写真はなにも語らない。写真は撮影者の説明なしにはなんの光景であるかもわからない。撮影者が意図的に埋め込ませた、あるいは偶然映り込んでしまったコードによってある程度の素性を知ることはできるが、ロラン・バルトが指摘したように、原理的には〈それはかつてあったエテ(ça-a-été)〉ことしか示さない。それ以外のことはなにも語らない。このことは、とりあえずは正しいように思える。

いまここに、2005年6月28日付夕刊の新聞紙面の1面を飾った写真がある。各新聞社同一の写真である。男と女、ふたりの姿を撮った写真である。

ふたりは何者かにより背後から撮られ、ともにややうつむき加減の姿勢をとり、その前方に水平線(=海)が広がっている。写真は外示という客観性を持つのみで、それ以外のことはなにも語らない。それにもかかわらず、この新聞写真は多くを語っているように思える。それはなぜか。図式的な素描を試みたい。それは、ロラン・バルトの『明るい部屋』で呈示されたストゥディウムからプンクトゥムへの移行、この写真の場合でいえば、〈新聞写真〉に溶けこむ意味のメカニズムについて考察する試みでもある。

この写真にはいくつかの特徴がある。ふたりは礼の姿勢をとっているであろうことは、ふたりが、俯き加減の背後の存在として捉えられていること、そしてふたりの前方に広がる風景=水平線の存在から予測できる。まず、礼の姿勢は黙礼であること、そして撮影されたのがサイパンであることが写真のキャプションで判明する。
新聞写真とはイメージとテキストの複合言語であり、わたしが「多くを語っているように思える」と感じたのはこのことに起因するのだが、ここで注目したいのは、そこから派生するふたりの「背後としての存在」と「前方に広がる水平線」との接続の意味である。
カメラは1点にしか焦点を合わさない。その意味で、写真はルネッサンスに発見された遠近法という距離の知覚を、化学というツールを用いて視覚化したものである。水平線に向かって黙礼する「背後」としてのふたりのイメージ、背後という意味作用も重要なのだが、わたしの視線は黙礼するふたりの姿に向かうと同時に、いやが上にもその前方にあるサイパンの海への眼差しを強要される。写真を見ているに過ぎないわたしなのだが、遠近法という知覚のもとに、被写体の「背後性」とふたりの視線の消失点としての水平線という装置により、写真を見る者(この場合はわたし)と写された者(この場合ふたり)との一体化がなされているように思う。
遠近法とは見えるままの世界を描く手段という外示の形式化である。しかし、遠近法はあらかじめそのようにしてあったわけではなく、ひとつの消失点に収斂する空間としての部分を全体と調和させる形式であり、そこには理想化された空間を構成する眼差しが必要である。
遠近法という機械装置はバロックにおいては「眼の知覚の最大の武器」(ロラン・バルト)となり、世界は見られるものとして現れることになる。これは見る者の視線に内包されるメタファーでもある。新聞写真、とりわけこの写真(わたしの目の前にある写真)において、なにゆえ遠近法が要請されるのか。それは、遠近法的世界は社会的、あるいは間・社会的スケールの空間に働く象徴でもあるからだ。象徴表現の下では、ここ100年の日本の歴史的・社会的状況から分かるように、分割され対立する地理空間の関係が存在する。この場合の地理空間とは、古代ギリシア人の世界を見る眼差しと同質である。古代ギリシア人は親しんでいる土地に対し、知らない土地を怪物のイメージで捉え、“内/外”の二分法の空間として世界を分割した。ここで重要なのは、“内/外”という二分法が民衆にとり非常に分かりわかりやすい概念である、ということである。「他国民は民度が低い」という発言が時の権力者から発せられるように、そこには文化(=自国民)と非文化(=他国民)が発生する。だが、このようなメタファーとしての地理学は極めて心理的なものであり、“文化/非文化”として描かれている空間は客観的な観察、科学的な認識はなく、自己の陰画としての影の空間的投影であるにすぎない。つまり、現象としての偏狭なナショナリズムである。

ここでわたしは告白しなければならない。それは、この写真を目にし、不覚にも、「美しい」、と感じたのであるのだ。
それは、遠近法による写真表現が、容易にナショナリズムを生み出すことに起因するからと思えた。そこには、視線と意味の支配、視線と意味の一元化があり、黙礼するふたりの〈遠ざかる視線〉が収斂する場への一元化としての、「背後性」と「水平線」の接続なのである。

さて、ここまで遠近法を語ることで、この写真がなにであるかをわたしは説明できただろうか。

その写真には次のようなキャプションがつけられている。

サイパンのプンタン・サバネタ(バンザイクリフ)のがけを望める展望場所で黙礼される天皇・皇后陛下=28日午前9時46分(代表撮影)

新聞のキャプション

2005年6月28日、新聞各社夕刊が一斉に掲載した、政府が指定した一人のカメラマンによる同一の写真、同一のキャプション、サンパンのバンザイクリフでの「天皇夫妻の写真」(以下、「天皇夫妻の写真」と略)である。

新聞各社夕刊に掲載された写真

写真は外示にすぎない。しかし、外示という客観性が強度(=共示)を持つのはある特定な社会においてである。「天皇夫妻の写真」の場合、「平和天皇」「平和へのあふれる思い」「国民に思いをはせる天皇」という、多くの日本人が天皇に対して抱くであろう《文化的=歴史的》文脈においてのみである。ロラン・バルトは『イメージの修辞学』において、写真は〈コードなきメッセージ〉であると述べた。コードがないかぎり、知覚されることも社会化されることもない。これは写真のパラドックスである。コード化されたものとコード化されないものという二項対立として理解されもするが、このパラドックスは、デリダがバルト論で強調するように、双方が互いに境界を崩し合い侵犯の関係にある二項対立の崩壊の運動とも理解される。コードなきメッセージに欲望としての《文化=歴史》を溶け込ませることにより共示化される。それが写真である。ロラン・バルトは述べる。「写真の外示性=《客観性》といったものはすべて神話的になる危険性がある」。神話とは、「天皇夫妻の写真」においては共示(=文化、歴史)と言い換えてもいいかもしれない。冒頭に述べた〈それは=かつて=あった〉というバルトの指摘は新しい空間的・時間的カテゴリーを写真に発見し、〈それは〉という空間的直接性と、〈かつて〉を接続とし、〈あった〉という時間的先行性との結合を見出したのである。これが「天皇夫妻の写真」を掲載した〈新聞写真〉のメカニズムではないのか、と思うのだ。

実は、この文を書いたのは「天皇夫妻の写真」が新聞に掲載された2ヶ月後の2005年8月15日である。敗戦記念日に合わせたというわけではないのだが、この時点においては、この拙文の指摘(〈新聞写真〉のメカニズム)は間違ってはいないだろう。だが、それから20年近く経過したスマホやパソコンの時代の時間スピードは革命的な変貌をきたした。バルトのいう〈それは=かつて=あった〉というある種の停止は、現在の加速主義的なネット社会では有効なのかということである。写真に限らず、イメージの作り出す社会の総体が、イメージの亡霊化を加速させているのではないかということ思えるのである。

ロラン・バルトは、イメージの持つ加速性(=拡散性)については語らなかったし、バルトの時代では必要としなかった。

“見る/見られる”という関係性は、SNSという時代となったいま、双方が互いに境界を崩し合い、二律の関係性は、侵犯と崩壊の絶え間ない運動により、境界領域が曖昧になるにとどまらず、その意味すら失うこととなった。

これが宮崎大祐『#ミトヤマネ』論…「ミト」論の序章である。

宮崎大祐『#ミトヤマネ』…「ミト」論・本章(1)に続きます。

(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)

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