見出し画像

イギリス、謎の案内人(1993年23歳 学生時代)

ニューカレドニアの旅から2年経った卒業旅行。(※ニューカレドニアの旅は前回分👇をご覧ください😌)

今度は「事前に緻密な計画を立て、遂行するのが大好きな友」と二人で、フランス→イギリスを旅することになった(確か5泊位のフリープランだった記憶)。

「スケジュールはまかせて!!」と張り切る彼女(←節約家で穏やかさんだが、私に負けず劣らず好奇心旺盛。そして私と違い、意外とタフである)。
「信頼の置ける友、いやはや助かる……」と、自宅住まいの彼女と違ってひとり暮らしだった私は、資金稼ぎのアルバイトに明け暮れた。

……だがしかし、旅行3週間前に手渡されたスケジュール表に、一抹の不安を覚える。
何故なら、訪れるべく名所旧跡のスケジュールは、各日時間単位でみっちりと記載されているのだが、宿が決まっているのは1泊目だけだったのだ。
ちなみに、訪れる先はそれぞれがかなり離れているので、毎日大荷物で大移動しなければならないし、二人とも英語もフランス語も堪能ではなかった。
そんな状況で毎回宿探し。なおかつ、節約のためなるべくB&Bをとのことである。

「………………」
私は、計画遂行に燃える友を前に、一瞬押し黙った。
今ならば「ちょっと私の体力ではハードかな……」と断るであろう。
しかし、当時はかなりお気楽だったのに加え、バイトが忙しすぎて代案を考える時間もなかった。
なので、「せっかく計画を立ててくれたんだし、ついて行けばまぁ大丈夫だろう」くらいにしか考えず、感謝とともに賛同した。

そして、その判断の甘さにより、やはり旅先で地獄を見ることとなった私。
バイト明けの疲れとスケジュールの過酷さに疲労困憊し、2日目にしてお腹を下しまくり、日々トイレ騒ぎで観光どころじゃなくなったのだった(尚、私だけ)。

とは言え、はるばるやって来たせっかくのヨーロッパ。それでもミッション旅は続く。
そして、その後半。宿を探すために降り立った、イギリスのとある小さな駅でのこと。

さすがの友も疲れが見え始めていた。もう二人とも宿探しが面倒だった。
おまけに、周辺には人影も観光案内所などもなく、唯一の情報は手元にある大雑把に表記されたガイドブックだけ(もちろん、当時インターネット環境などない)。
……と言うことは…そう、宿を求め彷徨い歩くしかなかったのだった。

「……じゃあ、ひとまずあっちに行ってみようか」
ガラガラとスーツケースを引きながら、ゆらゆら歩く。
でもって、私のレンタルスーツケースのキャスターが、これまたとんでもなく走行性が悪く、猛犬の如く私を縦横無尽に揺さぶり、更に体調に追い打ちをかけて来た。
……どんどん元気がなくなる私。すっかり会話の無い二人。不穏な空気が色濃くなってゆく。
駅から100m程来ても、周辺にはホテルの気配すら感じない。

一旦立ち止まり、ガイドブックで道を確認する。
そこへ程なく、軽やかな声がかかった。
「ハロー!どうしたの?(←英語。以下意訳)」
驚いて顔を上げると、前方から近づく中年男性。
間もなく我々に辿り着くと、立て続けに質問して来られた。
「ホテルを探してるの?」
にわかに警戒する私たち。なに?この都合良すぎるタイミング……。乗っかるべき?断るべき?
2択が脳内を駆け巡る。

しかし二人は、もうそれすら判断するのも面倒で、戸惑いながらも素直に「そうだ」とだけ答えた。
すると男性、「OK!そういうことなら!」と即座に反応。マジシャンの如くジャケットの内ポケットから小さなメモ帳をサッと取り出し、何かを走り書きして、手つき鮮やかにビッと1枚切り離した。
「ここは近いし、いいと思うよ!」
そう差し出された紙には、地図とホテル名。
男性はそれを指し示しながら、道順をササッと説明したのち、笑顔で「じゃあね!」と告げ、さっさと去って行かれた。

「!?……サンキュー!!」
気力を振り絞り、慌てて笑顔で告げるも、あまりに好都合な急展開に困惑し立ち尽くす二人。
「どうする……?」
もしかしたら、よからぬ客引きかもしれない。まあ、それにしてはあっさりと去って行かれたが……。
……いやいや、そんなことよりもなによりも、今は考えるエネルギーすらもったいないし、他に有力な情報もない。
私たちは、一か八かの想いでメモの地図を辿った。

そしたらなんと!ホテルは本当に存在していた(半信半疑で失礼しました…)。
距離的にも本当に近く(重ね重ねの失礼お許しを)、拍子抜けするほどあっさり着いた。……男性と出逢った地点からは全く見えなかったのに!

外観もなかなか立派だし、通された部屋も花柄のかわいい設え。
B&Bでうんざりしていたシャワーの水圧もすばらしい!……なのに、これがまた驚きのリーズナブルプライス!!まさに渡りに船である。
私たちは、久しぶりにバラのような笑顔を浮かべた。
こんなに早く素敵なホテルが見つかるなんて!!本当に助かった……。

「結局、あのおじさんはどういった人だったんだろうね……」
「うん、ほんと不思議だよね……」
一息つきながら、各々推測する。
けれど、それはいくら考えても分からないことなので、「対応力が素晴らしい、非常に親切な方だった」ということにして素直に喜び、旅の疲れを一挙に解放した。

その後、快適な環境で英気を養った私たちは、すっかり険しさも払拭。残りの旅を、なんとか無事に続けることが出来たのだった(私はお腹を壊したままだったが💧)。
それもこれも、英国男性のおかげ。まさに救世主であった。

今思い出しても、しみじみ感謝が込み上げる。
と同時に、あの妙にタイミングが良かった巡り合わせに、「もしかしたら何かからの恵みだったのでは……?」と思ったりなんかもするのだった。


余談 その1
この時の旅は、体調的に本当に辛かったが、主要な観光地を回ることが出来たのはとても貴重な思い出。
友には今でも感謝している。


余談 その2
この時の旅がきっかけで思ったのが、いくら仲が良くても、共に旅する人は、「自分とほぼ同じ体力・感覚じゃないと難しい」と言うこと。
そしてその後、40代半ばで故郷の友と八丈島を旅した時には、「在住している環境や旅の目的も似ていないと厳しい」を新たに感じた。

と言うのも、食やショッピングなどで普段感じられない刺激を得たい彼女と、まあまあ何でもあり刺激もある街の生活に疲れ、ボーッとしたい私では、かなりの温度差があったのだ。
そのため、物珍しいものも刺激も見つけられないのどかな八丈島に、友はイライラ(あくまで彼女目線での捉え方です。私にとっては豊かな島でした)。
そんな経験もあって、それから私は気兼ねのないひとり旅をするようになったのだった。