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小説、音楽、歌を歌うことが好き。 3人の子育て中。 前向きに生きられるようにnoteは…

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小説、音楽、歌を歌うことが好き。 3人の子育て中。 前向きに生きられるようにnoteはじめました。

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noteをはじめる理由〜表現という名の「退行」〜

カウンセラーさんとの出会い 私がnoteを始めたきっかけは、カウンセラーさんの言葉から。私はカウンセリングに通っている。 "たとえばアーティストさんたちは、表現することで一時的に「退行」していたりする。歌う、描く、踊るなどをしている時に、本来の自分自身を発散していることもあって、実はそれも「退行現象」になるんだよ。だから表現することは退行の代替にもなる。”と。 「退行」とは心理学的には、現実に受け入れ難い状況に直面した時に、精神がある時点の発達段階に戻ってしまう心の防御

    • 歩く

      歩く 歩く  どんどん歩く 自転車が横をすり抜けていく 歩く 歩く  どんどん歩く 人もたくさん通り過ぎる 歩く 歩く どんどん歩く 建物がどんどん造られる 歩く 歩く どんどん歩く 太陽と雲と空と風と 歩く 歩く 歩く 歩く

      • 窓からの景色

        夕焼けのような朝焼けの空 二度と同じ朝はないと思う 街の煙が見える 人々がそこに生活している

        • 完璧な親を子どもは求めていない

          最近、気が付いたことがある。 まず、子どもがしっかり自立して好きなことをしている親は、穏やかだ。子どもに何も強制しない。 そしてもう1つ、心を病んでしまっている子ども(昔子どもだった大人)の親は、教育熱心で厳しい。 これは、色々な人たちに聞いて回って私が体感したものだったのだけど、調査すると法務省の犯罪白書にも統計が載っていた。 これはあくまで、親の態度が厳しすぎると感じる非行少年の割合が一番多いということで、親が厳しいと子供が非行少年になる、ということではない。

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        noteをはじめる理由〜表現という名の「退行」〜

          死にたくなったら

          死にたくなります。 希死念慮とも言います。でもこの文字から受ける印象のような怖い感じではなくて、私にとってはこの気持ちとはずっと一緒にいた戦友みたいな間柄です。 むしろ、この子と一緒にいられたから今まで生きてこられたのかも。 と先生と話してて思いました。 カウンセラーの先生からこんな絵本を教えてもらいました。 この本の中では、不安な気持ちを"ゾワゾワちゃん"というキャラクターにして視覚化しています。 本を読むとわかりますが、このゾワゾワちゃんはどうやら、私を助けるために

          死にたくなったら

          雪が降ってる

          雪が降ってる しんしんと しんしんと 降り積もる 世界中の悲しみを集めたくらい たくさん しんしんと しんしんと 降り積もる

          雪が降ってる

          「いつも何度でも」

          ジブリの映画はやっぱり大好き。 私が特に好きなのは、耳をすませば おもひでぽろぽろ 魔女の宅急便 トトロ このあたりはほとんど全てのセリフを覚えてるくらい。 ジブリ世代の方々はみんなそうかもしれない。 それからもののけ姫。 一言では語り尽くせないけど、とりあえずアシタカがカッコ良すぎる。 最近また『千と千尋の神隠し』をテレビで観て、やっぱり面白かった。そして改めて歌の素晴らしさを感じた。 死や悲しみを全て優しさで包み込んだような温もりを、演奏、メロディー、歌声全てから

          「いつも何度でも」

          自分勝手に死ぬな、自分勝手に生きろ

          妹と私私は三姉妹だが、妹とは感覚が似ている部分が多くて、好きな漫画や映画やゲームを今でも一緒に楽しんだりする。 そして、大人になってから私が死にたいという気持ちを理解してくれたのも妹だった。 ただ、妹と私は、気持ちの向かう方向性が違う。 私は内側に、妹は外側に向かう。 人は、エネルギーの発散の仕方で行動が変わる。内に向き過ぎると自分を責めるし、外に向いているとアクティブだったり、問題を抱えている場合は非行に走ったりすることもある。 そして、その通り私は希死念慮に苦しむこ

          自分勝手に死ぬな、自分勝手に生きろ

          ポジティブとは

          自分の気持ちを大事にする私は夫のことをとても尊敬している。 彼は、考え方がとてもポジティブだと思う。 それは、友達が多いとか、社交的だとか、いつも笑っているとかそういうことではなくて、自分のことを傷つける考え方をしない、自分を大事にしているということなんだな、と彼を見ていると思う。 そしていつも今を生きていて、前を向いている。自分のことを大事にしているから、相手も大事にできる。 どんな時も、いつもずっと変わらない。 私が元気な時も死にたい時も。 今のままでいい「調子が良い

          ポジティブとは

          「無償の愛」とは子どもから親への愛のことだと思う

          虐待された子どもたち 虐待件数が過去最悪になっている。 虐待されている子どもたちは、みんな自分を傷つけるママパパのことでさえ、受け入れ愛している。そして愛してもらいたいと願い続けている。 それが、死ぬまで叶わないとしても。 虐待によって命を落としてしまった子どもたちを思うと、その無念さに胸が押し潰されそうになる。だって、その子たちはきっと最期まで親を信じて愛していたんだから。 「親は子どもに無償の愛がある」などという言葉は幸せな家庭に育った人の体験でしかない。 無償の愛

          「無償の愛」とは子どもから親への愛のことだと思う

          私を救ってくれた言葉たち#2

          うつになったのは悪いことじゃない 「もしあなたが、今まで頑張れていたのに急に頑張れなくなったり、憂鬱になって動けなくなったり、感情がコントロールできなくなっていると感じるなら、 本当はそれは治さなきゃいけないことじゃない。 埋めなきゃいけないことでもない。 やっとありのままのあなたを出せるようになったっていうこと。 だから、今まで頑張ってきたあなたにはちょっとおやすみしてもらおう。」 カウンセリングの先生は私に言った。 「条件付きの愛情」の代償 私は、昔、もとの家族

          私を救ってくれた言葉たち#2

          嫌いな人

          私は、義母のことが嫌いなんだと、最近気がついた。 今までは、「嫌いじゃない、そういう人なんだからしょうがない。悪気があってやっているわけじゃない。私はわかってあげないと。親孝行しないと。」と自分を納得させようとしていた言い訳をやめた。 義母はいつも孫を育ててくれてありがとう。と言って、"孫を産んでくれた私"を褒める。 自分の子どもなのになんでありがとうと言われるの?あなたの子どもなんですか? それから、大切な孫が風邪をひかないように、ちゃんと育つように、私に"産んでくれた

          嫌いな人

          宗教を教える親たちへ #2

          どんな家族になりたかった? 私の親と祖父母は信心深い人たちで、毎日のように会合に行き、朝晩お祈りをしていた。 平日の夜も会合があるから、子どもも一緒にその会合に連れまわされていた。 私がしたかったのはそんなことより、親と一緒に面白いテレビを見て笑ったり、学校であった話を聞いてもらったり、いわゆる一家団欒みたいなものだったのに。 親に悩みを相談をしても、とにかく祈りなさい。祈りが足りない。のアドバイスしかもらえないので相談もしなくなった。 家族で過ごす時間は、会合以外ほと

          宗教を教える親たちへ #2

          宗教を教える親たちへ#1

          皆が幸せな世界 誰もが幸せになる宗教。 本当にそんなものが存在するなら、今きっと戦争は起きていない。 宗教で幸せになった人がいる。 絶望の淵で、助けられた人がいる。 それは真実だと思う。そういう人も実際に見てきたし、私自身もそんな瞬間があった。 人間の信じる力は、もの凄く強いものだから。 私は生まれた時から宗教3世だった。 どんな宗教にも教義がある。 どんな考えもそれぞれ素晴らしいと認めていながらも、やっぱり一番はどれなのか?みたいになる。 そして、みんな己の信じるも

          宗教を教える親たちへ#1

          私を救ってくれた言葉たち#1

          保育園という居場所 私は小さい頃、保育園の先生が大好きだった。 0歳から保育園で育った私には、保育園の先生がお母さん代わりだったのかもしれない。 小学校に上がってからも、学校から帰ってくると保育園に遊びに行っていた。 令和の今の時代には許されないことだろうけど、昔は、そんな私を保育園の先生たちは受け入れてくれて、私は園児の遊び相手をしたり、お世話を手伝ったり、時には余った保育園のおやつを私に食べさせてくれたりした。 私みたいな居場所がない子どもを受け入れてくれる場所があっ

          私を救ってくれた言葉たち#1

          保育園で泣いた日♯2

          声を出して泣くこと 赤ちゃんは、産まれた時に全身の力で泣いて生きているよ!とお母さんに伝える。 発達する段階でも、初めは心地よい(快)か、心地よくない(不快)か、しか感情が存在しないから、不快の感情を泣いて表現し、その不快に対応してもらうことの繰り返しで愛着形成が出来ていく。 私には小さい頃の記憶があまりないので、覚えていないことがほとんどだが、泣いて母親に甘えたような記憶はない。 それでなくても、大人が声を出して大声で泣くなんて経験はほとんどないのではないだろうか。 世

          保育園で泣いた日♯2