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空も大きくて、天気がいいと、晴れ晴れとした気持ちになる場所ですね。

たまプラーザには、結婚してからなのでいま13〜14年ぐらいですかね。
生まれというか、東戸塚にもともと住んでて、うちの父がみすずが丘のあたり、江田と言えばいいのかな、そこに家を買った際に引っ越してきました。それが小学校の3年の、確か、記憶だと12月の末だと思うんですけど、それからはずっとこっちですね。小学校の冬休み明けから山内小学校に転校しました。それから山内中学校に行って。

僕は毎日犬の散歩に出るんですけれども、いつも必ずこう通るところが、山内中学校の、あれは裏門というのかな、えっとー、テニスコートが4面並んでて畑がある、その上の通り。畑側のテニスコートの端っこぐらいから、西を向くときれいにいろいろよく見えるんです。そこが、好きですね、そこからよく景色を眺めてます。あそこからこう中学校を手前に見ながら、向こう側の景色がバッと広がって、空が見えて、っていう場所なんですけど、はい。その先に見えているのはどこら辺なんだろうな、あざみ野の方面とかが見えてるはずなんですけど。空も大きくて、天気がいいと、晴れ晴れとした気持ちになる場所ですね。夏はプールの水もきれいだし。そのあたり、新しく家が建ったりとかはありますけど、でも通りとしての印象は当時とほとんど変わらないですしね。

そこを歩くと、なんかこう、中学校通ってた当時の、プールの脇の通路とか、あとはテニスコート手前のところ歩いてみんなでこう、裏門出てきて帰ってく、っていうこととか思い出しますね。友達みんなでずっと坂下って、バーっとあざみ野に向かって歩いて帰る、みたいな感じで。あっちの方が夕焼けるんで、下校時間とかそういう時間帯に散歩に出ると、その時とイメージが重なりますね。みんなでふざけながら帰ってたんで、40分くらいのところを多分1時間とか1時間半とかかかって帰ってたと思います。小学校とか中学校とかまあ高校もそうですけど、当時はちんたらちんたらして帰ったりできたよなー、みたいな。

あとなんだっけな、僕その日、サッカー部の部活終わってみんなで歩いてて、誰かが排水溝に物を落としたって言って、その排水溝の格子をみんなで外してその落とし物を取って、もう全員格子から手を離したと思って誰かがそれを足でぱんって踏んだ時に僕の指が挟まったとか。血豆ぐらいで終わったんですけど、みんなが病院行こうって言ってくれて、とか。あとサッカー部は雨の日でも、当然練習があって、雨のひどい日は室内練習みたいな形で、学校の中を走るのと、筋トレみたいなのがあったんですけど、それが一番嫌だったですね。階段を登って降りてみたいのでずっとぐるぐる回るんですけど。

駅のそばは、今、ケーズデンキの向いにマンションありますけど、当時はあそこもマンションじゃなくて原っぱというか、一軒家が並んでて、何もなかったですよね。ケーズデンキんところもゴルフの打ちっぱなしかなんかだった。駅周辺は、だいぶ違うっていうのはありますけど、けど変わってしまってなんか寂しいとかっていう感じではないというか。すごくいいんじゃないですかね。たまプラ、どこも、とっても。

インタビュー:2020年 夏

このおはなしは2020年No.007号に収録されています。

この度、2014年から発行を続けてきた冊子「街のはなし」1号〜9号を1冊の書籍にまとめることになり、クラウドファンディングを始めました。

シンカブル(Syncable)からご寄付いただけます。

昭和のニュータウンの温故知新。
住民のまちづくりの努力の蓄積と街の成り立ちを共有したい。

100人のナラティブ・地域の変遷と社会の変化を伝える 記憶を記録する本
たまプラーザ「街のはなし」書籍化プロジェクト

すでにご寄付をいただいている方には、御礼申し上げます。とても励まされております。そして、これまでご協力・応援してくださったみなさまにも、オンラインの寄付を通して、書籍化プロジェクトの仲間になっていただけたら嬉しいです

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企画・文: 谷山恭子
写真:小池美咲

編集・校正: 谷山恭子・藤井本子・伏見学・街のはなし実行委員会

発刊:街のはなし実行委員会


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