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マイクを通してプロポーズして、わかりましたって返事をもらいました。

美しが丘公園のペアツリーは、クリスマス・イルミネーションの点灯式のイベントで私が結婚のプロポーズをした場所なんです。2013年12月14日でした。

AOBA+ARTのメンバーと、点灯式をもっと盛り上げようということで、たまプラ・ナイトウォークというイベントを企画して、私は公園周りを担当していました。イベント自体は、子どもをはじめ家族みんなで商店街を巡って、最後に美しが丘公園にたどり着いて、そこで点灯式を楽しもう、というものです。公園の空間構成としての仕掛けというのがふたつあって、ひとつが公園の街路灯をツリーに見立ててたくさんのツリーが作る華やかな空間。もうひとつが、すごい大きいペアツリー。そのツリーが入る巨大な植木鉢を表現できたら楽しいかなと思いまして、スクリーンで木を囲んでその一部にプロジェクションマッピングで地域のみんなが作った動画を投影し、また一部には電灯を使って影絵を投影しました。さらにイベントの事前に、地元の小学生を対象にしたワークショップで作ったキャンドルランタンをペアツリーの周りに飾って、みんなが自分のランタンを探せるようにしました。そのイベントの準備は忙しくてヒーヒー言ってたんですけど、その当時付き合っていた彼女をイベントに招待していました。会場構成をやったメンバーとして紹介されて、彼女と一緒に皆さんの前に出たときに、マイクを通してプロポーズして、わかりましたって返事をもらいました。彼女は、まあびっくりしていましたね、はい。周りで見ていた小中学生たちやちっちゃい子はポカンとした顔で見てましたけど。

プロポーズの承諾をもらった後すぐに、婚姻届の保証人の欄に、商店街の役員の方と、仲良くさせてもらっている近所の主婦の方に署名捺印してもらいました。確か日付が変わるまで待つか待たないか、みたいな話をして、もう待たないで出しちゃおう! みたいなことで、23時とかそんなぐらいだったと思いますね、横浜市役所に届けに行って。守衛さんしかいなかったですね。

私は以前たまプラーザに住んでいて、いまは別のところに住んでおります。結婚を機に、たまプラーザの独身寮から出なくてはいけなくなったのが理由です。えーっと、たまプラに引っ越してきたのは、ちょうど駅が新しくなった直後の2011年の6月でしたね。で、2014年の4月にはもう引っ越してしまいました。

転勤してくるときに、ふたつ選択肢があったんですよね。千葉県の松戸とたまプラーザのどっちがいい? って言われて、なんかいろんな諸条件は松戸の方が良かったんですけど、まあ、たまたま建物がきれいだったっていうだけでたまプラーザを選んだんですが、住んでみて、この選択は本当に良かったなと感じています。でも、たまプラーザに住み始めた時は、「なんか、ここは私のいる場所じゃないのかな」って感じてたんですよね。正直ちょっときれいすぎる駅とか、たくさんの高級車が走っていたりとか、あとは特に公園を通って駅に行くときにファミリーがいっぱいいたりとか、独身のサラリーマンの居場所とはなんか違うな、っていう違和感がありました。でもコミュニティの中に入っていろんな人と触れ合うことで、そんな感覚は解消されていきました。

コミュニティにつながるひとつ目の接点は、街を主役にして、商店街とか住宅地とか、住民のお宅までを使ってアートの展示会とそれに伴うツアーなんかを行っていたAOBA+ARTというアートイベントでした。そのワークショップのテントが寮の近くにあったステーキ屋さんの隣の空き地に張られてまして、そこにフラッと入っていって、「これ、面白そうだなあ」と思って声をかけました。それがきっかけで、AOBA+ARTを発信していきたい、もっと街の人に関わっていきたいっていう気持ちが大きくなったんです。で、ちょうど「次世代郊外まちづくり」っていう、東急さんと横浜市さんがタッグを組んで、昔のニュータウンをもう一回再生させよう、というプロジェクトの中に、住民も一緒になって進めていきましょうよっていう「住民創発プロジェクト」っていうのがあったので、そこに、「やらせてください、参加したいです」って、「食」で街を元気にしようというプロジェクトで応募しました。それからほかのプロジェクトの方と絡んだり、お手伝いさせていただいたりとかで、知り合った方とどんどん仲良くなっていったという感じでした。

結構これまで転勤が多かったんですけど、その中でもやっぱりたまプラーザの3年間が、かなり街との関わりというところでは濃密だったと感じてます。なんだか、土日とか仕事終わった後の方が仕事をしてるんじゃないのかって、どっちが仕事なんだろうみたいなくらい、住んでいる皆さまと一緒になって活動をしていた時もありました。そんなことがあったから、今でもたまプラーザにに行くと、「ただいま」って言いたくなる。何かこう、第2の地元みたいなふうに思っています。そして時間が経てば経つほど、その思い出というものがどんどんどんどん濃くなっていってる、っていう感覚があります。

また次に行ったときにも、皆さまに「おかえり」と言われたいと思っています。

インタビュー:2020年 夏

このおはなしは2020年No.007号に収録されています。

この度、2014年から発行を続けてきた冊子「街のはなし」1号〜9号を1冊の書籍にまとめることになり、クラウドファンディングを始めました。

シンカブル(Syncable)からご寄付いただけます。

昭和のニュータウンの温故知新。
住民のまちづくりの努力の蓄積と街の成り立ちを共有したい。

100人のナラティブ・地域の変遷と社会の変化を伝える 記憶を記録する本
たまプラーザ「街のはなし」書籍化プロジェクト

すでにご寄付をいただいている方には、御礼申し上げます。とても励まされております。そして、これまでご協力・応援してくださったみなさまにも、オンラインの寄付を通して、書籍化プロジェクトの仲間になっていただけたら嬉しいです

街のはなしHPでもこれまでの活動を見れます。www.machinohanashi.com
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企画・文: 谷山恭子
写真:小池美咲

編集・校正: 谷山恭子・藤井本子・伏見学・街のはなし実行委員会

発刊:街のはなし実行委員会

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