それでも愛する
仲間外れにされた、と友人が泣いていました。
そういう話は10代で終わっていたかと思ったのですが、大人になって経験してもとても悲しいことです。
〇友人の涙
フィリピン人である彼女。
文化は違えど、気持ちに国籍関係ありません。
仲の良いグループがいて「久々に会える♪♪」と期待していたら、いつまで経っても声がかからず「誘われなかったよ…」と泣いていました。
知ったのは後日。
Facebookで集合写真を見て「本当に集まったんだ」と悲しくなり、自分が仲間外れにされたことを知ったそうです。
「場所が遠いからみんなが気を遣ったのでは?」と聞くと、「いや、これは意図的に私を外した」「小さい頃からの仲間だからわかる」「今までにない事態が起きた」と答えました。
〇それでも愛を送る
自分が行きたかった場所。
集まる皆の楽しげな様子。
自分は仲間外れ。
そんな写真、Facebookを見なければいいじゃないのと伝えましたが、あえて見ているとのこと。
そして投稿にメッセージを送ったと教えてくれました。
「みんなが元気そうで本当に嬉しい。みんなを愛しているよ」
英語にすると「I love you, all」
みんなを愛している?
ひどい扱いを受けたのに、そんな優しい言葉を言う必要はない、と私は思ったのですが、彼女は確固たる信念で「LOVE」と何度も言っていました。
私はただ、愛を送るだけだと。
〇主体的な愛
そこには、彼女の“愛し方“のようなものが溢れていました。
相手が私を愛してくれるから、私も愛する
のではなく
私が愛したいから、愛する
というとても主体的な愛し方です。
仲間外れにされた理由を知りたいけど、誰も教えてくれない。
それでも、みんなに愛を送るんだ。もう連絡取れないけど。
私を誘う、誘わないは、きっと何かの意図があったのだろう。
そこに関与はできないから、
もうそういう彼らの問題は、彼らで処理してもらって、
それとは関係なく、私にとって彼らは大切な存在だから、ただ愛を送るだけだ、と。
今回はきっと理由があったのだ、それを信じる、とも。
そういう思いでいられるって、すごくないですか。とても強いと思います。
〇強くなるために
「愛しているから、同じように愛してほしい」
無意識レベルで期待しちゃう私がいます。
彼女を見ていて、愛することに条件を求めがちな自分が、小さく感じました。
私も過去に、職場で一人だけランチに誘われなかった経験があります。
特殊な状況でしたが、意図も理由も信じられず、ただ悲しいだけでした。
その時「何で誘わなかったんだろう」と、向こうの存在ばかりに意識をとられ、気付いたらまるで、他人の頭の中を生きているように感じました。
そうではなく、すぐに主体的な意識に切り替えた彼女。
自分がどうしたいか?
愛したいから、愛する。
自分が愛するかどうかを決める。
フロムの本「愛するということ」にも書かれていました。
主体的に愛せる人はとても強いです。
彼女のように高い視点で愛したいですし、強くなりたいと思いました。
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖