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左に向かってとめどなく歩く人達【日誌のようで物語のような 2024/02/22】

2月だというのに
春うららかな日差しが溢れていた
一昨日とはうってかわって
東京の空は憂鬱な雲が立ち込め、
冷たい雨の中に沈んでいた。
いつもは自転車で通勤をしているのだが、
2月の冷たい雨ともなるとそうはいかず、
電車に乗って会社に行かなくてはいけない。
それは朝からどんよりとした空のような
沈んだ気持ちになる。

電車は中野から新宿までの3駅なのだが、
満員電車というものには
本当に乗りたくなかった。
通勤というのは会社に行くという
日常の些細な一部のはずなのに
満員電車に乗ることは、
げんなりするほどの
気力と体力を奪っていく。
中央線に乗れば
新宿まで5分で行かれるのだが、
満員電車を避けるために、
そこを総武線の各駅停車にして、
中野発に乗ることに決めていた。

駅のホームで電車を待っていると、
向かいのホームでは
すし詰めの東西線が走っていった。
都市に運び込まれる人たち。
物悲しい雨のメロディが漂う中で
ため息をついた。

千葉からやってきた総武線が
ホームに入ってきた。
降りる人たちはまばらで、
乗り込む人たちも多くなく、
周りにも余裕をもって席にすわれる。
“余裕をもって“ という事が良い。
人生にはできる限り余裕を持たせたいものだ。
しかし余裕とは自然発生的に
現れるものではないし、
余裕のある人が分けてくれるものでもない。
余裕とは求めて初めて得られるのだ。
求めるだけではなく、
常に気を配っておかないと、
余裕の部分に余計なものが組み込まれてしまう。
余裕も持って買ったはずの本棚は、
あっという間に埋まってしまう。

僕がすわった向かいの席で、
寝過ごしている人がいた。
降りる人と乗る人が入れ替わって、
彼の並びに座る人たち。
座るなりおもむろに携帯に目を落としている。
彼が寝過ごしている事に
別段気にかけることもない。
僕は寝過ごしていまい
終点から折り返してしまうだろう
彼が気になってしまった。
席を立ち、
「もう中野だけど大丈夫?」
と声をかけた。
顔を上げた彼は異国の若い男だった。
「中野ですか?」と彼が言う、
「終点の中野だよ」と答えると、
「ありがとございます」
とアジアンイントネーションな日本語で
礼を言って、そそくさと降りていった。
そしてホームに降りて左右を見回してから、
車内にいる僕の方を向いて、
「ありがとございます」ともう一度言って、
頭を下げると改札口の方に走り去っていった。
それはとても気持ちの良い瞬間だった。
この憂鬱な雨の朝に人から 
“ありがとう“ 
と言われた事が素直に嬉しかった。
総武線が走り出すと、
窓の外の景色がいくらか
明るく輝いているように見えた。

総武線は東中野に停車した。
ドアが閉まる間際に
若いサラリーマンの男が体当たりするように
ドアをこじ開けて乗ってきた。
同じ車両に居合わせた人たちが
彼を注視するほどの音だった。
彼は電車に乗り込めたものの、
思わぬ注目の視線を浴びることになり、
コートのポケットから携帯を取り出すと、
携帯に顔を埋めるようにして見入っていた。
僕は彼の後ろ側から、
赤くなった耳を見て、
恥ずかしさに耐えているのだろうと思った。

電車が走り出すと、
電車の進行方向の左に向かって
歩いていく人達が目についた。
一人や二人ではない。
何人も行列をなして、
まるで電車の中を行進でもしているかのように
ぞろぞろと歩いていく。
先頭車両の運転席うしろの窓を陣取る
鉄ちゃんクラブの人たちなのか。
電車の先頭には何があるのか。
その行列の先を見てみたが何もない。
ここかしこに座れるスペースはあるのに、
そこには座らずに電車の進行方向に
ひたすら歩いていく人達。
きっと先頭車両にはグルがいるのだろう。
そしてそのグルが今日の一日を
穏やかに過ごせるように護符を渡しているのだ。人々は憂鬱な雨の木曜日を
平和に終えるために護符を必要としているのだ。きっとそうに違いない。
それならば、
僕もこの行進に加わっていこうかと考えてみたが、その護符は必要ではない事に気がついた。
少なくとも今日は必要ないだろう。
今日は朝から “ありがとう” という言葉を受け取っていたのだ。それこそが今日一日を穏やかに過ごせる何よりの護符。

新宿駅に着いて、
人であふれる喧騒のただなかに押し出された。
“ありがとう“の護符のお陰で穏やかな心持ちで、
渦巻く人の流れに飛び込んでいった。

―――おしまい―――

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