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ドラクロワが描くファウスト 国立西洋美術館にて

今日は国立西洋美術館の常設展のファウスト、「版画で「観る」演劇」です。
ファウストはゲーテの作品で、ドイツのライプツィヒの商店街にはファウストとメフィストフェレスの像があります(ショーウィンドとの対比がユニーク)。

商店街にあるファウストとメフィストフェレスの像 

ゲーテの「ファウスト」は演劇だけでなくオペラにもなっていますが、今回の版画の展覧会はファウストの第一部についてドラクロワが版画にした作品です。
私が読んだのは「高橋義孝訳 新潮文庫」でしたが、「とまれ、お前はあまりにも美しい」というフレーズが知られています。
第1巻の1700行目に、ファウストがメフィストフェレスとの賭けで言い切ります。
第1巻は、愛欲。メフィストフェレスに魂を売った代わりに、ファウストは若い娘を得ます。

新潮文庫


新年に、トーハクに行ったついでに常設展を回っている時にこの展示を知りました。その時は時間がなかったので、今回再訪してじっくり鑑賞しました。

あらすじに沿って版画が展示されています。
ドラクロワが描くメフィストフェレスは私のイメージ通りです。

1作品1作品、とても興味深く鑑賞しました。 




第2巻の最後の箇所で「時よとまれ、お前はあまりに美しい(11580行)」とファウストが言って命を絶ちますが、その前に「憂い」が登場します(11420行)。
「憂い」に対して「己はただもうこの世の中を駆け抜けてきた。あらゆる快楽の襟髪をつかみ、己を満足させぬものは、去るに任せ、手から滑り落ちたものは、逃げるに任せた。ただ望んで、ただ望みを遂げ、さらに望みを新たにして、そんな風に強引に、生涯を突進して今日に至った。若年の頃は元気に任せて押し通したが今では賢明に思慮深く生きようとしている」

このファウストと「憂い」のやりとりがあってこその、「時よとまれ」だと思います。

「己は自由な土地の上に、自由な民とともに生きたい。そういう瞬間に向かって、己は呼びかけたい。とまれ、お前はいかにも美しい、と。己の地上の生活の痕跡は、幾代を経ても滅びるということがないだろう。そういう無上の幸福を想像して、今、己はこの最高の刹那を味わうのだ」

ファウストが倒れた後、メフィストフェレスは、「この男は、どんな快楽にも飽き足りず、どんな幸福にも満足せず、移り変わるもろもろの姿を追って人生を駆け抜けた。そして最後の、分の悪い、中身のない瞬間を、哀れにも、引き留めようと願った」と言って、ファウストの魂を奪い取ろうとしますが、ファウストの魂は天国に召されます。

この話は、当時の芸術家にさまざまなインスピレーションを与え、演劇、オペラ、絵画の題材になっています。
私は、仕事で何かをやり切った時に、この言葉を思い浮かべることがありました。快楽ではなく、苦労の末の自分への褒め言葉として、です。

第二部をドラクロワが描いたかどうか分かりませんが、ぜひ見てみたいものです。

「ファウスト(一)(二) ゲーテ 高橋義孝訳 新潮文庫」

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