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未来開示請求

ふと思った。
「未来開示請求」ができるとしたら、どれくらいの人がするだろう。


あなたは、自分の未来が開示できるとしたら、しますか?
それとも、未来は知らない方がいいと思いますか?

そもそも、未来は自由に創造していくものだと考えますか?
それとも、未来はすでに決まっていると考えますか?

大昔から、
「人間には自由意志がある(から未来は決まっていない)」派 vs 「未来はすでに決まっている(から人間に自由はない)」派
の論争がありました。
後者を特に、因果律、決定論、運命論などという言葉で表現します。

一般的な感覚では、我々は自由に物事を考え、選択し、行動していると考えると思います。自分が今朝納豆を食べたとか、今この記事を見ているとか、そんなことがはるか昔にすでに決まっていたことだなんて思えない。

しかし、因果律の考え方は一度知ってしまうと、容易には逃れられない。
これについては、ラプラスの悪魔についての話が有名です。

もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

ピエール=シモン・ラプラス『確率の解析的理論』1812年

天気予報の話で敷衍します。
気象状況は刻一刻と変化しますが、現代の技術を用いれば、翌日の天気はほぼ確実にわかる。さらに、1時間後の天気ともなればまず外れない。もっといえば、1秒後の天気であれば、100%当たるといってもいいでしょう。
これは、必要な情報が徐々に揃うからです。つまり、その瞬間の雲の位置、気温、風の向きや強さなど、そうした情報が全て揃えば、次の瞬間の天気は確実に予測できる。

これを、もし宇宙規模でやってのける「悪魔」がいたとしたら、次の瞬間、そしてその次の瞬間……と、これから先の未来全てを完璧に予測できることになる。
理論的には、未来はすでに決まっているということになります。
もちろん、その中には、我々人間の一挙手一投足も全て含まれている。
人間がどう動こうと、そんなことは宇宙開闢以来すでに決まっていたことなのだよby悪魔。

さらに、現代では、行動の出発点としての自由意志を否定する科学実験があります。

ベンジャミン・リベットの実験
手首を持ち上げるように被験者に指示する。いつ手首を動かすかは被験者の自由。
そして、①意志が生まれる瞬間、②運動の指令が脳に発生する瞬間(脳波)、③手が動く瞬間を測定する。意志の生じた瞬間を調べるため、時計の針を用い、どの位置に針が来た時に手首を挙げようとしたのか、各試行後に被験者に尋ねた。

常識的に考えれば、①意志→②脳からの指令→③手が動くという順になりそうですが、結果は
②脳からの指令→①意志→③手が動く
でした。

なんと、我々が当然のこととして疑わない「意志を抱き、行動に移す」という人間の在り方そのものが、否定されているのです。
むしろ、人間は「行動しようとしてから、意志が芽生える」のだと。

こうした理論や実験を踏まえた上で、僕は、「ゼロからの自由意志」は存在しないと考えています。
人間の意志ないしは意識、あるいは性格もしくは主体と呼ばれるものも、すべて外因によって形作られ、周囲の影響で決定されていると考えるからです。
それについては以前触れているのでご紹介↓

では、
「人間には自由意志はなく、かつ世界はすでに決定されている」
のでしょうか。

実は、因果律の方も、量子力学によって否定されています。
微視的な量子の世界では、確率でしかその状態を語ることができないので、この世界には「偶然性がある」ということは言えそうです。

しかし、「偶然性がある」ことは、自由意志とはなんら関係がない。たとえ「偶然」運命から逃れたとしても、それは意志の力ではありません。
つまり、
「人間には自由意志がなく、かつ世界は決定されていない」
が正しい認識なのではないでしょうか。

では、この世のすべては偶然で、何をしようが報われず、また咎められないのか。
よりよい未来を選び取ろうとする努力は偶然によって水泡に帰し、誰かを殺めても自分の意志ではなかったという主張が認められるのか。

そんなわけはありません。
人間は社会の中で生きています。関係の中で、意志は大きな意味を持ちます。
科学的に自由意志の存在が否定されたとしても、自由意志を感じる存在としての人間には、あまり関係ありません。

僕は、科学的、論理的な「自由」はなかったとしても、
「幻想としての自由」そして「自由という感覚」は存在すると思います。
そういう意味で、未来を創ることも可能だとも思います。
たとえそうするしかなかったのだとしても、後から生まれた意志なのだとしても、自分で掴みにいく。
そうすることで、嘘が本当になるように、意志がゼロに寄り添うように。
幻想だからといってばかにしてはいけません。
人間の社会は、幻想によって支えられているのですから。
信じることでしか、「幻想としての自由」は存在できない。
逆にいえば、真剣に信じることで、我々は自由でいられるのです。


さて、未来開示請求はどうしようか。
もし量子力学も従えてしまうような「悪魔」がいたとしても、僕はしないかな。
どんなゲームも、初見プレイがやっぱり一番。

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