見出し画像

それは、夏休みからはじまった。〜食べても太らないカラダがほしい 1〜

「そんなんやから、太るねん」

けらけらと笑いながら、クラスの男子に言われたひとこと。そのひとことに、ムッとしなければ、このあとから始まる摂食障害に十年以上も悩むことは、なかったのかもしれない。

幼いころから、私は太っていた。いじめられていた、という認識はない。けれど「でぶ」やら「ぶた」やらと、からかわれて呼ばれることも多かった。親戚のおばちゃんとかは「体格がいいから……」なんて、言っているのを耳にしたこともある。「ほめられてるのかな?」と思っていたのに、あとから父に「あれは、太ってるって言いたかったんやろな」と言われて悲しくなったのも覚えている。

身体を動かすのがおっくうだったし、体育は全体的に苦手。走るのはもちろん遅い。クラスのレクレーションなどで行うドッジボールのチーム分けなんかで、私が入っていると「デブがいると負けるー」と言われることも多かった。「おまえは相撲で勝負しろよ。太ってるから、絶対勝てるやろ」などいわれ、みんなに笑われたこともあった。遠足などでたくさん歩くと、太ももが擦れて赤く腫れた。太り過ぎてるから起きる「股擦れ」だと教えられたときは、なんとなくショックだった。

小学生のころは太っていても「まーた、男子がなんか言うてるわ」くらいにしか思っていなかった。けれど、中学生になるとちょっと気になる男の子なんかも出てくるし、憧れの先輩を廊下で見かけるとドキドキした。要するに色気付きはじめただけなのだ。自分の身体がぶくぶくと太っていて、醜いことが恥ずかしくなっていった。

やせたい。

この気持ちが、どんどん強くなっていった。

中学二年生の夏休みのことだ。夏休み明けに少しでも痩せていたら良いなと思った私は「ダイエットノート」をつけはじめた。今で言うところのレコーディングダイエットみたいなものだ。朝・昼・晩で何を食べたか。体重はいくらか。バスト・ウエスト・下腹・ヒップ・太もも・ふくらはぎのサイズをメジャーで計って、毎日書き記した。一日のコメント欄みたいなものも用意して「今日は食べ過ぎた……」みたいなことをひたすら書いていた。

当時の身長は156cm、体重56kg。太っている、と言えば太っている。けれど、37歳現在の私の体重とそれほど違わない。だけど、当時はまるまるとした頬や、たぷたぷと揺れる下腹が、どうしても許せなかったのだ。やせれば、かわいくなれるかもしれない。そう思いこんでいた。

「サウナに入ると痩せるのかも?」と思い立った私は、あることを実行した。お腹や太ももやふくらはぎに、サランラップをグルグルに巻き付けた。冬場だけ足もとに使用するヒーターをひっぱり出してきて、その前でマンガを読むことにした。真夏にもかかわらず、だ。

とにかく汗だくになって、苦しくて、ふらふらだった。今思えば、この方法は熱中症にしかならず、ダイエット効果はない。しかし、この異様なダイエット方法のせいで私は少し夏バテをした。そうして、食欲が少し落ちたことで、ほんのちょっとだけ体重が落ちた。

この夏バテがきっかけとなり「食べなきゃ、やせる」と気付いてしまった。けれど、気付いただけで、まだ夏休みの時点では「食べるの、やめよう」と思うことはなかった。

二学期が始まって、少し経ったくらいのころだったろうか。

給食の時間に、私は母が作ってくれたお弁当を食べていた。私が通っていた中学はお昼ごはんはお弁当を持参する決まりだった。私の斜め前に座っていた、ちょっと好きだった男子がお弁当を出した。彼は家の近くにあるパン屋さんで買った総菜パンを持ってきていた。ウインナーを包んだパン生地が、フランクフルトのように串に刺さったもの。

「あ、そのパンおいしそうやね」彼が食べようとしてたパンを見て、なにげなく私はそう言った。すると、彼の隣にいた男子が「おまえ、人の昼ご飯までうまそうとか言ってんの? そんなんやから、太るねん」と私を指差しながら笑った。つられて、私が好きだった男子も笑っていた。

みじめだった。太ってさえいなければ、笑われることもないのに。好きな人にまで笑われたのも、悔しかった。その場では、へらへらと笑ってやり過ごしたけれど、悔しくて悔しくて、本当は泣き出したかった。今までデブだのブタだのとバカにしてきたやつらを見返してやりたかった。

そうして、私は「ぜったいに、何が何でも、やせてやる」と決意した。病気が始まるきっかけとして、過激なダイエットから拒食症へと進んでしまうパターンが多いという。わたしはそのパターン通り、拒食症へと進む道を選んでしまった。



最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。