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大学の卒業式当日に、卒業論文を提出したこと

通勤中の電車の車窓から、大学の卒業式の様子が見えた。大学の正門前(大学名が書かれた看板前)で記念写真をとるための行列ができていたのだ。

はかま姿の女子生徒や、スーツ姿の男子生徒がずらりと並んでいるのが見えた。一瞬だったので、彼ら彼女らの表情までは見えなかったけれど、きっと卒業に対する喜びと、これからの生活に向けた不安、友達と離ればなれになる寂しさなんかが胸のうちにあったことだろう。


わたし自身、卒業式当日の朝は、とにかく慌てていた。たしか徹夜にちかい状態だったように記憶している。

卒業論文が書けていなかったせいだ。

さぼっていた、というわけでもないのだけれど、確かにぎりぎりまで書けなかった。

わたしの通っていた大学では、当時、卒業前の1月に「研究発表会」が行われていた。一年間の研究の成果をプロジェクターを用いて発表する。みんな不慣れなパワーポイントを作成して、なんやかんやと試行錯誤していた。

わたしが研究していたのは「海洋性微好気性菌の酵素(SOD)活性について」という、今になってみると何かの暗号のようにしか聞こえない研究だった。

わたしがおこなった研究は、わたしが卒業した後に、大学院生の人が研究結果をもとに、さらに展開して研究するというものだった。

一月に研究発表会が終了しても、実験は終わらなかった。わたしの研究は、「途中経過の発表」でしかなかった。教授からも「君の研究に、結果は出ないよ」というようなことを言われてしまって、愕然とした覚えがある。

一月に研究発表会をしたのちにも、次に引き継ぐ人(大学院生の研究者)に実験手順を教えなくっちゃいけなかったし、追加のデータを作成してほしいからと、細菌のサンプルを増やされたりした。

当時はデータをフロッピーディスクに記憶させてたのだけれど、二月になって、データを保存していたフロッピーディスクのデータが吹っ飛んでしまったりとか、PCの調子が悪くなったりした。

実験手順の引継ぎも終わっていたし、実験ごとにデータを教授へ報告していたので、「あとは、もうまとめるだけだね」と言われていたのに。まとめる段階の二月の終わりになって、機器類の故障が相次いでしまって、わたしはかなりやる気を失った状態で、卒業旅行のエジプトへ約一週間ほど出かけていった。

エジプトから帰ってくると、卒業式までもう二週間くらいしかなかった。

卒論のデータをまとめなくっちゃいけないし、学生向けのアパートに住んでいたので、卒業前に引っ越しもしなくっちゃいけなかった。

そういえば引っ越しも大変だった。当時水槽がいくつか部屋にあって、海水魚と淡水魚を飼育していた。リクガメも飼育していた。家具の移動なんかはどうでもよかったけれど、生物の移動がとにかく大変だった。

引っ越しのために一週間くらい時間を取られてしまったけれど、そのあいだに調子が悪く、修理に出していたPCもどうにか復活した。

卒業論文といっても、ほとんどが条件を変えて行った実験の手順と、それらで得たデータをまとめるだけなのだけれど、とにかく作成に時間がかかった。

自宅のプリンターも調子が悪くなってしまい、卒業式当日の早朝、遊びに来ていた姉に振袖を着付けてもらって、家を飛び出したことを覚えている。

卒業論文はデータ(CD-R/フロッピー)とプリントアウトして、ファイルに綴じたものの二つを提出しなければならず、データはそろったけれどプリントアウトができていない。研究室に急いで行って、プリンターの前で一枚ずつ吐き出される紙をじれったい気持ちで、ひたすら見つめていた。その日も研究に来ていた大学院生に「すごく異様な光景だね」と、笑われたことを覚えている。

本来ならば、いったん教授に見せたのち、多少修正指示をだされて、再度プリントアウトしたものをファイルして提出する。しかし、もう卒業式当日だ。数日後からは働かなくっちゃいけない。修正している余裕はなかった。

式典などに出席する余裕は一切なく、ファイルに綴じた卒業論文を教授にぐいっと押し渡して「もうこれで、勘弁してください」とお願いした。教授はぺらぺらっと中を見て「はい、おつかれさま」といって笑っていた。

あの当時は「すごく大変なできごと」として胸にきざまれていた。けれど、こうして書いてみると、たいして大変でもないし、楽しかったなあという感想しかない。なんというか、大学生だったんだなと、ただただ思う。







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