見出し画像

あさりと過ごす数日間について

「あのさー、今日の夜あさりの面倒見てくれない?」夫は仕事へ行く支度をしながら、こともなげに私に告げる。
私にとっては非常に気が重いひとことでもある。

先週の半ばに、夫は一人で潮干狩りに行ってきた。平日だったし、私は会社を休んでまで潮干狩りに向けた情熱はない。シフト勤務の夫は、カレンダーにマルをつけて、数日前から準備をしていた。

「周りの人たちが、すごく便利そうなグッズを持っていて、それを作ってみる!」そう言って、夫は空になったペットボトルで何やら細工をしていた。夫は今年二度目の潮干狩りに向けて余念がなかった。

狩りの成果は、夫婦二人で食べるには山程あると思うけれど、夫としては「もっと狩りたかったなぁ」と悔しそうだ。潮が満ちてくればタイムオーバー。潮干狩りは引き際が肝心だ。

砂の中に手を入れて、あさりを掴む瞬間は、お宝を見つけたかのように、気持ちがぶわりと高まるらしい。夢中になりすぎて、貝のカケラで指を切ってしまっても、アドレナリンが出ているから、その時には痛みを感じないらしい。

収穫されたあさり達は、貝の中にたっぷりと砂を噛んでいるので、最低でも一日、長いと四、五日は「一緒に暮らす」ことになる。バットやボウルに浅めに海水を張り、あさり達はそこにゆったりと放たれる。新聞紙や牛乳パックなどで軽く蓋をして、暗くしてあげる。はじめのうちは警戒して、硬く二枚の殻をぎゅっと閉じている。しかし、静かな時間を過ごすうちにあさり達は気持ち良さそうに、にゅうっとその身を貝の外にはみ出させる。

夫はその、あさり達が油断している姿を見るのが好きらしい。数年前は「このまま、あさりを育てられないか?」と、真剣に相談された。飼えないこともないけれど、餌がわからないし、砂を入れてあげないと、などと私は割ときちんと答えてあげた。

あさり達と数日暮らしているあいだ、夫はいそいそとあさり達の面倒を見ている。水が汚れたら変えてあげたり、減っていたら足してあげたり。猫がちょっかいを出そうものなら、「ダメだよ!」と、猫に触らせないようにしている。あさりのケースを除いては「かわいいねぇ」などと言っているため、私は「そんなこと言って、数日後にはバクバク食べてしまうのにね」と、意地の悪いことをついつい言ってしまったりもする。

土曜日、夫が夜勤のため「あさりの面倒を見てくれない?」と、私に託す。あさりの面倒を見ることは、私にとって、とても億劫だった。ボウルふたつにたっぷりと入っているあさり達。おそらく百匹か、そのくらいいるだろう。水の入れ替えはやらなくてもいいけれど、夜寝る前に海水を少し足してあげて、と夫は言い残して仕事へ行ってしまった。

あさり百匹の生命をとりあえず守らなきゃいけない。なんだかとっても気が重かった。猫が近づかないようにと風呂場に置かれたあさり達は、何にも知らずに、にゅうんと気持ち良さそうに過ごしている。数日、いや、数時間後には食べられてしまうとは考えてもいないだろう。

私の眠る、二階の寝室の下には百匹のあさりもゆったりと過ごしているのだ。そう考えると、少し身じろぎしてしまう。布団に身体を滑り込ませても、カタカタとあさりの殻が触れ合って響く音が聞こえたような気がして、思わず寝返りをうった。

私がだらしなく手足を伸ばして眠っている姿と、あさりがだらりと貝の外にはみ出している姿は、同じようなものだろうか。夫に「かわいいねぇ」と愛でられている姿も、大した違いがないように思える。かわいいかわいいと愛でられた後に、私もグラグラと火にかけて咀嚼されてしまうかも知れないな、と考えると妙に腑に落ちた。あさり百匹に対する重圧感が少しだけ減ったように感じ、いつの間にか砂の中に沈み込むように、眠りについた。

#短編小説
#掌小説
#私小説

最後まで読んでいただきまして、ありがとうござます。 スキやフォローしてくださると、とてもうれしいです。