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電話の先の、冷たい声は。

毎日毎日、ぐったりするほど暑い。

こう暑いと、やっぱりちょっと背筋がザワリと毛羽立ってしまうようなお話も、書いてみようと思う。私自身が過去に体験した、一番怖かったお話だ。怪談話ではない。けれど、思い返してみても、怪談以上に気味が悪い。


私が大学二年生のころのこと。季節はちょっと、覚えていない。

私はひとり暮らしをしていた。当時、付き合っている人がいた。同じサークルの、ひとつ上の学年の人。彼は、実家暮らしだった。けれど、徐々に私のひとり暮らしのアパートで泊まっていく回数が増えていたころだ。

彼は実家近くの居酒屋でアルバイトをしていた。居酒屋と言っても個人が経営する小料理屋さんみたいなところだった。だけど、閉店時間が深夜近く。そのため、バイトにはいっている日は実家に帰るけれど、そうでない日は私の部屋で過ごす。ただ、バイトが忙しくなくて早くあがれた日には、いそいそと私の家に来る。こういった生活サイクルを彼は送るようになっていた。たぶん週に一日か二日くらいしか、実家に帰らなくなっていた。

彼が自宅に帰ったときは、夜中に電話をかけてきた。一度か二度、自宅の固定電話から、私のPHSに電話をかけてきたこともあった。電話代を節約したい、ということだったらしい。

とりとめもない話をして、「じゃあおやすみ」といって、電話を切る。それだけだったけれど、彼の声を電話越しに聞くのは、なんだかくすぐったかった。

ある日の、たしか夜七時くらいだったとおもう。私のPHSに電話がかかってきた。ディスプレイに通知された番号を見ると彼の自宅の番号だった。

「こんな早い時間に珍しいな」

そう思って、電話に出た。「もしもし?」

すると、電話の先からは、彼の声ではない、女性の声が聞こえた。

「もしもし。こんばんは、はじめまして。Sの、母親です」

彼の名字を静かに告げて、名乗った女性。

そう、彼の母親からの電話だった。

「最近、うちの息子が、あなたと、お付き合いをしていると思うんですけれど。そうですよね?」

「……はい」

静かな声だけれど、明らかに怒りをたっぷりと含んでいることがびりびりと電波に乗って伝わってくる。

「どうも、あなたのお宅に泊まっていることが多いみたいですけれど。ちょっと非常識だと思いませんか?」

「……はい」

私には、「はい」という言葉しかいえないような詰問調で問いつめてくる彼の母親の声。私のPHSを持つ手も、絞り出すような「はい」という言葉も。そのどちらもが震えていた。

「まあねえ、お付き合いを辞めなさい、といってるわけじゃないのよ。でもね? ちょっと非常識でしょう? あなただってまだ若いのに、万が一ってことでもあれば、傷つくでしょう?」

妊娠でもしたらどうするんだ、息子の経歴に傷がつくじゃないかとオブラートに包みながらもかなりはっきりと私を責める口調だった。そこからのやりとりはあまり覚えていないけれど、「……Sさんと、きちんとお話します」と私がいうと、満足げに「そうしてください」といって、彼の母親は電話をガチャンと切ったのを覚えている。

そのあと少し立ってから、特に連絡もくれないまま、彼は我が家にやってきた。彼は何にも知らなくて、「あー腹減ったー」といってコンビニで買ったらしいお弁当を持ってきていた。

「……ちょっと、話があるんだけど」

そういって、私はついさっき、彼の母親から電話があったことを切り出した。うちにはもう、泊まらないほうがいいよ、と。

彼は青ざめた様子で、「まだ、電車あるし。今日は帰るから」といって、お弁当を置きざりにして自宅へ戻っていった。

彼の母親から電話を受けたあと、数ヶ月は彼は我が家に泊まることはなかった。「別れよう」という話にはならなかったけれど、私の気持ちはある一部分は凍りついていた。なんというか、冷めてしまったの。

けれど、彼とはその後もずるずると付き合っていた。学生時代も含めて、五年近く付き合ったのち、私から別れを切り出したのだった。何となく、結婚の文字がちらついてきた時、あの電話の先の母親の冷たい声を思い出し、苦しくなったのだった。


今思い返してみれば、当時お付き合いしていた彼のどこに惹かれたのだろう。ギャンブルずきで、私にお金を借りるのはあたりまえだった。タバコをすぱすぱと吸って、お酒もガブガブ飲んではあちこちで酔いつぶれ、「つぶれてるから迎えにきてー」と記憶もないままに私を呼び出したりしていた。

当時の私はホイホイと向かえにいっていたけれど、「こんな人のために、バカバカしい」と心の隅で思っていたことも事実だ。けれど、何となく離れるのは寂しいし、同じサークルの先輩後輩だったので、関係が悪くなるのも嫌だった。また、男性と付き合った経験がなかったので「男の人は、みんなこんな感じだろう」と、何となく思っていたのだ。男の人は他にもいるし、っていまならサッサと別れを選べるのに、当時は選べなかった。

せめて、あの母親から電話を受けたときに、さっさと別れてしまえば良かったのにな。

ズルズルと付き合ってしまった、私自身がうらめしい。


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