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生きることは、死ぬこと。死ぬことは、生きること。

noteで慕っている方のお一人、たなかともこさんの記事に出逢った。

とても触発された。
引き込まれたまま拝読し、コメしようとしたら長くなってしまい。
到底、規定の時数に収まらないことがわかった。
ともこさん、素晴らしい記事をいつもありがとう。
コメ替わりに、こちらに記事を上げることにしますね。

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生きることと死ぬこと。
これは隣り合わせのこと。
この世に肉体をもって生まれたら、死へ向かう。
どのような人生を送っても、誰もが平等。死を経験する。

私がこの人生で死を意識したのは、かなり幼いころからだ。
カミングアウトすると、記憶がある2歳前後頃から。
「hikariちゃん、大きくなったねえ。」と言われる度、
ああ、自分は加齢していってる、死に向かっているんだと感じていた。
「うん、hikari、大きくなる~。」なんて返答をしつつ、複雑な境地だった。

幼稚園時代だったろうか。
寝る前に悶々と、大きくなり、いつか死にゆく
この世に生まれた自分のことを考える日々もあった。
(オマセを通り越してますよね・・・。)
ある日両親に、何気なく自分が考えていることを漏らしたところ、
見たことが無いほど狼狽された。
その様子に、以来自分が考えていることを両親に明かすのを止めた。
大切に思う人の、悲しい不安な顔が見たくないからだ。
また、限られた期間である生きている間に、
一瞬先の死を考えてばかりいるのは勿体ないと気づいたこともあり、
「死」を考えることは「おやすみ」にした。

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時が流れ、同居していた祖父が亡くなった時。
再び自分の中で「死」を考えるようになった。
祖父は大戦などの激動の時代に翻弄されず、天命に生きた人生を送った。
珍しいケースかもしれない、老衰で生を全うした。

亡くなった後にも、そんな祖父の生きざまの片鱗が見られた。
財産・資産関係のことをクリアにしていたため、
息子である父は、大勢の親族と何一つもめることが無かった。
処分していたのだろう、
私物はわずかな衣類、古びた辞書とメモ帳、碁盤だけであった。

そして、もう一つ付け加えたい。
祖父は、ゆっくりと死んでいってくれた。
仕事の第一線で輝かんばかりだった現役時代を私達に見せた後、
死へ向かう姿も惜しみなく見せてくれた。
老齢で色々なことができなくなり、戸惑う姿を時に隠さず。
周りへの感謝や寛容な言葉が増える一方、自分の癇癪や我儘もさらけ出し。
それでいて、叡智溢れる言葉を聞かせてくれた日々だった。

祖父は、私達家族に繰り返し言った。
「わしは延命を希望しない。」
この家でお前たちと過ごす、この生活ができないなら。

闘病の末亡くなった祖母の時は、子供達(私のおば達)の強い希望で
延命治療を尽くした。その治療は祖母の意志に沿ったものか不明なまま。
その経験からだろう、祖父は自分の意志で伝えられるうちに、
自分の死についての希望を何年も前から私達に伝えていた。
治療が必要な状態に陥った本人に代わって、治療の方針を委ねられことは
周囲の人間にとってストレスになることがわかっていたからだろう。
そうなのだ、生きることと同じく、死を考えた時間を経て、
祖父は自分の意志を伝えてくれたのだと思われる。

いつかのその時になって。
当人と周囲が感情的になることもあるだろう。
決めていたことも、流動的で然り。
それでもいい、私達は生きることと同じく、
死ぬことも自分の人生と捉えることが大切なのだ。
自分の責任をもって、今を生きる。
死に向かうのも、自分の責任を持ちたい。

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ふと、最近考えていなかったことが戻ってきた。
私の老親達のこと。
元気に、幸せに暮らすばかりの二人。
在外に暮らす子供として心配することは、現在何一つない。

里帰りした時、何気なく知って驚いた。
二人共、自分たちが死病にあっても一切詳細を知りたくない、
治療も止めないでほしいという希望があることを。
また、死を考えるなんて恐ろしいし、したくない。
自分達の財産や葬儀埋葬のことなどプランニングする気は無いことも。
父は母より先に亡くなるものと思い、母は父より先に亡くなるものと思い。
互いに「何かあっても、お父さん(お母さん)に後は任せるから大丈夫」と
口を揃えていわれた。
年齢は自分よりもちろん上だが、幼子のようなところがある両親。
彼らとのこの話は、ここで一旦、おしまいにすることにした。

私はつい、両親も祖父のように、
死を自分事にして生きていると思い込んでいたことに気づいた。
難しいのは、その人の死は生と同じく、その人のものであるということ。
周囲がそれを取り上げるわけにいかない。

自らの死に面する両親に面する日が私にくることは、ほぼ間違いない。
私の方が先になる、順番が逆になるかもしれないし。

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私の近所に暮らしていたKさん、Jさんの家が、先月無くなった。
正確には二年くらいかけて、お二人の家は空になっていった。
まずはKさんが、様々な体調不良で自宅に暮らせなくなった。
そしてJさんも、この一年ほどで。

Kさん、Jさんは、とても素敵なご夫妻だった。
互いに慈しみ合い、いつも笑顔に満ちていて。
ご自分のご家族はもちろん、コミュニティの皆を愛し愛されていた。

隅々まで手入れし、折々の訪問客で賑わっていた家。
その家の前に大型ごみ回収業者のトラックが数台止まり、
作業が始まった時、何とも言えない気持ちになった。

おそらく、お二人のご家族は最後を過ぎるまで、
自分たちの生家である両親の家を、そのままにされていたのだろう。
たくさんの家具、家財。
どんどん運び出されては、無造作にトラックに放り込まれていく。

美しい秋空の広がる下で、一つの家が死を迎えた。

そして一週間もしない内、家の前に不動産屋の看板が刺さっていた。
”FOR SALE"
さらに、そのわずか二日後。
"UNDER CONTRACT"
ほどなく、
”SOLD"

先程、新しいオーナー家族と裏庭で話した。
家族みんなで、新居の裏庭を歩いてまわっているところを、
庭仕事をしていた私が声をかけたのだ。
以前、私がこの家に越してきて、裏庭でKさん、Jさんと出会ったように。

プリスクーラーの娘さんが、庭を元気に走り回っている。
死があったからこそ、その家は新しいオーナーの家として誕生した。

生きることは、死ぬこと。
死ぬことは、生きること。
新しいエネルギーに満ちたお隣の庭を眺め、そう実感する。


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