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明治演劇史 渡辺保 

第一章 近代とはなにか 
一、もう一つの明治維新ー梅若実と室生九郎

近代と個人、社会と出会う、写実的な精神主義者、という視点が展開されて演劇においてもやはりそうなのか!と視座が開く思い。歴史重要!と改めて思ったのでした。少しづつ読んでいきます。

「梅若実は維新の志士たちの如く、その精度の下層から身を起こして成功した。彼は既にふれた通り、徒手空拳、自宅の板の間から能をはじめた。体制には全く頼っていない。裸一貫。個人なのである。もし近代が個人の自覚からはじまるとすれば、梅若実こそその個人の最初の1人である」

「裸一貫の人間が相手にしたのは社会そのものであった。いつの世も動乱のなかに生きようとすれば、人は己一人をたのむしかない。梅若実もそうした。そうした結果彼は、世阿弥依頼、権力者あるいは富裕層の保護なくして生きて来られなかった能を社会と直接対決させた。梅若実の自宅へ最初に見物に来た人間が無名の人間であったことは実に象徴的であった。彼はその時、一般社会と出会っていたのである。そしてそのことそのことが能を社会に解放した。」

「動乱のなかで一人の人間であることに目覚めた芸術家二人が期せずして写実を主張したことこそ近代の始まりであり、そのことを感じた人間が観客になった事実こそ、近代的な劇場のはじまりであった。」

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