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物語~利用者を知る~

尊厳を守ることが大切
利用者を知ることが大切
なんとなくわかるようでいて、
抽象的なことってありますよね。


1.利用者を知ること

利用者さんを知ることが大切だと言われたことはありませんか? 

実際に私も言います。 

ケアを提供するうえでも、認知症というケアも、リスクマネジメントでも、その方を知ることはとても大切です。 
人と関わる以上、介護とか仕事とか関係なく、
相手を知るということって大切ですよね。 

かといって、どうすれば知ったことになるのか、
何を知ればいいのかって、
実は抽象的でよくわからなかったりしますよね。

今から遡ること15年前、理屈じゃなくて、
心で利用者を知ることの大切さを初めて感じたエピソードをお届けします。


2.Nさんとチャランポランな私

初めて就職したのが、新規開設の定員が50名の特養施設。 
当時の私はお世辞にもまともな職員とは言い難いくらいのチャランポランでした。

そんな私にも初めての担当利用者が決まりました。 

その方は60代くらいの若い男性で、
左まひの車いすを使用していた方でした。 

私がどのくらいチャランポランだったかというと、(初めての担当利用者さん、Nさんとします)Nさんは左まひですが、車いすは片手で上手に自走されていて、移乗も移動も自立されていました。

ある日、施設内の窓から外を眺めているとNさんの姿が!! 

ちょうどその窓からは施設の玄関から道路まで出る道が見えるのですが、道路まで出るまでに緩やかな下り坂があります。
そこをNさんがスーッと滑ろうとする、まさにその瞬間でした。 

ここで、まともな職員なら青ざめて叫びます。

「ちょっと待っててください‼」とか、
「今行きますから‼」とか。
そして、急いで迎えに行きますよね?

チャランポランな私は、
リスクよりも “凄いじゃん‼” と、
感動が先に来ていたので、
笑顔で
「Nさーん、気を付けてくださいね♪」と。

そして、
ニコニコしながらお迎えに行くと、
道路の先にある自動販売機でジュースを買っていたところでした。
「凄いですね!見事な滑りでしたね♪」なんて言って、
「帰りはどうするつもりだったんですか、この坂」
「わかんね(笑)」
なんて会話を交わしながら、
帰りは車いすを押させていただきながら、談笑して施設に戻りました。

お察し通り、
笑顔の2人を待ち受けていたのは、怒り心頭の上司でした。
良い天気でしたが、落雷が降り注ぎました。

そんなチャランポランぶりでした。


3.忍び寄る黒い影

Nさんが入所されて数カ月、自由なNさんでしたが、
病気の魔の手が近寄ってきていたのです。

その時はわからなかったのですが、
Nさんの身体は癌に侵されていて、身体の痛みを訴えるようになりました。

トイレや起き上がりなど、痛みが強い時には一人でできずにコールがなることも多くなって、職員の中では“仮病だ”とかいう話も出ていました。
若かったからそんな病気になっているとは誰も思わなかったんでしょうね。 

私は他の人よりは懐疑的な見方をしていなかったのでというと、良い人っぽさをアピールしているようですね(笑)。
実際には、初めての担当利用者だったことも大きくあり、
コールに対しても、嫌だと感じたこともなく、
進んでお部屋に行っていました。

そんなこともあって、ご指名を受けることが増え、
単純に指名してもらえることが嬉しいと感じていました。

そしてある日、
強い痛みのために救急搬送され、入院。

手の施しようがない癌だということがわかりました。


4.お見舞い

担当者だからという義務感が半分、
心配だと思う気持ち半分でお見舞いに行きました。
施設の方針としてお見舞いに行くことを推奨されていたことはありません。勝手に行って良かったのか、そこまで考える力はありませんでした。

とはいえ、
利用者さんのお見舞いに行くことは初めてのことだったので、
これは何か持って行ったほうが良いのか?
いや、施設職員としては物品金銭のやり取りになるのか?
なんてあれこれ悩みながら、
コンビニでこれならいいだろうと購入しました。

Nさんはちょっぴりエッチな方で、
枕元に大人向けの週刊漫画雑誌があったのを見ていたので、
私が選んだものは、ちょっぴりエッチなシーンがある週刊漫画雑誌でした(笑)

私は会話が得意なほうではなく、
Nさんも多弁な方じゃないので、
多くを語ることもなく、無音な時間が流れ、
「待っているから戻ってきてくださいね」
というようなことを伝えて、
そそくさと帰ったんじゃなかったかなと思います。

そして、
施設に帰ってくることなくこの世を旅立たれました。 


5.一枚の写真

Nさんの私物を持ち帰るために奥さんが来られ、
ご挨拶をしに同室させていただきました。 

物が多い方ではなく、
テーブルのような台の上に3段くらいの引き出しのついた棚のような物と日用品程度。

その棚の引き出しの中に写真が2~3枚入っていました。

そこには、
当たり前ですが、ここに来られるときのNさんとは違い、
若くてイケてるNさんが映っていました。 
家族との写真も。 


言葉を失いました。

何とも言えない気持ちになったんです。 
馬鹿にするんじゃないと怒られてしまいますが、
Nさんにも人生があったんだなって。

言葉にできない感覚ですが、
安っぽい言葉かもしれないですが、
尊いというか、
敬意を感じたというか、
敬意を払わないといけないなと感じたというか、

ずっと、
Nさんと接してきたのに、
初めてちゃんと向き合ってNさんを見たと感じた。

今でも上手に表現できないのですが、
その時、
理屈じゃなくて、
知識じゃなくて、
心で、 
利用者を知るって、こういうことなのかと感じたんですよね。


6.知らないところで与えているもの

Nさんの入所期間は、3カ月か多くても4カ月くらいでした。

こんな少ない私物の把握もできていない担当者、
利用者の持ち物に全く興味も関心も持っていなかった担当者、
ほんと、チャランポランだなって、反省しました。

 幸運にも日程が合い、葬儀に参列させていただくことができました。

御家族の最期のお別れの際、
奥さんが私にもお花を添えてもらいたいとおっしゃっていただき、
恐縮しながらも添えさせていただくと、
私が持って行ったちょっとエッチな週刊漫画雑誌が、
綺麗に中身が見えるように飾り、棺の中に入れて下さっていて…

“いやいや、そんな(汗)”と、バツの悪さを感じていたら、

「とっても嬉しかったって主人が言ってたんです。あそこに帰りたいって」

と、いつも喋らないNさんが、
嬉しそうに喜んで何度も話してくれていたそうです。 

私としては何気ないことでも、
Nさんにとってもは大きなことだった。

知らないところで、
こんなチャランポランでも、
与えられていたことがあったんだ。

感謝しかありません。

短い期間しかご一緒しませんでしたが、
とっても大事なことを教わったと思っています。  


目の前の利用者さんは、
今の姿、今のその方が全てではありません。
今も、昔も、これからも、
その方の歴史があります。

その方を知る。

言葉にする、
項目にする、
何をして、
何を知って、
基準にすることのできないこと。

それでも、
何かわずかでも、
少しでも、

その方を知ろうと向き合うことで、

初めて尊敬の念を持てることもあります。 
関わり方のヒントがたくさん隠れていることもあります。 

何よりも、
人として向き合うこととして、大切な1歩だと思います。 


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