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学歴偏重主義は問題か?(実力も運のうち 能力主義は正義か?/マイケル・サンデル)

「白熱教室」でおなじみの、ハーバード大学教授の著作。
「これからの『正義』の話をしよう」は面白く読んだ記憶があるが、これは気合を入れないと読めない文章だった…多分翻訳がイマイチ。

内容は主にアメリカの学歴偏重主義と格差社会について。

・我々が理想とする社会は、人種や性別、出自に関わらず能力の高い者が成功できる平等な世界。これが本書の副題にも入っている能力主義(メリトクラシー)だ。

・しかし現実は、ハーバードやスタンフォード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一にあたる家庭の出身。その他の難関大学も然りで、低所得家庭の出身者は4%しかいない。低所得者の支持を受けて当選したドナルド・トランプでさえ、自分の子供を名門大学に入れるために実は多額の寄付をしていた。

・そうした現状を変えるため、政府は補助金を増やしてきた。ハーバードやスタンフォードは年収6万5千ドル以下の家庭出身の学生の授業料、部屋代、食費を無償化しているが、状況は変わっていない。

・にも関わらず、エリートは自分たちの成功を能力と努力の結果だと信じこみ、出世できなかった人を自己責任だと見下す。能力主義は理想ではなく、社会的軋轢を招く原因だった。

→では真に平等な社会とは何か?どうすればいいのか?

・大学入試については、試験である程度の能力のある者を絞り、あとはくじ引きで合否を決めればよい。こうして卒業生の子や、親が多額の寄付をした子が入りやすくなる状況を変える。

・技術・職業訓練プログラムの拡充、名門大学における道徳教育を拡大する。

・所得の低い者への補助、金融取引の課税を重くすることによる富の再分配。

…とあまり現実的とは思えないふわふわした結論で終わっていた。

後半が特に読みづらかったけど、前半の「平等」をかみ砕くくだりは面白かった。
平等の定義には、学歴以外にも容姿や身体能力など様々な指標があって、例えばルックスの良い人は生きやすいからその他の部分で税を課して平等にしなきゃね、といった具合である。(もちろんそれは定量化できるものではないし実現不可能である)
学歴に関わる「地頭のよさ」にしたって遺伝的なものだから、どうしようもない。

誰もがある部分では優れていてある部分では劣っているのだから、努力でどうにもならないことは折り合いをつけて生きていくしかないよな、と私は常々思っている。

成功の指標のひとつが学歴であるという現状は、問題なのだろうか。
ほとんどの人は、死ぬほど努力してもモデルやプロ野球選手にはなれないが、それに比べ勉強は、まだ努力で這い上がれる余地が大きいのではないか?
それは日本だけで、アメリカは違うのだろうか?

アメリカの現状を肌で感じないと、この問題を同じ目線で考えることは難しいような気がした。

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