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私に鈍感な私

心の状態を表す言葉は、いつだって抽象的だ。

心について少しだけ専門的に学んだが、辞書や本を読んで、さらに自分の中で反芻してやっと理解できる感情がたくさんある。

私は人の感情を敏感に察知することができる(と人から頻繁に言われる)が、最近、自分自身の気持ちには鈍感であることに気付いた。

私は、昨年の秋、複数の身体症状に悩まされた。喘息の発症、原因不明の高熱、全身の発疹など、一つの症状が落ち着き始めるとまた新たな症状が現れた。呼吸器科、内科、皮膚科のお医者様から共通して、「ストレスが原因ではないか」と言われた。特に皮膚科の先生は、「最近大丈夫?疲れてる?普通こんな症状出ないから、心身ともにゆっくり休みなさい。」と仰った。

その先生の言葉を受けた時、普段何とも思っていなかった周囲の人の言動が、まるで走馬灯のように思い出され、私の心に重くのしかかった。

あれは今思い出しても不思議な体験だ。
私は、普段周囲の人の心無い一言を気にしないつもりでいたが、実際は「つもり」であって、自分でも気づかぬうちに心にストレスが蓄積していた。先生の言葉を受けて様々なストレス場面を思い出し、「ああ、〇〇さんから言われたこと、やっぱり嫌だったなぁ」と、その時初めて嫌悪感を認識した。

私はどうしても、「ストレス」と聞くと、強いショックを受けた出来事や、明確に他人から否定された出来事など、「明確な嫌なもの」をイメージしてしまう。なんとなく違和感を感じたことや、遠回しな嫌味など「なんとなく嫌なもの」は、今まで「まぁそういうこともあるよね」と軽く流していた。これが良くなかったのかもしれない。

ある程度のスルースキルは社会で生きる上で必要だが、嫌なことを上手く受け流すことと自分の心のSOSを無視することは区別しなくてはいけない。でもそれは非常に曖昧で分かりにくい。だから、私は自分の経験を踏まえて、周囲の友人の抱える小さなストレスも見逃さず、少しでも力になれるといいなと思っている。

#ストレス #心 #私 #日常 #心と身体

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