直結の時代だなあと。

直結の時代だなあと思う。令和になってことさらに。
昔は、メディアしか民衆とつながることができなかった。メディアは会社しかつながれない。だからタレントさんは会社とつながってないと、メディアとも民衆ともつながれなかった。でももう、直結の時代だなあ。タレントさんは民衆といくらでも直接つながれる。冷静に考えればもともと、構造的には鎖のはじとはじにいたのかもしれないけど、心理的には一番近かったのはタレントさんと民衆だった。鎖はウロボロスだった。そうしたら、間に挟まっている存在の存在意義って、何だろう。

直結の時代だなあと思う。
「代理店」と呼ばれる業界が、溶けようとしていると思う。モノやサービスを売りたい会社がいて、売る装置を持っている会社がいて、その間に入って面倒ごとを代行したり、やりたいことを最大化する作業を「代理」していたのが代理店。でももう、直結の時代だなあ。テクノロジーが間で代理していたことを、さらに代理してくれるから、代理店なんかすっ飛ばして装置と直結すればいい。もっと言ってしまえば、装置の向こうにいる民衆と直結することだってできなくはない。そうしたら、間に挟まっている存在の存在意義って、何だろう。「やりたくないことを代わりにやる」ことではなく、「やりたくてもできないことをやる」ことだろう。

直結の時代だなあと思う。
「わかりやすく、それっぽく、インパクトがある」人が当選しやすく、どんなに素晴らしい政策を考えていても「わかりにくい」人は当選しにくいのかもしれない。それをポピュリズムだと警告する人もいる。結局、直結はいいことなのかどうなのか。確かなのは、直結するということは、登場人物が減って、関係性がシンプルになるということ。シンプルな登場人物になるってどういうことかというと、一人ひとりの役割が重たくなるということ。直結している両端が、しっかりしなきゃいけないってこと。

間にこれまでいた人たちは、面倒ごとを代行するだけじゃだめだし、ましてや面倒ごとを増やすようじゃ目も当てられない。安売りしてなんとかおこぼれにあずかろうというのも未来がない。直結の危うさを支えたり、直結だけじゃもたらせない価値を足したり、あるいはあらたな直結の主人公になるしかないように思う。鎖を見て、縛るものとみる人と、つながるものとみる人がいるような、そんな感じ。

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