見出し画像

「努力は夢中に勝てない」という呪詛

突然だけど、「努力は夢中に勝てない」という”名言”が、好きじゃない。誰が言い出しっぺなのかわからないけど、言わんとしていることは、『つらいことを積み重ねるより、楽しめることをやろう』とか、そういうニュアンスなんだろうなあと思う。合ってると思う。真理だと思う。でも自分が最初にこの言葉を聞いたとき、呪いのように聞こえたのをいまだに覚えている。

本来、これは多くの人にとっての救いになる意図で言われた言葉なんだと思う。「我慢しなくても楽しんでればうまくいくよ」的な、そういうたぐいの救い。でも、世の中には「楽しめることを見つけることに苦しんでいる人」が大勢いる。自分もそうだった。夢中になれることがなんだかわからないという苦しみ。これは、「あなたは努力が下手」と言われるより、「あなたは好きなことがない人」と言われるほうが人格に深く突き刺さる攻撃になるように、根深いものだ。努力も苦手で、好きなことも見つかってないとしたら、どうしろというんだろうと。当時、「自分が夢中になれることをすでに見つけられた」同級生たちに対してすさまじいコンプレックスを抱いていた自分にとって、「夢中側」にすでに加入できている「夢中組」から発せられたように聞こえたこの呪詛の言葉は、なんて残酷なんだろうって思ったわけです。

この動画を見て納得したことがある。

「好きなこと」「自分を幸せにすること」を自覚するってことは、全然当たり前のことじゃないし、少なくとも日本の教育はそこらへんをすっ飛ばして「自己責任」に押し込んでいるんじゃないかってことです。教育論の詳しいとこはしらんけど、言いたいのは「夢中になれることを自分で自覚する」ことは当たり前でもなんでもないし、だから「努力は夢中に勝てない」という言葉が救いにならない人はたくさんいるんだと思うということ。

個人的に正しくは、

「夢中になれることを探す努力を忘れずに」

まずはここからだと思うっていう、心のメモでした。

===

「どうやったら自分の好きを守り育てられるか」の本、発売中です。


サポートありがとうございます! 今後の記事への要望や「こんなの書いて!」などあればコメント欄で教えていただけると幸いです!