インドでヨガと瞑想することにした

突然だけど、インドに行くことにして今はインドにいる。一応それなりの理由があって(と自分では思う)

今の自分の位置整理

まずこの一年くらいでかなりの気づきがあったので、少し整理したい。

・自分の精神的成長が止まっていたことを自覚した(おそらく幼児期から)

詳しくは以前の「精神的引きこもり…」の記事で書いたとおり、自分は周りの愛情を受け取れぬまま生きてきた感があり、精神的に幼い。こういうのを愛着障害というのか(?)。幼児期に愛情を受け取らなかったゆえか、「甘え」や「承認欲求」がかなり強いことを自覚した。
以前は自分が幼稚という認識もなく、なんとなく生きづらいな、発達障害か何かかな、と思っていた。

・自分が色々なことからずっと逃げて過ごしていたことを自覚した

自分は何に挑戦しても中途半端だった。それは単なる飽き性だと思っていたが、本当の理由は、親との癒着ゆえ、甘えが強くあったからだと思う。だからこれまで、自分で一生懸命やって、できるようになったことがあまりなかった。ほっておけば親がなんでもやってくれたので、自分で完遂しようという思考回路がなかった。やればできるんだ、といくら意識上で思っていても、無意識下では真逆の見解。
あとは、本気になってもできなかった時に自分のプライドが傷つく、というのもあったような気がする。
仕事に関しても、同じような日々の繰り返しで退屈と思ったり、ここでは自分は活かされずただの足手まといになっている、と感じたりしていた。他に向いている仕事があるのでは?と思ったりして、ずっと本気になれなかった。これももしかしたら、上記と同じ理由で"逃げ"だったかもしれない。

・今まで自分で選んだと思っていた道は、本当に自分で選んでいただろうか

これまでの自分を振り返ると、高校は何も考えずに親が希望していた高校へ行った。高校卒業後はものづくりやデザイン系の学校に進みたかったが、親にかなり反対され、結局別方面に進学した。進学で親元を離れて上京したことによる後ろめたさからか、就職活動では親の望むところを受け、合格してしまったために地元で就職した。
振り返ると私は確固たる「自分の意志」というものがなく、結局親の悲しむ顔を見ていたくなくて親の望むような道を生きてきた気がする。
前までの自分は、もちろん、自分の人生は自分で決めてきたつもりでいた。けれどこうして列挙して結果を考えてみると、だいたい親の望みに沿っている。
むしろ反抗的だったと自分では思っていたのに、それは飽くまで表向きのことで、蓋を開けたらかなり従順だったようだ。

・現時点

以上をまとめると、親との愛着の問題ゆえに、精神的に幼く、甘えや承認欲求が強い自分は、自分に責任を持つこと、自分の意思で自分の望む通り生きることをしてこなかった。それゆえ、何事も中途半端になってしまっていた。
今の自分は、これらのことを自覚できただけで、まだ実際には親離れもできていない、未熟者。
これからのことを考えると、まずは自分の望みや好きなことを知って、仕事を見直したい。自分がだれかの役に立ててることを実感できて、人に与えることで幸せを感じられるようになりたい。そして、他人軸でなく自分軸で生きたい。過度に甘えず、自分で自分を律することができるようになりたい。

そこで、インドに行くことにした

そこで、からが唐突すぎるという自覚はあるけれども。
何よりもまずは「親から離れること」が重要だと思った。私は今、親と同居しているが、これではどうしても親の反応が目に入ってしまい、また親の影響を受けてしまう。
以前インドのハンピという町を訪れた時、夕焼けの岩山を背に、見渡す限りオレンジ色の風景の中で瞑想している人を見たことが強く印象に残っていた。そのとき、インドには長期で瞑想できるアシュラムという施設が各地にあると知り、いつか自分もそこで瞑想をしたいとずっと思っていた。そしてインドといえばヨガ。ヨガは姿勢がよくなって、自律神経が整うと聞いたことがある。
今回、自己分析が進んできた自分は、親から離れて自分を見つめ直すため、体調も整えるため、インドでヨガと瞑想をすることにした。

父の涙

思い立ったが吉日と、スカイスキャナーで調べると2日後のインド行き航空券が2万1千円と安かったので予約して、父に明後日からインドに行くと言った。自分は海外旅行が好きで、今までも一人で何度も海外へ行っていたので、この後の父の反応は少し予想外だった。
言ってからは2人で暫く普通にテレビを見ていた。そして少し経ったあと、「そっかー海外行っちゃうのか。お父さん泣いちゃうよ」って。見ると涙目。すごく心が痛くなった。
そして後からふと、「あーあまり覚えてはないけど、今までもこういう感じだったのかもな」と思った。私は親の顔色をすぐ伺って、親の機嫌を損ねないようにやってきたのかもなと。
その理由は、決して「親を喜ばせたい」というような殊勝なものではなくて、ただ自己肯定感の低さから来る「私を見捨てないで」という切羽詰まったもの。だと思う、無意識のことだからよくはわからないけど。
今回もまた、親の涙をしっかり見てしまった。この罪悪感を、綺麗さっぱり無かったことにできるのだろうか。
んーー先が思いやられる。

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