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センスとは調和させる力。美しいヨガインストラクターから学ぶこと。

あるヨガインストラクターから感じるセンス

毎週日曜日は娘を夫に預けてヨガスタジオのレッスンに通っている。
朝から夕方まで様々なインストラクターのレッスンがあるが、予定が合わない時以外は、ある女性インストラクターのレッスンを受けることにしている。

このインストラクターさん、とにかく美しい。
長身で手足がすらっと長く、肌が透き通るように白い。髪の毛もサラッと艶髪で、毎回綺麗だなぁ〜と憧れてしまう。

そんな彼女、ウェアの色選びが群を抜いて洗練されている。

ペールグレー、淡いパープルやエクリュ。
柔らかい絶妙なニュアンスカラーのヨガウェアは、彼女の白い肌を引き立ててより綺麗に見せていて、毎回のことながらセンスの良さを感じさせる。

ただ、彼女のセンスの良さを感じるのは外見だけではない。
レッスンの端々にもそれを感じる。

レッスン中、いまの動きが、身体のどの筋肉に対して影響するのか、言葉の表現が豊かで、分かりやすい。
身体のどの部分に意識をすると、どう伸びるのか、彼女の言葉通りに意識を向けると、今まで伸びなかった筋や関節が伸びることに驚きを感じることも少なくない。
欲しいタイミングで欲しいアドバイスをくれる。
なんで分かるのだろう?と不思議でならない。

また、1時間のレッスンが終わった後、シャヴァーサナといって目を閉じて仰向けに寝て、身体を休める時間がある。
終わりの時間を知らせるベルを彼女が鳴らすのだが、その音色や音量が、ちょうど良い。
意識が薄れた中で、微かに鳴らされる鐘の音によって少しずつ現実世界へ誘われていくのが、心地よい。
(以前、別のインストラクターさんのレッスンに参加した時、いきなり鋭い鐘の音を鳴らされて、あれには閉口した。)

レッスンの端々で、タイミングや声・音の強弱をぴったりと合わせてくる。
ここにも彼女のセンスの良さを感じる。

センスとは「調和」をとること?

「センスが良い」と言うと一般的には外見のことを指すことが多いけれど、それはファッションに限ったことではないと思う。
コミュニケーションにもセンスの有る無しは感じるし、手先の器用さにもある。

彼女を観察していると、センスというものは
「調和をとる」ということなのかな、と思う。

自分の肌と「調和する」色彩を選ぶ能力
受講者のリズムと「調和させた」声かけのタイミングを計る能力
その日の天候に「調和させた」ヨガプログラムをつくる能力

調和がとられているところににセンスが宿るのではないか?そんな風に彼女を見ていて思う。

もしそうであるなら、どうやってものごとの調和をとっていけば良いのだろう?

調和を生むためには想像力が必要。


彼女を見ていて個人的に感じることなのだけれど、おそらく、ものすごく想像力が豊かな人なのではないか、と感じることが多い。


他者から見て自分がどう映るのか、客観的に想像力を膨らませないと、あんなに自分の肌の色に合う絶妙なカラーは選べない。

また、受講者の立場に立って想像していないと、あんなに豊かな表現力だったりやタイミングの計り方は身につかないと思う。

想像力はどれだけ考え、トライアンドエラーしたかによって鍛えられる

では、そんな想像力、どうしたら身につくのだろう…?と考えてみた。(終わりのない思考のループにはいってしまった気がします。笑)

このインストラクターさん、筋肉や関節の構造、アロマオイルや歳時期についてなど、知識の幅が広い。
決してひけらかすわけではないが、レッスンの端々で挟まれる小話がとても面白く、興味をそそられる。
たくさん勉強されていることが窺い知れるのだ。

日々、たくさん考えること、新しい知識を吸収すること。
そしてそれを机上の空論とせず、実際にやってみてトライアンドエラーを繰り返すこと。

地味だけれど、この回数を増やした人こそ、想像力が豊かになり、そこに初めてセンスというものが宿るのかもしれない。

ファッションでも、仕事でも、家事でも。
じぶんがこれだ、と思うものに一定期間コミットしてみる。徹底的に考えて、実際に再現してみる。そんな毎日の繰り返しが積み重なっていった先に、センスというものが磨かれていくのかもしれない。

彼女の華やかな美しさや抜群なセンスの裏側に、そんな地味な日々の積み重ねを感じたのでありました。

それでは、仕事行ってきます。
良い一日を。




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