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人間観察

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そこかしこですれちがう人たちへ捧げるまでもない物語
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もがく若手、思い出すわたし

街で、例えば習い事やジム、もしくは私の場合大概が飲み屋になるけれど、居合わせた人と話す行為はコミュニケーションの調整力を上げることにつながると思う。初めての人に対する様子見と距離の取り方、親しくなるタイミング、相手の意表をつく返しに瞬時に対応する力。 それに、仕事で少し行き詰まっていたとしても、会話の中からちょっとしたヒントをもらえたり、職場では出てこない話題で盛り上がることがリセットにつながったりする。日々を乗り越えるツールやシーンの選択肢がいくつかあること=会える人のバリ

人生に何を乗せていこうか

件のお姉さん、人生における他人を介する経験を自分の中に落とし込めず、共感や想像という力が一般的なラインよりも相当低いんだろう。 例えば映画。 大きなスクリーンに広がるストーリーは、自分が過去に通過した感情を追体験することもあれば、物理的に不可能な移動を軽々と行う主人公たちに自分を乗せて旅をすることもある。 この映画がよかった、そうでもなかった、という感想は映画と自分の感情や体感とを一度は結びつけることを経て出てくるものだと思う。 そして私たちは他人の人生を生きることはできな

わたしたちが生き残るためには

脇に抱えているがご自分の体の幅からだいぶはみ出たバッグ(硬い革もしくは本体がナイロンなのに革のトリミングがなされている率が高く角はかなり鋭利)、ぱんぱんに詰まった背中のリュック(ヨーロッパ1ヶ月の旅でもそんな量の荷物はいらなかった)が、通勤電車内でよくある不可抗力で当たられたり引っ張られたりすると結構な形相できっとなる人々は、空間把握能力がないか空間占有意識が強いかのどちらかである。 そこで問題になってくるのが、どちらが私たちの敵かということだ。 戦闘態勢になって身を潜めて

ノームとアイスランド

EURO2016でアイスランドがまさかの健闘をみせている。もうすぐフランスとの準々決勝が始まるので、その健闘は今日で終わってしまうのかもしれないが、とにかく準々決勝進出である。つまり決勝トーナメントに出場して、さらにそこで1勝をあげている。(その勝ち星をあげた相手がイングランドだったというのはイングランドのこういう大会での勝負弱さやホジソンの問題などいろんな方向へ話が拡散霧散するので今回はスルー) EUROをみていて毎回必ず思うのは、やはり大陸なのでこの広大な土地にはさまざ

なぜそうなったのかに考えを巡らせる

そこまで超満員ではない朝の新宿線で、御年80くらいの小さな老夫婦と50代とおぼしきその娘という3人がドアと座席の間くらいに立っていた。 小川町で座席の前のつり革がだいぶ空いたので、私は彼らを越えてつり革エリアに移動した。 神保町で私のななめ前の座席の大学生っぽい女の子が降り、彼女の前に立っていたスーツ姿の男性が網棚から重そうなブリーフケースをおろして座席に座った。と思ったら条件反射のように急に立ち上がった。 たぶん今まで背を向けて立っていたので、座って向きを変えた途端に老夫