読書レビュー:経済「これからの時代を生きるあなたへ」

上野先生による今年の本。NHKによる著名人を呼ぶ一度きりの講義記録です。


第三者評価基準

残念なことに家事育児介護は、現在でも家庭内の女性に一方的に課される労働です。ただ、昔はケア労働は労働と見做されず、入籍した嫁は義父母のケアや親戚児童のケアが当然のように課されていました。

ドラマ「逃げ恥」を覚えている方もいるでしょう。
主人公のみくりに依頼していた家事代行の支払いが困難になった平匡は、みくりに結婚しよう(=家事の給料を支払わなくて良い)という「解決策」を提案し、みくりは「愛情の搾取です」とズバリと切り返したシーンが有名です。

逃げ恥が表すように、家庭に入ると家事という労働が透明化されてしまいます。特定の活動が労働かどうかは、第三者評価基準を使って簡単に定義できます。

<第三者評価基準>
ある行為が労働かどうかを定義する際に利用する基準。
例)生命維持のために排泄や食事を他人に代わってもらうことはできないが、家事や育児介護は他人に代替可能。

つまり、第三者に移転可能な活動は労働になり、家事は労働です。しかしながら、家事は市場の外にあって対価が支払われない無償労働・不払い労働でもあります。

アダム・スミスやマルクスによる経済論は、市場の外にある大きな労働市場を見落としていたのです。

Like a Single論

過去の経済学者が見落としていた、企業活動から外れたところに企業で働く戦士をケアする市場は巨大です。
今までの経済学は、自立した人間による自由な意思決定がなされることが大前提になっています。
それでは、市場に一人前の個人として登場する男性戦士は、自立しているのでしょうか?

Like a singleとは、「あたかもひとりもののように」、という意味です。

<Like a single>
家族も子供も、家事育児介護の負担を何も背負ってないかのように振る舞えるのが多くの男性です。
家庭責任を背負っている労働者たち(多くの場合女性)は、職場の昼休みに家事の段取りについて考え、家族の急用があれば駆けつけるなど犠牲を強いられてきています。

誰かの労働を透明化し、一人前の労働者として見せてきた経済学は正しいのかは、近年の経済学の研究でも活発です。

ケアの公共化+労働を選択した社会が一番出生率が高い

ケアの市場を軽視しないで公共政策に組み込むとどうなるか。国別の対策を見てみましょう。

ここで鍵になるのは2点。
ケアをアウトソーシングできたか、
賃金差別始め男性のケア労働参加による女性の社会進出できたかです。

1)共働き型+ケア労働の公共化
北欧諸国で採用。国がケアのアウトソーシングを引き受け、公共機関が担っています。その分税金は50%。
2)共働き型+ケア労働の市場化
アメリカ、イギリス、シンガポールや香港など。夫婦がともに働いて、必要なサービスは市場で購入できるモデル。移民の多いナニーやシッターを雇う経済力がある。
3)男性稼ぎ主型+ケアの家族化
イタリア、ギリシャ、スペインなどの南欧と日本、韓国。ケアに対して公助はなく、家族間での自助が求められる。

面白いことに、合計出生率(一人の女声が生涯に何人の子供を生むか)を各国比較してみると、1)>2)>3)の順に高くなります。

つまり、日本が主とする男性稼ぎ主型+ケアの家族化は、人口を増やすための国策としては最適解ではないのです。

勿論先進国では出生率が低くなるのは歴史上当然の摂理です。
しかし若者にとって希望とも言える出生率が低い状態が続く日本は、子育てをしにくい国になっていると言えます。

所感

後半に講義の参加者が上野先生と対話する場面があり、冒頭の話を実体験とともに膨らませる上手な展開になっています。

若者全員に配りたいこちらの本と比較して、本著は講義形式であるので学術的かもしれません。しかし図解を用いた軽快な語り口調の文体のため、女性学や経済に馴染みない方でも簡単に読めると思います。

カテゴリーは介護か福祉か悩みましたが、労働市場と公共政策への記述が面白かったので経済にしました。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?