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教えられたもの、育てられたもの

久しぶりにnoteを開いたら、下書きに保存していた書き散らかしがあった。多分2年くらい前? せっかく世に出かけていたのにかわいそうという気持ちになったので、とりとめがなさすぎるが少しだけ整理を加えて公開してみる。

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自分が避けようと思っていた教育業界に身を置いて、しばらく経ったからだろうか。あるいは、もう子育ての季節を迎えている友人が多くなった環境の変化だろうか。

幼少期に与えられたもの、教育について、考えることがこの頃多くなった。

幼い頃、社会人というものがまだ遠い存在に思えた時分、私が頑なになりたくないと思った職業が三つある。一つは公務員、もう一つは銀行員、そしてもう一つが、教師だった。

まさかそれに近しい世界で生きていくことになろうとは、当時の私は想像だにしなかったのだろう。
旦那に言わせれば私は「教師向き」だそうだが。

当時のなりたくない職業三つ、これを解釈すれば、典型的なバイアスの中で、無知なくせに強烈な自我として、歯車のように働くことはできない、資本主義の矛盾に加担することはできない、そしてきっと、自分の発言一つが誰かの人生に対して影響を及ぼすような人間にはなれない、ということだったのだと思う。
今となれば、その関わり方は多様であり、自身の美学との折り合いや、あるいは必要なこととして学び、当事者になるべきものでもある、とは思えるのだが。

教師にはなりたくないと思っていた自分の過去に旅をすれば、青臭くだから瑞々しい感性の記憶を、割とよく覚えていて、可愛いねと思うと同時に幼いねとも思う。そしてその相反するどちらの気持ちも、間違っているとか拙いとかで片付けるのではなく、抱えた上で、次に行く道を今の私は探しているのだと思う。

敬遠していた職業の敬称、「先生」と呼ばれる機会を得たこと。そしてかつて自分が「先生」と呼んでいた人の存在に、「人間」として出会っていると思うとき。かけられた言葉や風景が色鮮やかに蘇りつつも、今の自分によって再構築されている実感を僅かにおぼえる。

それはほんの少し、ほんの少しだけ、「母」との今の向き合い方にも似ている気がする。自分の今の歳と、母のかつての歳を比べながら、母は得たものもあるが失ったものもあると無性に合点がいくときがある。また、私自身も、母にないものを獲得しながら、しかし、足りえないものがあると知るときがある。

母が私を育てる過程で読ませた作家のひとりに、松谷みよ子という人がいる。
『ふたりのイーダ』や『私のアンネ・フランク』等、原爆やアウシュヴィッツを扱った児童文学をすぐに思い出すことができるが、彼女はほかに、日本の民話や昔話の編集を行っており、我が家には松谷みよ子編集の日本昔話シリーズが、朗読を録音したカセットテープ一式とセットで書斎に鎮座していたのだ。

さらに松谷みよ子関連で読んだ作品の一つ、『龍の子太郎』。

あれ、龍の子太郎のお母さんの罪の話じゃないよね、共同体の貧しさの話だよね、と思えるのは恐らく歳を重ねた今だからなのだろう。イワナ三匹くらい、妊婦でしょう、食べさせてあげればいいじゃん、と言えなかった時代、環境。私たちの辛苦は、いつも、時代とその周りにいる他者との間にある。

民話や昔話、おとぎ話は、人間が生きる上で出会うだろう様々なことの示唆や含蓄だらけだなとやっぱり身に染みてこの頃思う。おとぎ話を子どもに聴かせながら、学び直しをしているのは大人の方なのか?

松谷みよ子の日本昔話シリーズは、それを購入した母により当たり前のように我が家にあり、あまりに当たり前だから、その扱いはぞんざいだった。

いつか忘れ去られる。それが特別なものと思っていないから。そして、確かめたいときにはもう捨てられている。見向きもされなかったから。けれど意図せず、つながっている。多分、そういうもの。

図らず人生の波に乗っていたら、そういうことを生業にする現場にきてしまったので、少しの諦めとともにこれを受け入れていこうとも思う。この先の流れもわからんけど。

とっぴんぱらりのぷう。

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