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結局のところコーチングとスピリチュアルはお友達なんですか?

コーチングとスピリチュアルの関係。自分で切り出しておいて取り扱いの難しいテーマがこれですね!コーチングしている人の中でも、スピリチュアルを好きな人と苦手な人とが流派を横断してかなり混在していると思います。そしてクライアント側も同時にかなり混在してると思います。

先に自分の立場を明らかにすると、私は実は結構スピリチュアル苦手よりです。これは幼少期に毎日オウム真理教のニュースを見ていたというのはかなり影響していると思われます。

とはいえですが毎年初詣もするし、おみくじも引くし、墓参りもするし、結婚式は神前式だったし、実は生活の中で伝統的なスピリチュアルは普通に取り入れている自分もいます。

そんな矛盾だらけの自分でもありますが、今回はコーチングとスピリチュアルの関係を少し遠回りしながら紐解いてみます。


根幹的なスピリチュアル、「神話の物語」はどんな民族も持っている

すごく回りくどい話の入り方ですが・・・世界中にはいろんな民族がいますが、どの民族もそれぞれの神話を持っていますよね。

ゼウスが世界を創出しヘラクレスが活躍するギリシャ神話。オーディンが戦士たちを鍛えあげる北欧神話。キリスト教などの一神教も古代中東世界のスピリチュアルな世界観から生まれています。

そして何より、日本の神話は「古事記」と「日本書紀」によってオーソライズされました。現実的な統治機関である朝廷が、神話の力によって人々のアイデンティティと結びついたんですね。

こうしてみると、神話というスピリチュアルは、人間の歴史と同時に世界に現れ、「私たちはなぜ存在するのか」という根幹的な部分に対する答えを提供してきました。私たちは今でもそれを日常生活の現実的な問題(例えば冠婚葬祭)と統合したり、あるいは新年の祝いやお盆といったお祭りのようなもので楽しみながらお付き合いしているんですね。

「論証不可能」な領域に気付いた哲学者たち

さて中世の西洋世界ではそんなスピリチュアルの一つであるキリスト教の権力が非常に高まり、学問や思想がスピリチュアルに抑圧された時代がしばらく続きます。それに対するカウンター的にもルネッサンスが起こり、様々な軋轢の中で徐々に理性・・・人間の思考というものが改めて非常に重視されるようになっていきます。

神というスピリチュアルな存在の影響力がいったい現実にどこまで適用されるべきなのか、その線引きを巡って当時の伝統的神学と先鋭的哲学は数百年、緊張感のある論争を繰り返すことになります。

そんな中で18世紀に現れたのがカントという哲学者です。彼の主張の一つをザクっと要約すると、「自由意志や神が存在するかしないかは論理的に論証不可能」ということです。なぜなら、「人間というOSが生まれながら持っている認知能力を超えることは不可能だから」ということです。(このスタンスをコペルニクス的転回と言うんですね。)

自由意志があるのかないのか、神様がいるかいないか、そんなの知らねーよ!だって人間だもの。」身も蓋もないですが、こういう話ですね。

次に20世紀にヴィトゲンシュタインという哲学者が現れます。この人は思考と理性を極めて、分析哲学という手法で「数理的に世界を表現」しようとしました。ところが、その論文を書きながら第一次世界大戦にオーストリア兵として従事していたのですが、ある時にロシア軍に包囲されて命からがら脱出するという体験をすることになります。

その極限の体験から彼は思考による論理の世界の限界に気付き、そうではない倫理の世界、人の心の領域が広がっていることに気付きます。そしてその論文—「論理哲学論考」は、凡人からすると奇妙な論理式の羅列の後に、次の言葉で締めくくられることになりました。

語りえぬものについては沈黙せねばならない。

このように、スピリチュアルなものへの距離感というのは、人間の歴史上もアンビバレントな気持ちを持ちつつ行ったり来たりをしているんですね。

「人生の意味づけ」は神話の創出に近しい

さてここまで歴史や哲学の文脈から遠回りをしてきましたが、言いたいことは、「そもそもコーチングとか言う以前に人間とスピリチュアルは歴史的お友達である」ということです。

そして時に私たちは「人生の意味づけ」を必要とします。なぜ私は生まれたのか。なぜ今ここに存在するのか。何の役割や仕事を担うことが使命なのか。そういったものごとはカント風に言えば「論理的に論証不可能」な類のことであり、ヴィトゲンシュタイン風に言えば「語りえぬもの」ということです

調子のいい時はそもそも気にしなくても問題がないですが、苦しい時や逆境でふんばるとき、またどこに進めばいいのか分からないときなどは、「人生の意味づけ」を現実的に必要とすることもあります。自分自身についての神話を自分で創出するプロセスです。

コーチングについても取り扱っている問題が現実的なビジネスに寄っている際は、そういった領域に入らないことも多いのではないかと思います。一方、自分の人生そのものについてがテーマになるときは、そもそも問いの立て方からして最初から神話や物語の領域に踏み込んでいる、ということができるかもしれません。

危険なスピリチュアルの見分け方

とはいえ、明らかにスピリチュアルを悪用しているような事例も存在します。そういったものは理性的に努めて遠ざけたいものですね。

  • あなたの考え方を否定し、特定の考え方を持つように強要している。その材料として恐怖心を煽ったり、あるいは誘惑する言葉や行為が用いられる。

  • 現実的に存在する物事、科学的な物事の捉え方に対して極端に否定的である。

私たちはそれなりに物語の世界を生きている一方で、現実の物質的な世界にも生きています。物語や感情のような定性的なものを大切にしながら、科学や事実など定量的なものも同様に大切にすることができます。

要は何事も中庸が大事ですね!


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