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教育に焦点を―教師は生身の人間でいられるか

2023/6/1(木):教育に焦点を⑦

はじめに


 今日は中学校教師、教育委員会勤務、小学校長などを経験し、教師の研修にも尽力した伊藤功一から学んでいきたい。伊藤の研究は教育の中でも特に教育現場における研修についてなされたものである。

 伊藤は授業を問い直すための教育研究を通じて、教師のある感想に興味をもち、一つの結論に至る。以下のようなものである。

伊藤の気付きと教師の姿

ある教師はこの授業の感想として、「教育内容を深く追求してみることの大切さ」を知り、「自分自身が教材に興味を感じ始めた時に、教室で授業がなぜか待ち遠しいものに思われた」というものである。伊藤にとってこの教師の変化は、「授業を意識しない、学問的追求のたのしさを感じ、そのことから、子どもたちへの授業の動機が生まれ、こんなことを考えさせたい、伝えてやりたいという意欲につながっていく」ことを教えてくれるものであった。
 教師は、子どもという〈他者との出会い〉によって〈自己との出会い〉そして、「教材研究」としてではなく「学問的探究」として、自らを取り巻く〈世界との出会い〉を経験する。教科書のなかの世界とのみ向き合うのではなく、一人の人間として、自分自身として世界とかかわり、その感動を胸に子どもという〈他者との出会い〉の場に再び帰って来る。そこから子どもたちの真剣な思考が生み出されていく。

「時代を拓いた教師たちⅡ」 田中耕治:編著 P194~

 この気づきは教師そのものが「学び手」としての喜びを身をもって感じていること、全身で伸びることを共有できてこそ、生きた学びの場・教室だということなのではないだろうか。

教師こそ学びの楽しさを

 教師は日々の「学びを与える」ということに慣れてしまい、勉強以外の仕事に追われる毎日のなかで、自身が学ぶということがおざなりになってしまう現状があるのではないかと思います。
 教師を「教師」という生き物ではなく「生身の変わりゆく悩める人間である」という教師自身の生物としての見方の変化を、教師自身が受け入れ変革していくことの大切さを説いているのではないでしょうか。
 自身の変化・成長を喜びながら授業を展開し、子どもたちに対峙する教師は子どもにとって「同志」となり、「生き生きと学ぶ大人」としての身近なモデルとして子どもたちの目に魅力的に映るだろう。

 では、この「子どもにとって魅力的な教師」を育てるためには、どのような教師の学びの形が適しているのだろうか。
 伊藤は校内研修について研究をすすめ、研修で大切なことをまとめ提言としている。
 以下、具体的に見ていこう。

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