何故人類はエンタメを加速させたか

またこんな仰々しいタイトル……
こういう記事ばっかり書いちゃってぇ……、変な人だと思われちゃってぇ…

前置き

私は歴史が好きです、人類全体という種が一歩一歩何か積み上げてるライブ感が好きだからです

そして歴史を見ているとその時代の全体的な流行りと局所的な流行りを見る事が出来ます

まず、封建主義や王と貴族の時代が始まったのは遡れば稲や麦などの一年草穀物の存在による民族の定着や文化文明の発展度合いに家畜に適した動物が必要だったという地理の条件があった訳です
人類はインターネットが発生するまで間違いなく土地の奴隷でした、王貴族の高貴な身分と言われた人から、下の農奴小作農まで、全て土地の奴隷だった訳です

第一の流行り ~土地の拡大~

人類が土地に定住した事によって起こった流行り
それが他者の土地の奪い合い、古代において土地とはつまり国力です、例外はありません、土地が少ない国と土地が大きい国では土地が大きい国が基本的には勝ちます

技術が発展していない文化文明は、効率や生産性の数値にボーナスがありません、なので人口を増やすには土地を増やす必要がある、人口とはつまりマンパワー、労働力、軍隊の力に直結します、但し。
土地をただ拡大すると簒奪した土地住民の反乱リスクもあるので、拡大路線と言うのが必ずしも正解では無かったというのは古代ギリシャの都市国家が証明しています、そしてこの条件を持ったギリシャの都市国家と中華の春秋が第二の流行りに繋がります

第二の流行り ~学問の探求~

中華はちょっと複雑なので、簡潔に説明できるギリシャの都市国家を例に挙げます
この辺りで代表的なのはスパルタ、アテナイ、テーバイ、マケドニア があげられると思います
これらの国は土地を増やす流行りにも勿論乗っていましたが、元々ギリシャの土地自体は山岳も多くギリシャ圏内を支配したとて、増やせる農地にも限りがあり、対外への領地拡大も反乱を考えると維持が難しい

そんな状況で第二の流行りが生まれます、学問研究と哲学の追求です、つまり土地を広げる事=国力という図式が 土地×研究レベル=国力になったという事です、学問はあらゆる基礎を調べ、工学にもつながる、工学は土木建築の効率と戦時攻城、防衛で役に立ちます。
さらに国家に属する個々の人員の知恵レベルが上昇すれば、軍隊は統率力を強固に持ち、半包囲や偽装撤退の成功確率を上げます

結果的にギリシャは山岳という防衛に恵まれた土地と合わせて防衛戦に置いて地中海でトップレベルになりました

春秋はちょっと別なんですが、あそこは人口も土地もでかいので戦術レベルというより、国家体制の在り方と組織運営の効率化と策謀に関する学問が育たんだと思います(適当) 
何はともあれ組織は教育レベルを上げていく事で国を強くしていく流行りを作っていき、その、第二の流行りがもたらした集大成が
アレキサンドロス大王の東征 につながったと思っています、そしてそんな隣国を見て、急速に第三の流行りをもたらす国家が生まれます

第三の流行りご存じ!ローマ! ~王道~

これ本題いつ見れるの?って場合は↑の見出し欄で最後に飛べるのでそこからよろしくお願いします、ちょっと長いかもしれません

大体ローマの基礎と中華の基礎がつくられるのが同時代なのがロマンを感じますよね

とにかく第二の流行りでは学問が流行った、組織論やら軍事学やら法治やら人類の全体的なレベルが上がったわけです、それを指くわえて見ていた奴等がいました、それがローマ

そんなギリシャから流れて来る情報を研究しつつ、蛮族に怯えながらローマは考えた

「研究レベル上げながら土地を拡大し続ければ最強じゃん」

つまり第一の流行りは土地拡大で反乱された時の効率の良い対処が出来なかった、第二の流行りは学問で人身掌握やどうすれば組織を維持する事が出来るか等の基礎が身に着いた
第三の流行りは、第二の流行りを踏襲しつつ、第一の流行りを遂行すれば盤石である、という1+2=3になった訳であります

大事な事は研究をする時間があったが故に、飛躍の時が来たという事実で
これは個人においても一緒です、下積みがあって、飛躍の時が来るというのいはマクロもミクロも本質は変わりません

ローマは拡大しました、拡大した先に学問を取り入れ、迎合した人達には最低限人権を確保させつつ、敗者側の奴隷を労働力として取り込み、国力を増強させ、エリートを優遇し、職人を育て土木建築で移動と兵站を整備し、拡大させる

第三の流行りは近代国家に至るまでの組織の基礎を構築しました、
第三の流行りの極地はローマ帝国、つまり帝政の発生です、今後も人類は拡大路線を広げていく……

第四の流行り 組織の分裂 ~大樹枯れて枝葉登る~

なんだこのサブタイトル!!
さて、拡大路線には限界がありました、当時の技術には航空機も通信機も無いので、拡大すればするほど、組織としての無理が発生する、端的に言えば当時の限界な訳です

そんな限界に直面すると俺らも優遇しろ!こっちも! こっちの事も見ろ!という小さな権力を持った我儘な人たち が発生し、彼らが分裂を始めた
これによって帝国は沈み、小さな国家が発生、つまるところ封建制になり、王が生まれたと、今でいうなら中小企業の基礎みたいなものですね、契約に応じて生活の保障はしてやるから、代わりに王がやばかった時助けろ、上納金はよろしく! みたいな

中間の余談

これエンタメ関係無くない?そうですね、今の所エンタメのえの字も出てこないですね……
何故エンタメが発生したかの原因を探る為に書いているので
最初はそれ位エンタメが軽視されてたという事ですね、ローマでパンとサーカスと言われたりで、娯楽は組織を安定させる為に重要である、という本質に迫っていた事位は記載して良かったかもしれない、でもローマのエンタメってコロシアムとかなんか野蛮な事やってるんですよ、あ、今も変わんないか喧嘩が見世物になるのは変わらないし

とりあえず、エンタメは第四の流行りまでの間、真面目に研究される事は無かった事は事実です、何故なら戦争が無関係者にとって最大のエンタメだったからです、人類は土地の拡大と興奮の二つを戦争によって同時に摂取していた事は確かです、しかしエンタメが今のように加速している段階ではない

第五の流行り ~邪道から王道~

ローマ帝国や中華が元にぶっ壊されて人類は安定した組織というものが存在しなくなりました、封建的になったり教育を失って暗黒時代になったり
不安定だなーってなると為政者は安定を求めます、結果権威に縋らせたくなる訳です、でも戦乱の中で失った教育レベルを取り戻す事は非常に難しい

そんなこんなで色んな組織哲学や教育レベル、土木技術等色々停滞すると、拡大路線に入る事は難しくなり、損失が大きくなる、群雄割拠してた人達もこれには参った、拡大すると損なら現状維持がいいじゃん!
そういう時代に入ったので一つの運動が始まったルネサンス

ルネサンスとは再生や復活という意味です
つまり王道が自分にとって詰まらないのでちょっと我儘な面だして邪道に走ってたら大して良いものにもならないし文明を停滞させすぎた事に気づいたわけです

これは若いアートを語る人達も走る道だと思います、結局王道に向かってても注目されないし、俺よりすごい奴がいて誰も褒めてくれねぇから新規開拓してやるという気概によく似ていますね、結果ダメだと気づいて王道をもっかい学び直すみたいな

でもこれは個性(国の特性)を獲得するために重要な流れな訳です

第六の流行り ~邪道と王道の融合による進化~

群雄割拠してた無学で元気な組織も、過去の例を学び直して強固な組織を作ろうという意思を持ちました、封建ではなく国民国家として

群雄割拠してた弱い組織が強い組織に飲み込まれ、再編成された事で生じた新しい組織は結果的に国ごとの特色と、その特色に応じた文化が形成される下地を再構成する事にしたわけです、アートの~~派が出来たり、日本では浮世絵の文化や芸が出来た、拡大路線の帝国から生まれるエリートが楽しむ王道のエンタメではなく、大衆が見る事の出来る邪道と王道を組み合わせたアートとエンタメ、それが発生するようになったわけです
そしてこの邪道と王道を混ぜたエンタメは流血を伴わないエンタメとして確立されたのであり、権威付けや組織の安定にも役立つなんとも便利なものとして生まれたのです、急速に拡大したエンタメの基礎はここが始まりでした

第七の流行り ~総力戦~

さて、第六の時代を経て国は急速に進化しました
学問を持つことの重要性、基礎技術を上げる事の重要性、組織力を上げる為にはどうすれば良いか、あらゆる組織は 第二の流行りで発生したものをアップデートし、より強力な組織を構築しました、その時代には電気があり鉄道も出来てしまった、エンタメも発展し、メディアという最新情報を楽しむエンタメも出来ました、識字率もバク上がりしており、小説(仮想の物語)を楽しむ基礎も出来上がった、人はエンタメを楽しむ土壌を形成しました

同時に、第三の流行りへの回帰も発生しました、つまり帝国主義
結局のところ人類はまだ土地を広げる=国力 という原理にも縛られていたわけです、軍隊はあらゆる有能な人材を獲得し、着実に本領を発揮する場を求めていたわけです、むしろこの第七の流行りまで、人類は戦争こそメインのエンタメとして享受していたわけです、であるから 軍人はその時代で最大のエンターテイナーとして活躍できる地位だった

チャーチルの言葉 「戦争から煌めきと魔術的な美が消えた」

これは実際もうちょっと長い文章になっていて、国民がもっと死ぬようになるとか色々悲観的な言葉な訳ですが、人類は今まで戦争をエンタメとしていたという事の裏付けになる言葉と言えます

皆第一次世界大戦を迎えるまで、軍人こそ世界の主人公であり、有名になれるtiktokのような場所だという簡単な認識を持っていたわけです
死ぬ事への恐怖心は今と一緒だったでしょう、しかし閉塞的な組織の中で一番チャンスや興奮に巡り合う場所が軍だったという事も、古代の時代からの事実だった、なので戦争=エンタメが成立していました

第一次世界大戦が来るまでは

結果的に言うと人類は戦争に向けて進化していたのです、相手をどう殺すか、相手をどう負かすかという事に対し、より優れた思想をもった職業軍人や組織の人が遺伝子的に強く勝ち残って来たのです、平和を愛する遺伝子なんてのはもう淘汰されまくってた訳で、人類は戦争オタクとして近代では完成されてしまっていた、次の戦争が来ねぇと活躍の場所が無いなぁ~
なんて考えがWW1の引き金の軽さに繋がる訳です

そして人類の集大成のぶつかり合いに、人々はドン引きしたわけです

マシンガンや砲爆撃は戦場のロマンを一瞬で消しました、ばらまけば死にます、戦術が巧くはまり、近接戦闘で包囲されて劇的な死を迎えるなんてことはありません
包囲されれば食料とタマが無くなり、遠方から大砲を向けられ、知らない土地で病気にかかってただただダサく死んでいく訳です、包囲されなくても塹壕の中でモグラのように死ぬか地表の上でバラバラになるか
遺体すら残さない凄惨さにエンタメは最早ありません、あるとしたら兵器造形の機能美を楽しむ気持ち位でしょう

結果的に多くが死にました、この戦いにドン引きしながらも、それでも拡大路線とシステム化された戦争を手放せなかった野蛮な人類は1960年まで至ってようやく一つの事を悟るのです

「戦争って割に合わなくね?」

何故気づいたかと言うと急速に軍人遺伝子が消費されて淘汰されたからです
戦争の為に構築されてきたその人種は前線で死んだか、もしくは絞首刑になってほぼ絶滅しました(一部は大陸に生き残ってますが)

これにより、拡大路線を求める遺伝子が少なくなった、そしてこの中で生き残ったのはエンタメを楽しむ遺伝子だった訳です、エンタメの下地を作ったのは過去の歴史の中の平和な時代を生きる人達でした、その人たちの遺伝子は今まで表舞台に立たなかった、それまでの間は軍人こそ表舞台に立つ遺伝子で尊敬され、より繁栄していたので目立たなかったという事です

ではなぜそのエンタメを楽しむ遺伝子が生き残ったかと言えば、メディアが関係していると思います、戦争は民衆の協力があって初めて安定するものであり、その民衆を安定させる為には定期的なエンタメの供給や思想教育を必要とします、その思想教育の面で、現代に繋がるメディアと、それに紐づくエンタメは都合が良かった
映画、ポスター、コミック、アニメ等が具体例として挙げられます

かのディズニーも、プロパガンダアニメを作っていた事がこれの裏付けとなるでしょう、日本映画も動員されずに戦中も映画を国家賛美の映画を撮っていました
つまり民衆を扇動するのに都合が良いエンタメの人員は軽んじられはすれども前線に送られなかった、その為技術×芸術的な下地が破壊される事なく、20世紀に遺伝子を繋ぐ事が出来た訳ですね

第八の流行り ~戦争の終わりとインターネット以前~

エンタメの技術ってのは今までは大きい組織が抱えるマイナージャンル、つまりサブカルだった訳です、宗教画だってパトロンありきで描けたし、銅像や彫像だって国家からの依頼だったり、アニメも相当大きい資産を持ってないと出来ない、映画もそうです、それでも大衆を満足させる、パンとサーカス理論の為に今でいう軍事費みたいな煙たがられる出費として扱われていたのでしょう、そんな中で個々の狂信的な思いによってエンタメは繋がれていきます、映画の完成、漫画の完成、アニメの完成、あらゆる作品が1900年~1980年の間に急速に理論実践を伴い成長していきます、何故この時代に急速に成長出来たかと言えば、ルネサンスから着実に積み上げた研究成果の流用による所が大きいのは間違いなく、膨大な過去の資料と開拓精神の結びつきによって、人類は様々な現代に繋がるエンタメ技術を開発する事が出来た訳だと思います

第九の流行り ~インターネットによる加速~

さて、過去から得た成果を全力でエンタメにぶつけた結果、現代に繋がる技術の基礎が素早く出来ました、人類は進化し続けています、そんな中である技術が発生し、更に進化を加速させます

軍事技術の残り火とも言える技術が民生に下りてきました
それがインターネット

1と0の情報が海底ケーブルを辿って世界をめぐり、世界のあらゆるデータベースに格納された1と0の情報が文字や画像に変換され、全世界の人の目に留まるようになりました、あらゆる人の思想や論を見て、人は更に考えるようになり、脳の皺が増えます、そんな中で生き残ってきたエンタメ遺伝子は、技術と知識の共有化により、手法や論理を開発し続け、加速度が上がり
競争が発生し過熱したという事になります

しかもこのエンタメ遺伝子、余程の事が無いと死なないんです
軍人はある程度死んで方法が淘汰されます、エンタメ人は死なないので、方法が淘汰されません 淘汰されないという事は手法も表現も増え続けてそれの組み合わせも発生し続ける、細胞分裂だけ起こして消滅しない なので軍人遺伝子より急速にとてつもなく発展していく事になるという事です

恐竜と哺乳類の移り変わりのように、軍人からエンタメ人が評価される境目に今生まれているのかもしれないなと思いながらこんな長文を書いてしまった
でもエンタメ人も エンタメの為の手法という名の資源を急速に開拓しているというだけの話で、資源が尽きたらエンタメ人も急速に衰退して、もしかしたら軍人遺伝子が復活するかもしれない、どうなるかは分かりません

しかしエンタメ資源が何時かは枯渇するって事だけは分かります、100年位の過剰はあると思いますが、それが無くなったら人は何に縋るのだろう

結論

1960年以前は軍人遺伝子が王道でエンタメ遺伝子は邪道だった
邪道だが民衆懐柔に役立つので生かされてた
生かされてた間に軍人遺伝子が絶滅寸前になっていて、エンタメ遺伝子が王道になっていた
今後人類はこのエンタメ資源を取り尽くすまで加速するが、急速に脳のエンタメ資源が無くなってチープなものだけが残る可能性は非常に大きいと思う

そんな脳内の混乱をまとめた記事です(誤字とか文章的な違和感は後で読み直して治します)


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