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【第8回】司馬遼太郎 著 『世に棲む日日』(後編)

司馬遼太郎氏による『世に棲む日日』、後編では、全4巻中後半の主人公、高杉晋作を中心に物語を追っていきます。

革命を導いた長州の天才軍事家・高杉晋作

萩城下の藩士として生まれる

高杉晋作は天保10年(1839年)、 長州藩の中級藩士、高杉小忠太の嫡子として萩城下に生まれました。
13歳の時に藩校明倫館に就学し、長州藩剣術師範の内藤作兵衛より柳生新陰流の免許皆伝を受けます。

松下村塾に入門したのは安政4年(1857年)、翌年には文学修行の名目で江戸遊学が許され昌平坂学問所に入学。

師・吉田松陰の死を経て、海軍を志し萩の軍艦教授所に入学しますが、強い船酔いに懲りて船乗りになることは断念するのでした。

攘夷に傾倒する長州

この頃の長州藩では、「水戸を継ぐ者は、わが長州藩たらん」と尊王攘夷に傾倒するムードが高まってきます。

この中で、御家中屈指の人物として期待されていたのが、長井雅楽と周布政之助という二人の長州藩官僚でした。

長井雅楽は日本の内外の情勢を分析し、難局を打破する方策を慎重に練っていた人です。
しかし松下村塾の門人たちにとって、長井雅楽こそ松陰を藩内の獄に投じた張本人。
松陰を幕府から守りたかった長井の思惑は久坂や高杉に通じず、暗殺計画まで画策されます。
彼は広く世界に通商航海して国力を養成し、その上で諸外国と対抗していこうとする「航海遠略策」を唱えましたが、長州藩の藩論が尊王攘夷に転換されると失脚して免職され、文久3年(1863年)に長州藩の藩論を二分した責任を取る形で切腹を命じられています。

周布政之助は高杉のことを「天才」として理解した最大の人物だったと言われます。
長井の航海遠略策に同意しつつも、藩論統一のために攘夷を唱えました。
元治1年(1864年)、高杉とともに長州藩士の暴発を抑えようとするも失敗、その結果起こった禁門の変や第一次長州征伐に際しても事態の収拾に奔走しますが、次第に反対勢力に実権を奪われることになります。

上海へ

文久2(1862)年、高杉は幕府使節の随員として上海へ渡航しました。

この使節の目的は貿易調査でしたが、選ばれた役人は徳川国家の将来の貿易行政を取り仕切る人材とは到底いえない者たちばかり。

高杉のモチベーションも最初は上がらないところでしたが、それでも上海の街を観察するにつけ、「東洋を、洋夷の手からどのように救い出すか」という目的意識を明確化させるに至ります。

帰国後は、当時の日本でもっとも過激な直接攘夷活動…例えばイギリス公使館の焼討ちや夷人への斬り込みといった行動に入るのでした。

御成橋事件

上海から帰国し公使館の焼討ちなど過激な行動に移った高杉は、長州藩でも浮いた存在になってしまいます。

江戸で孤立し始めた高杉は、3年前に刑死していた松陰の遺骨を遺骨を改葬し年忌を執り行うことに。

ただし問題はその方法。騎馬姿で桜田藩邸を出門した彼は、将軍が寛永寺に参拝する時に将軍だけが用いるという「御成橋」を、番士の制止を振り切利ながら、松陰の遺骨を持って渡り切ってしまいます。

この知らせは国許にも届き、高杉は江戸から引き戻されてしまいました。
この後高杉は剃髪して東行と号し、「10年何もせず時勢が変わるのを待つ」と宣言します。

下関事件

しかし文久3年(1863年)、 長州藩は朝命に応える形で外国船を砲撃し攘夷を決行(下関事件)、高杉は藩主敬親に召喚され馬関の防御を一任されます。

この頃の長州は表向きには堅強な攘夷でしたが、伊藤俊輔・井上聞多ら5人をイギリスへ秘密留学させるなど、独自に開国に向けた研究を進めていました。
高杉の発案により奇兵隊が創設される一方、大村益次郎が長州藩諸隊を洋式軍制に改革するなど、長州藩の軍備は拡張していくのです。

長州藩内の動揺

八月十八日の政変で長州藩が京を追放されると、久坂玄瑞・桂小五郎・武市半平太らの攘夷運動が瓦解します。
長州藩では佐幕恭順派の俗論党が勢力を盛り返す中、高杉は奇兵隊を小郡へ転陣し山口政庁を威嚇、政務座役に就くことになります。
しかし沸騰した正義派(尊攘派)が俗論党の坪井九右衛門を逮捕し野山獄で処刑する事件が起こり、高杉は暴発寸前の遊撃軍の制止に赴きますが、来島又兵衛に妨害され二度目の脱藩事件を起し、野山獄へ投獄されるに至りました。

馬関での講和交渉

元治1年(1864年)、馬関戦争勃発。イギリス留学を経て急進攘夷家から開国論者に転身した井上聞多が、藩の要人を歴訪してまで戦争を反対していたにもかかわらず、英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し開戦、長州藩を降伏させてしまいました。
出獄を許され藩主敬親から全権委任された高杉。有利な条件で馬関戦争の講和を実現します。

この直垂姿で交渉に臨んだ高杉は、彦島の租借、ひいては植民地化を狙うイギリスのクーパー提督の申し入れをかわすため、朗々と古事記・日本書記の講釈を二日間に及んで続けたというエピソードが残っています。

同時期、長州藩内ではで俗論党が主導権を握り正義派を粛清、絶望した周布政之助が切腹します。
長州藩の恭順により第一次長州征討が停戦に至ると、征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導しました。
俗論党政府は奇兵隊ら諸隊の解散を命令しますが、諸隊は結束して従わず、高杉は萩を脱出し筑前へ一時亡命。その後舞戻り、長府に駐屯する諸隊に決起を促します。
前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤俊輔の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行すると、大田・絵堂の戦いに勝利し、正義派が長州藩の政権を奪回に成功します。

第二次長州征討

一橋慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し、第二次長州征討が号令されたのは慶応1年(1865年)。
戦時物資調達の責任者に就任した高杉は、伊藤をして亀山社中(のちの海援隊)を介して大量の洋式兵器とユニオン号を購入させます。

しかし西欧列強を抱込むため下関開港を策動するという高杉の計画が噂で広まると、正義派に命を狙われ長州から逃れることに。
禁門の変以降、失踪していた桂小五郎が長州に戻り藩政を掌握すると、馬関開港を白紙撤回して長府藩を抑えこみ、高杉らの長州帰還がかないます。

翌年、第二次長州征討(四境戦争)が始まりますが、薩摩藩が幕府の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白するなど、薩長連合の効果が効いてきます。
高杉が大島口奇襲で幕府海軍に勝利すると「次は小倉城だ」と宣言、しかしこの頃すでに、高杉の体は病魔に襲われていたのでした。

おもしろき こともなき世を おもしろく

高杉の辞世として有名なこの句。
彼の病床で看病に当たった望東尼が、この辞世に下の句をつけてらやねばと「すみなすものは 心なりけり」と書いて晋作の顔の上にかざしたということですが、これは高杉の意趣をとらえていたかどうか。
彼はこれを一つの俳句として書いたのではないか、颯爽とした生き方を朗らかに歌ったのではないかという後世の評価もあるようです。

革命の3段階

司馬遼太郎氏は作品においてたびたび変革の時代を描きましたが、その中で「革命」について、3段階に分けて考えていました。

第一段階は、革命がなぜ必要なのか思索し構想する段階。ここでは思想家が登場します。すなわち吉田松陰です。彼は優れた教育者でありながら自己投機に躊躇しない行動力を備えており、これが結果的に後進に対する扇動力ともなりました。

第二段階は、革命の実践活動を伴いました。高杉晋作が担いました。もっとも彼は病を得て早逝してしまいます。そのバトンは軍事の天才、大村益次郎に引き継がれたと言えるかもしれません。

そして第三段階は、革命という事業を持続的な政治制度、社会制度に置き換えていくことです。長州の場合、山県有朋、伊藤博文、井上馨などが担っていくことになりますが、これがこのまま明治新政府に置き換わっていくことが、新たな歴史の火種となることを、この頃の長州はまだ知りません。

私の個人的高杉評

歴史に大きな爪痕を残しながら、革命の半ばで病に倒れた高杉晋作。
ここで、私個人の高杉に関する印象を整理させてください。

実は私は多くの歴史ファンがそうであるようには、高杉という人を好みません。
なぜか。全く感情的な問題なのですが、この『世に棲む日日』で描かれる高杉を追っていくと、大言壮語を撒き散らしながら、途中で逃げる、逃げずに戦うということをしないように感じるのです。

確かにこの時代、命を狙われたら一瞬で失う羽目になるので、危機管理がしっかりしていると言えばその通りなのですが、多くの人を巻き込みながら、壊すだけ壊して、情勢不利となるとお金を持って逃げる、というパターンが多いので、私はフォロワーにはなりたくない。

高杉については、260年続いた幕藩体制や、徳川に怨恨を抱きつつも顔色を伺うように過ごしてきた長州藩において、長きに渡って膠着してしまった体制を打破し、新時代を築こうとしたのかもしれない、とも言えると思います。

そんな彼も革命者といえば聞こえが良いけれど、果たしてその先に新しく作るものまで見据えて行動していた人なんだろうか。
もしかしてそれが見えなくて、自分自身、もがいていた人なのではなかろうか。

ただしそんな私の印象とは逆に、多くの人が好んで巻き込まれ、多くの人が、高杉に期待していた模様です。

「聞いて恐ろし 見ていやらしい 添うて嬉しい 奇兵隊」
これは高杉が作った奇兵隊の軍歌でしたが、この雰囲気がそのまま高杉のことを歌っているように感じます。

と、辛口評をしてみましたが、それはきっと奥深い高杉の人間性や時代への作用を未だ理解できていないからかもしれません。

なんとなく知らず嫌いしてしまっているので、高杉好きのみなさんに、その理由を説得して欲しいなと思ったりしています。




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