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「嫌だと言わなかったことに罪悪感!?」/ネガティブを扱う心理学

「嫌だと言わなかったことに罪悪感!?」/ネガティブを扱う心理学

なぜか

思ってもいなかった言葉が

スルスルと出てきた

「ストレスクリア

初セルフセッション」

ポジティブを扱うものはたくさんあるけど

ストレスクリアは、ネガティブを大切に扱う心理学

昨夜、ストレスクリアのセルフセッションをする会?

に参加させてもらいました。

心理学を学んでいたし、ヨガも瞑想もやったりするから、

内観とか、心の声を聴くことは、

多分、普段からやっていたりはするけど。

あまり、型にはめてきっちりやるタイプではないので、

セルフセッションとか、やろうと思ったこともなかった。

やり方、習ったはずだけど、そもそもあまり覚えてなくて…。

セルフセッションといっても、普段やっているセッションと同じだから、

第三者に聞く感覚で、とりあえずやってみました。

最初は半信半疑、そんなに深くまで入らなくても、

まあ試しにやってみるか、みたいな軽い気持ち。

最近、深く入りやすくなっていたので、

セルフでどこまで行けるのか、試したくなった。

やってみたら、意外や意外。

自分で意識していなかった言葉が出てきて、

ちょっと衝撃的でした。

わたしの母は、わたしが17歳の時に、クモ膜下出血で倒れて、

亡くなるまで20年近く寝たきりでした。

倒れた時に、家にはわたししかいなくて、パニックになり、

あの時もっと早く救急車を呼んでいれば…。

そんな後悔がずっとあって、

救急車を見るたびに、心がザワザワしていました。

昨年、AEDの講習を受けてから、

なぜかザワザワすることがなくなったのですが、

昨日は立て続けに救急搬送されるサイレンを聞いて、

久しぶりに気になっていました。

まだ、何か心に引っかかるものがある。

心というより、頭の片すみに、チラッと何かがある感じ。

思い出そうとしても、思い出せない。

だから、母への罪悪感がまだあるのかな?と思って、

それをテーマに自分にセッションしてみました。

あの時に、助けられなかったことには、もう何も残っていなくて、

それがわかっただけでも、やって良かったのですが…。

何か思ってもみなかった言葉が、

スルリとわたしの口から出てきました。

わたしは、母の、父に対する愚痴を聞いて育っていたのですが、

大人になってから、それが本当に身を切られるくらいに

ツラかったことに気がつきました。

気がついてからは、すごい葛藤があり、

一時的に母を恨んだりもしました。

母に対する恨みは、父を大切にできなかったことへの、

逆恨みというか八つ当たりだったのですが、思考と感情は、全く別で

「何であんなにヒドいことしたのよー!」

と出てきて。

それを聞いた母は、

困った顔をするのです。

反抗期のわたしと、それに戸惑う母。

その顔をみて、ハッとして。

母は、わたしが嫌だと言えば、やめたんじゃないのかな。

わたしが反抗期になって、そこに気づいてやめたんだ。

そして、あんな哀しそうな顔をして

わたしを見ていた。

きっと、母の方がずっと

自分を責めていたのでしょうね。

わたしが、「ク〇ババア」とか

散々暴言を吐いても、何一つ

言い返してこなかった。

じっと、嵐がすぎるのを待っていてくれた。

反抗期が落ち着いて、

母との関係が修復された頃に、

母が倒れました。

だから、わたしは

母が倒れたのは、自分のせいだと思って

ずっと自分を責めて、苦しかった。

精神的にも肉体的にも、

母を救うことができなかった。

そのことで、ずっと自分を責めていた。

母をしあわせにできなかった自分が

しあわせになることに、罪悪感があった。

自分がしあわせになる許可。

出せてなかった。

母が亡くなる少し前に

「産んでくれてありがとう」

を伝えた時

母は電話口で泣きながら

「そう言えるあなたはしあわせね」

そう、絞り出すように言った。

その言葉が、とても母らしいと思った。

嬉しいでも

ありがとうでもなく

どこまでも

わたしのことを気にかけている

わたしのしあわせを

ずっと願ってきたのでしょう

だけど、わたしは

「あなたにこそ」

しあわせでいてほしかった

受け取りベタの似たもの母娘

わたしがしあわせになることで

母がしあわせを感じるのなら

いくらだって、しあわせになってやる 

そして、セルフセッションで

出てきた意外な言葉は、

「愚痴を聞くのは嫌だと

言わなかったことに罪悪感」

でした。

え???

びっくり(@_@;)

そんなことを思っていたの?

まぁ、たしかに、嫌だと言っていたら

あんなに反抗することも

なかったでしょうから

それにしても、そんなことにまで

罪悪感を感じていたら

そりゃ、苦しくなるわ

そんな風に感じました。

そういえば、我が家の娘は

しきりにイヤイヤ言ってます💦

おかげで、わたしもイヤイヤ言ってます。

夫もイヤイヤ^^;

どんな、家族!?

最後は、ちゃんと着地点に落ち着いて

最初に感じていたストレスはなくなりました。

これからは、母への贖罪で人の愚痴を聞くのではなく、

あたたかい気持ちで聞きたいなぁ。

そして、もっと上手に生きる方法も、あるということを

母のような不器用な方に、伝えていけたら嬉しい♡

そんな風に感じた、初セルフセッションでした。

愚痴を聞かなきゃ、母が死んじゃうと思って聞いてたから、苦しかったなぁ。

愚痴は、吐き出すだけの、ただの排泄物だから。

しかも、ネガには宝物が隠れている。

そんな確信が深まりました。

母はね〜、母なりにしあわせだったのよね。

ツラいこともたくさんあっただろうけど、

しあわせに対して、鈍感だっただけで

「ふしあわせな人」

「かわいそうな人」

ではないんだな。

わたしの、心が

母をふしあわせな人として

その一面ばかりを見ていた。

そのことに、あらためて

気づかせてもらったセッションでした。

あ〜、楽しかった🎶

仲間と一緒に、それぞれの心に潜っていって

きっと、ひとりではたどり着けない。

そんな場所までいけました。

いつも、たくさんの感謝で

返しきれないけれど

「ありがとうーっ✨💗」

そして、おかあさん

大好き💞

Love you💗


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