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助けるということ。

助け合えるチームは強いと思うけど、常に助けないといけない状態だと脆くなる。
目の前の業務や課題のためには、手を差し伸べることが求められたり期待されたりするけど、やりすぎたらだめだと思うんだよな。

というところを、なんとかしたくてここしばらくあくせくしているところ。



足りないところ、できていないところを、できる人や余裕がある人がカバーできるのは、それ自体はいいことだと思う。
そのときできなくて困ることや、あふれてまわらなくなるものを、とりあえず困らないように、ちゃんとまわるように、いったん落ち着けることができる。

仕事だと納期があるし、お客様もいるから、誰かができなかったとき一時的にほかの人がカバーするのはしかたないし必要だし、そのためのチームだし組織だとは思う。
でも、特定の誰かがカバーしてまわるのが恒常化してしまうなら健全でない状態だと思う。

通常がカバーしている状態だったら、問題が起こったときや業務量が増えるときとか、さらにカバーしないといけないときにカバーしきれなくてまわらない。
一方的に助けてる側に不満やストレスがたまったりもする。
不満なく善意でカバーしてくれていても、だったら逆にその人がいないとき、いなくなったときにまわらなくなる。
カバーしようとがんばり続けていても、キャパオーバーの分つかれたりして質が下がったりもしてしまう。

それに、カバーされている側の人は、スキルアップしないととは思っていても、カバーしてもらえるのがあたりまえになってると、必死みにかけるんじゃないかと思う。
現状なんとかなってしまって、自分は困らないから。
ほんとにがんばる気でいても、無意識に弱まると思う。

不健全な状態は、なんとかなっているように見えてもなんともなってなくて、表面上問題なく見せようとしている分、問題が見えにくくもなると思う。
根本的なところにアプローチしづらくなる。

でも逆に、とりあえず問題になりにくいからこのままになっているのだとも思う。

カバーする側が不満に思ったりしたとしても、カバーするよりも手取り足取り教えたり見守ったりする方が大変だったりするし。
問題になったら怒られたり評価に響くかもしれないし。
なんとなく問題だろうと思っていてもつつかない方が楽だったりする。

カバーしきれなくて指摘されることはあっても、カバーしすぎて問題視されることはないと思う。
そういう慣習というか文化というか、そんなのが余計に、とりあえず手を差し伸べるのを助長するとも思う。

助けるっていうのは、基本は善意だと思うし、善意でやってくれるものを仕事やしくみにあたりまえに組み込んだら崩れると思う。

仕事として考えるなら、できてない人やできてないところのカバーすること自体も役割として、何をどれくらいカバーするかも決めて、それをしくみや体制として組み込まないとうまくまわり続けられない。
もしくは教育することでカバーせずにすむ状況に持っていかないといけない。

対個人として考えたら、無条件に助けるのは美徳とされがちだけど、単発でなく続いていく仕事や組織の中では、なんのためにどれくらいどうやって手を差し伸べるべきか、ほんとに助けるってなんなのか、よく考えないといけないなと思う。

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