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エンデではじまりエンデで終わる日

半年間チームコーチングを学んできた仲間と対話イベントをすることになった。

私たちのチームは午前と午後の2回イベントを開催し、予め主催側でテーマ設定する回と、参加者とテーマ設定から話し合う回を設けることになった。

その打ち合わせ中、一人、心ここにあらずのメンバーがいた。
あまりに多忙なために、今この瞬間を味わえない。
心に蓋をして、すべきことをひたすらこなす日々が苦しいと言う。

それを聞いて、ミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出した。


時間とは、生きるということ、そのものなのです。
そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって行くのです。

『モモ』106p

私たちにとって、時間とは何か?
モモを通して考える対話のワークショップも面白そうだ。

モモが、人々との対話や遊びなど精神的豊かさを象徴しているとすると、
モモが対決する灰色の紳士は、物質的豊かさや成功を追求させようとする。

灰色の紳士が悪者として描かれているため、参加者を思想的に誘導することにならないか?そんな違和感についても仲間と話し合い、『モモ』をテーマとすることを手放した瞬間もあった。

でも結局、全員が納得して、『モモ』を入り口に午前の部が開かれた。


・主体的に時間を使うのか、時間に使われるのか?
・クロノスとカイロス
・伸び縮みする時間
・自分の中を通り抜けていく時間
・直線的な時間と、螺旋状の時間
・何かに向かっていく時の時間と、それを振り返った時に感じる時間
・終わりを意識することで、活かされる時間
・計画と想定外
・個人の時間と集団組織の時間

時間について考えると、これまでの生き方、背負ってきた役割の中で経験した時間、そして今の生き方の選択という、一人一人の歴史について語られることになった。

私たちの心配はよそに、参加者の皆さんは、このテーマを自分事として深く没入し、白熱した対話となった。


<フリーテーマの午後の部>

テーマが拡散し過ぎないよう、午後の部は参加人数を4名に絞り込んだはずだったが、それでもテーマ決めには苦労した。

・ジェネラリストかスペシャリストか
・どんな自分が好きか
・個人主義か全体主義か
・モチベーション(好き)はそもそも仕事に必要か
二項対立を超えた先にあるもの

ここで、我々の中に少し混乱が生じる。

何故ならこの後やろうとしているのは、敢えて対極を作り、
それぞれの立場を味わうディベートと役割交換だからだ。

「二項対立で物事を考えることの是非」について、対話できるだろうか?
抽象度が高過ぎないか?

担当チームコーチたちの絶妙な匙加減で、その場では二項対立のテーマで対話することになった。

そして、「個人主義(個人プレーや独身貴族)と全体主義(チームプレーや親の役割)」というテーマが選ばれたのだが、対話が進む中で「自分事ー他人事」という軸が自然発生し、4象限マトリクスが立ち現れた。
世界は二項対立のみでは語れない複雑性が現れ出ていた。

ワークショップが終わった後のチームコーチ4名による振り返りもまた面白い。同じ時間の中で、それぞれが見えていたもの、感じていたものは当然違う。それを共有することで起きていたことの解像度が増す。
映画のストーリーを様々な登場人物の視点から見直すようなかんじだ。


チームコーチ仲間と

そして、帰宅すると、
3才にはまだ早いと押し入れにしまっていた絵本を目ざとく見つけた息子が夫に読んでもらっている。


先月、図書館の再利用図書の中にこの本を見つけ、
中身も読まずにエンデという理由だけでもらってきたものだが、
そのことを私はすっかり忘れていた。

到底、幼児向けの本ではない。
難しすぎてよく分からないのに、私にも読んでと息子は繰り返しせがむ。

読むのだが、物語の意味がすぐには分からなかった。

歯磨きをしながら、ハッとする。
太極図↓ のイメージが頭に浮かんだ。

聖の中にも俗があり、俗の中にも聖がある。

「二項対立を超えた先にあるもの」とは、
「二項対立は存在しない」ことではない。

陰と陽、生と死、昼と夜、善と悪など、対極となるものはある。
でも、その極の中にも、反対の極の種があって、陰極まれば陽となる。
〈それが、真理である〉と、
息子を介してエンデから手紙をもらったような
不思議な心持ちで、床に就いた。

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